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上杉に反旗を翻した男。新潟県新発田市。グーグルマップをゆく㊶

グーグルマップ上を適当にタップし、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は新潟県新発田市。

 新発田城は、代々新発田氏が居城としてきた城である。天正九年(一五八七年)、新発田重家が上杉景勝に反乱を起こしたことで落城する。世にいう新発田重家の乱である。

 上杉謙信の家臣であった新発田重家は、謙信の死後に起こった上杉景勝と上杉景虎のお家騒動(御館の乱)において景勝側につき、武功を上げ景勝の勝利に貢献した。しかし、武功を上げたにもかかわらず、それに見合った恩賞が与えられなかったため、景勝に謀反を起こすに至った。

 新発田氏は佐々木盛綱の傍流と言われ、鎌倉期から戦国期にかけて越後北部を拠点とした揚北衆と呼ばれる豪族であった。重家の兄・新発田長敦が謙信の側近となり、内政や外交を担当するまでの信頼を得るまでは、上杉、長尾家を脅かすほどの対抗勢力であった。

 新発田長敦以前の新発田氏は、ことあるごとに上杉・長尾家に対抗、対立する存在であり、勝手ながら荒くれ者の地方豪族というイメージがはまる者たちであった。

 その新発田氏の手綱を引いていた上杉謙信は、やはり偉大というべきだが、御館の乱における働きへの恩賞に納得がいかずに謀反を起こし、徹底的に抗戦した新発田重家という男も揚北衆の男といった生き様である。

 戦国時代における主従関係とは非常にシビアなもので、義理や人情というのは実は希薄である。今の会社とよくにた社会構造と言ってよい。

 部下が上司や会社を見限れば転職するし、部下のトレードがあったり、裏切りもある。サラリーマンが会社に持つ忠誠心と変わりがないわけである。ただ、死とは背中合わせではあるので、生半可ではないのだが。

 そういった意味でも、新発田重家にはどこか現代的なスマートさを感じる。

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