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ツヌガアラシト。福井県敦賀市。グーグルマップがゆく㊺

 グーグルマップ上を適当にタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は福井県敦賀市。

 遠い昔、敦賀に朝鮮半島の新羅国からツヌガアラシトという男がやってくる。年恰好などはよくわからない。ただ、額からツノが生えており、「ツノがある人」からツヌガアラシトと呼ばれた。

 とは言え、実際にツノが生えていたわけではなく、被っていたカブトに由来するらしい。新羅を出発したツヌガアラシトは、下関と出雲に寄ってから敦賀に到着する。その後、第十一代・垂仁天皇に三年間仕えて、新羅に帰った。「ツヌガ」が「角鹿」(つのが)となり、「つるが」と訛って現在の地名となる。

 紀元前の話である。この頃はまだ日本と名前はなく、国という概念もない。日本の中もいくつも小さな国が存在し、朝鮮半島も普通に行き来するものであった。個人的な見解であるが、たぶん、言語もほとんど変わらず通じたのではないかと思う。

 古事記には、垂仁天皇と仕えたとなっているが、何かしらのお必要があって、垂仁天皇をサポートするために派遣された有能なマネージャーのようなものだったのではないか?いくつか伝説が残っているが、話の内容がよくわからない。古事記編纂にあたって、創作されたものだろう。

 ツヌガアラシトの話がしたいわけではない。敦賀という日本海側に面した港について馳せている。日本海側の国々は、大陸との交易が活発であった。しかし、九州や出雲といったところは、朝鮮半島との交流が主であったが、敦賀や石川、新潟あたりは、朝鮮半島だけではなく、渤海やロシアなどとも交流があった。

 敦賀には度々大陸からの人がやってきて、港町はにぎわっただろう。ツヌガアラシトだけではなく、こういった人々がたくさんやってきたに違いない。また、日本からも多くの人が大陸に出かけた。こうして文化が様々兄混ざり合って日本という国の形成に至っていく。想像を超えた人々の姿があったかと思うと、非常にロマンを感じる。

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