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もう1人の信長と久留里城。千葉県君津市。グーグルマップをゆく⑲

 グーグルマップ上を適当にタップし、ピンがたった町を空想散策する、グーグルマップをゆく。今回は千葉県君津市。

 君津市の内陸部に久留里というところがあり、久留里城跡なるものがあった調べてみると室町中期の武将・武田信長によって築城された城とのことであった。

 武田といえば、言わずと知れた甲斐の武田であるが、武田信長は、縁戚にあたる。室町当時から上杉家との確執はあったらしく、当時上杉家が守護を務めていた上総(千葉県)を攻めたことにより上総を拠点とすることになり、上総武田氏として勢力を拡大していく。武田信長の兄・武田信重が甲斐の守護を務めており、その6代のちに武田信玄が生まれる。

 グーグルマップにて久留里城跡の周りを見ていると、「新井白石居宅跡」というのを見つけた。新井白石といえば江戸中期の儒学者、歴史学者であるが、その新井白石か?と思って調べてみると、そうであった。

 上総武田氏は、戦国期には真里谷と名前を変え上総を治めていたが、やがて衰退し、江戸期には久留里藩となって藩主は土屋氏であった。

 上野国新田郡新井村の土豪であった新井氏は、豊臣秀吉の小田原征伐で没落し、久留里に流れ着いた。新井白石の父・新井正済は久留里藩の目付役を務めており、白石は久留里で生まれた。

 久留里藩二代藩主・土屋利直は白石をかわいがった。白石は聡明であったが気性が激しく、怒ると眉間に「火」の字に似た皺ができることから、土屋利直は白石のことを「火の子」と呼んだという逸話が残っている。しかし、三代藩主土屋直樹の時に、新井親子は久留里を追われることとなる。

 室町期から江戸初期にかけての時代の移り変わりは目まぐるしく、中央を中心とした覇権争いに目が行きがちだが、その影響で起きている地方での出来事も非常に面白い。

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