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菅原道真と桃太郎。香川県高松市。グーグルマップをゆく㊽

 グーグルマップ上をタップして、ピンが立った町を空想歴史散策する、グーグルマップをゆく。今回は友人にタップしてもらってピンが立った、香川県高松市。

 真実はいつも一つではない。と思わされるのが歴史である。同じような伝承や伝説が日本各地に同時多発的に現れる。どれが本当かと問うのはナンセンスである。

 昔、岡山で吉備津彦(きびつひこ)とともに鬼退治をしていた吉備津彦の弟である稚武彦命(わかたけひこのみこと)が、岡山で鬼退治を終えたのちに讃岐で鬼が暴れていると聞き、犬島(岡山県の島)の水軍と高松市綾川町陶猿王の火を操る焼き物師の一族、そして、高松市鬼無町雉ヶ谷の弓の名手たちを率いて、鬼ヶ島(現・高松市女木島)の鬼を退治に出かけた。

 稚武彦命ではなく、吉備津彦自身であるとか、吉備津彦の息子であるなど諸説あるので、ここでは大まかなあらすじを書いたが、これが高松市の桃太郎の話として伝承されている桃太郎の話である。

 仁和2年(886年)に讃岐の国司として京より赴任してきた菅原道真が地元の漁師から聞き、おとぎ話としてまとめ全国に広めたと言われている。もちろん、本当かどうかはわからない。1000年以上昔の話である。桃太郎の話は岡山県の専売特許のようになっているが、実際には瀬戸内海周辺の地域には桃太郎伝説が色々あるらしい。

 我々は桃太郎伝説が一つだと思い込んでいる。しかし、シリーズものだったのではないか?つまり、岡山の吉備津彦を中心とした一派が、瀬戸内海各地の鬼を、「桃太郎伝説・岡山編」「桃太郎伝説・高松編」といった具合に退治して回っていたということである。

 菅原道真は讃岐での暮らしが相当いやなものであったらしい。仕事はちゃんとするが、京に帰りたいと毎日嘆き、帰京の命令が出た時、別れも惜しまずにすぐに帰ったと言われている。その後、皮肉にも菅原道真自身が鬼となってしまう。

 話が変わる。讃岐で菅原道真といえば滝宮念仏踊りであるが、

 菅原道真が讃岐に赴任中の仁和4年(888年)、雨が降らいずに大飢饉に見舞われた。苦しむ人々を見るに見かねた道真が、山に登って祈祷を行うと三日三晩雨が降り続き、人々は喜んで歓喜の踊りを行った。これが滝宮念仏踊りの起源となり、その後、法然上人により振付を新しくして現在の形となった。

滝宮天満宮より引用

 と滝宮天満宮の公式サイトでは紹介されているが、これについていくら調べても典拠がわからない。法然についてもおどりに振り付けをしたという点についても、その他で法然が踊りに関わるような話がないだけに、どこかで突然入れ込まれた逸話であろう。それであれば一遍上人にした方が真実味があったのではないか。余談である。

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