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パニック障害闘病日記4

パニック障害闘病4

しばらく2週間に一度、という
通院生活、
仕事が出来ない状態になっていた。
沢山友人を
作り
消えていった。
私から消えた。
長い付き合いになれば深く私を知ってしまうからだ。
地元の友達には
今思い返すと恥ずかしくて言えなかった、
パニック障害ってなに?
鬱病の一種なの?
気持ちが不安になって発作が起こるんだって。

まさか死ぬわけじゃないでしょう
いや、本人は死ぬかと思うくらい
苦しいらしいよ。
世間は冷たかった。
時代が今から20年以上も前だからだ。
今なら時代のせいにしたい。
心の病気。
親は恥じた。
前向きで明るい母親は認めてはくれなかったし
何回も浮き沈みする私を
母親なりに。
親として、、
認めたいけど認められない母親になっていた。
いつか治る。
そう、信じて認めたくなかったから。
今なら解る。

彼氏から旦那になった元旦那も理解は17年いても出来なかった。
優しく深い愛情と責任感がある
男性だったが
普通の女性に
逃げたくなったのだ。
病気になり
浮気された数は今数えてもわからないくらいだった。
彼も逃げ場がなかったのだった。
やりたい事が出来ない。
仕事が出来ない。
家事や片付けが出来ない。
だるくて一日中寝ていたり夜中出かけたりする
私を愛し抜く事はできなかった。
23歳から
30まで籍も入れず
いや、入れられなかったのかもわからない。
相変わらず酷くなる
症状。
短いと思うか、
とんでもなく長く
一生続くような苦しみだった。
理解者が居ない。
彼は毎日いて仕事を頑張って養ってくれるけど
私は人格がすっかり変わり
体重も増加していった。
自分のわがままを聞いてくれないと
死ぬ、とまで相手に
要求するような
重症ぶりだった。
周りに
そのときの話を聞いてみる

地獄だった。
同じ人物とは思えないと。
ただ外見にわからないから
普通の人には判断が出来なかったのだった。

続。

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