短編小説:ガイナス王の思うがまま ~ 審判とゲーム(下)

         本文

「面白い考えだが、そのような都合のよい毒物が果たしてあるのか?」
「毒そのものではなく、他の物質の特製を利用すれば、ある程度の計算は立つようですが……壷の水を検査した結果は、毒以外に人為的に加えられた物質は、全く検出されなかったため、この説も消えました」
「なるほど。捜査本部が尽力していることは、非常によく分かった。この調子で続けて、光明を見出してもらいたい」
 王の激励に、リボーンスキーは思わず礼を返し、そのまま退出しそうな気分になった。気分だけで、実際にはそんな振る舞いはしなかったが。
 その後、いくつかの質問と答のやり取りがあり、前もって定められた制限時間が近づいてきた。新たに質問するには時間が足りないので、切り上げる。
 そこへ、ガイナス王から尋ねてきた。
「誰が怪しいか、私の個人的な考え。いや、直感を言ってもよいかな。先入観を植え付けられるのは困るのであれば、やめておくが」
「とんでもない。拝聴しましょう」
 浮かした腰を椅子に戻し、メモを取る姿勢になる。内心、過度の期待を抱く訳でもなく、飽くまで一関係者の意見として聞いておく。
「リボーンスキー警部、あなたは演芸団員達の特技を把握しておるか?」
「確か、腹話術にお手玉、奇術、あと一人はコメディアンだから、特技は何になるんでしょう?」
 真顔で応じた警部に対し、ガイナス王は右手の人差し指を振った。
「注目すべきはそこではない。奇術師が怪しいと思わんか?」
「はあ」
 戸惑いを隠し、承りましたという顔を作るリボーンスキー。
(まさか、手品の技法で毒を壷に入れたとでも言うのだろうか)

           *           *

 ガイナス国王は、夜半の宮殿で、密かに一人の若者と会った。演芸団の奇術師、ライバートンである。
 ライバートンは、前もって指示された通路を渡り、中に入った。若さから来る恐れ知らずさ故か、侵入する間は落ち着いていた彼だったが、待ち合わせの部屋に足を踏み入れ、多少動揺した。その部屋に電灯はなく、代わりに蝋燭のゆらめく火の光がいくつもあった。
「待ちかねたぞ、ライバートン」
 戸口からは行ってすぐ脇から声がして、ライバートンはさらに驚かされた。顔を向けると、ガイナス王が杖を支えにし、どっしりとした構えで立っていた。蝋燭のおかげである程度の表情は読み取れるが、判然とはしない。笑っているようでもあり、怒っているようでもある。
 だが、奇術師には、怒りを買う覚えはなかった。すでにジョアナ王女と関係を持ったことを白状し、その咎に対する国王からの条件提示にも、きちんと答えたつもりだ。
「お言葉を返すようですが、遅刻はしておりません」
 アラメラの不審死から一ヶ月後。今夜、王と会うことは、前々から決められた予定通りの行動である。
「気に留めるな。私の感情を言い表しただけだ」
 今度は明らかににやりと笑い、用意された椅子に座るガイナス。
 ライバートンはその前に距離を置き、直立姿勢を取った。彼からは喋らない。王が口を開くのを待つ。
「警察はまだ、誰がどうやってアラメラを毒殺したのか、掴めていないようだ」
「は、そのようですね。何せ、僕はこうして自由の身でいるのですから」
 ライバートンが言った。日常会話の続きのような口調で。
 ガイナスは大きく首肯し、傍らのテーブルから一枚の書類を取り上げた。書類と言っても契約書の類ではなく、手書きのメモのような代物だ。
「おまえの咎を許す条件に、どのような約束をしたか覚えているな?」
「無論です。収穫の儀式の日に、巫女のアラメラの命を奪う。その後、別人が犯人として誤認逮捕されるか、迷宮入りして捜査本部が縮小に向かえば、僕は全面的に赦される、でした」
「もう一つ、肝心な点を忘れてはならん」
「あ、他言無用、です」
「その誓いの方は、守っておるだろうな」
「当然です。口外すれば、命に関わる」
「アラメラを屠った首尾は、見事であった。あれは色々と知りすぎた。口を塞ぐ必要があったのでな」
「一ヶ月経過して、捜査本部はまだ縮小されませんか? 僕の知り限りでは、そんな報道はなく、些か焦りを覚え始めたところなんですが」
「それなんだがな」
 ガイナス王は、ライバートンを指差した。そしてその指を顔の前で立てて、意味ありげに笑みを浮かべる。
「私は見破ったかもしれん」
「――え?」
 最前、彼の言葉の中だけだった“焦り”が、姿を覗かせた。見開いた眼、しばし半開きになった口、せわしなく開け閉めを繰り返す両拳。
「ご冗談ですよね?」
「冗談ではない」
「でも、国王は最初から僕が犯人だと知っているのだから……」
「方法は知らん。そこを看破できたとしたら、警察に伝えてやろうと思う」
「……とりあえず、聞かせてください、ガイナス王」
「要するに、困難は分割せよというやつだろう。おや、顔色が変わったんじゃないか? そんなに驚くことではない。奇術の基本として、おまえが王子に語って聞かせていたのを、私も耳にしたのだよ」
 奇術師の変化を、楽しげに見つめる国王。ライバートンはそれどころではない。まだ看破されたと決まってはいないが、まさか、王自らが解明を試みるとは予想の外だった。
「今回の殺人で困難な点は、毒の入手方法と混入方法だろう」
「そうですよ、僕には毒が実験室から消えたときのアリバイがあるし、密室内の壷に毒を入れることもできません」
「まず、思い込みを捨てねばならんな。殺人に使われたのは、タロックの実験室から消えた毒と同種ではあるが、同一ではない。そう考えてみた」
「……」
「おお、的を射抜いていたかか? なに、私が単独で思い付いたのなら誇りもするが、警部の話がヒントになったのだから、自慢にならぬ。だが、今のおまえの反応は実に快感だ。おまえは、いや、おまえ達四人は以前来たときにタロックと親しくなり、その際にタロックから実験室について詳しく聞かされたのだろう。実験室は王子にとって楽しいおもちゃのような物で、つい、自慢したくなるのも無理はない。ともかく、事前に、実験室にある毒を把握し、同じ物を予め用意することは可能だった」
「……筋道は通っています。認めざるを得ません」
 早くも、立っているのが辛いとばかり、ライバートンは上半身がゆらゆらとし始めた。王は余裕を見せ、適当な椅子に腰を下ろすように促した。
「恐れ入ります。では失礼を……」
 椅子に沈み込むように座った奇術師は、手の甲で額に宛がい、汗を拭った。それでも反撃を試みる。
「実験室は実際に荒らされていたんですよね? あれはどう解釈するんでしょう? 殺人とは無関係の人物が、偶然、実験室に侵入し、偶然、同種の毒物を持ち去ってくれたと?」
「まさか、そんなに偶然が重なることはあるまい。よく考えると、ライバートン、おまえのアリバイはさほど堅固ではない。突き詰めれば、気心の知れた仕事仲間と二人一組で行動していたというだけだ。ましてや、そいつはおまえをかばおうとしていた。実際の犯行でも、手を貸したと仮定すれば、アリバイは簡単に崩せる。つまるところ、おまえが単独行動をしても、ずっと一緒にいたと偽証する、ただそれだけだったんだろう」
「う……じゃ、じゃあ、毒を壷に入れた方法は? いくら最初から毒を持っていたって、封のされた壷に毒を入れるのは無理だ。そうでしょう?」
 自らを奮い立たせるためか、声を大きくしたライバートン。身を乗り出しさえしている。そんな彼に、ガイナスは姿勢を変えることなく、勝ち誇った視線を送った。
「壷に触れたそうではないか」
「触れたと言っても、極短い時間。封を開けた訳じゃない」
「大げさな金細工の施された頑丈な蓋が使われていたのなら、関門と呼べる。が、儀式に用いられた壷を封じていたのは、単なる蝋紙。針一本で突破できるんじゃないかね」
「……正解です」
「おや、白旗を揚げるのが早いな。正確を期すと、針は針でも注射針だろう? 毒液を仕込んだ極小さな注射器を隠し持ち、壷に触れる際に、蝋紙越しに注入した。それだけのことだったんだ」
「ええ、その通りです」
「蝋紙には小さな穴が残るだろうが、気にする必要はない。封を開けたあと、蝋紙は燃やすのが習わしなのだからな」
「もういいじゃありませんか。そんなことより、僕はどうなるんですっ?」
 若き奇術師は疲れ切り、一気に十ほども老けたかのように見える。きっと、蝋燭の炎による錯覚に違いない。
「そんな、絶望の沼に両足を突っ込んだような顔をするな。警察に突き出すと決めた訳ではない」
「え? というと……」
「私はおまえを憎んでいるのは、変わっていない。しかし、邪魔な存在になりつつあったアラメラを片付けてくれた手際と、その結果には感心し、満足している。このまま警察に引き渡して、下手なことを喋られる恐れもある。私の力をもってすれば、握り潰すのは容易いが、小さな煙一つ立たせるのも嫌な性分でな」
「じゃ、じゃあ、一体。どう見ても、放免させてくれそうにはない」
 ライバートンは戸惑いを広げるばかり。落ち着きをなくしていた。このまま見物するのも楽しいかもしれないが、潮時を見誤るとまた別の面倒が引き起こされかねない。ガイナス王は本題に入った。
「ライバートン。本来なら絶対に許せない行為をしたおまえに、機会を与えたのはどうしてだと思う?」
「それは、あの巫女が邪魔になったから始末させるため、でしょう」
「違うな」
 即座に否定するガイナス。でも、すぐにかぶりを振り、言い直した。
「いや。それだけではないと言うべきだった。邪魔な存在の処分も理由ではある。だが、私は本質的にゲームが好きでね。命を賭したゲームを、おまえのような若者がやり遂げるかどうかを見てみたかった」
「……」
 口をむずむずさせ、結局無言のままだったライバートン。王の台詞を解釈しかねたようだ。
 ガイナスは気安く言った。
「だから、今度もゲームでけりを付けるのだよ。命を賭したゲームで」
「ど、どんな……」
 奇術師がごくりと喉を鳴らした。喉仏が大きく動くのが、薄明かりでも分かった。
「簡単で、すぐに決着するゲームだよ。これからする質問に、振り返らずに答えよ。よいな?」
「え、ええ」
 急な話に、緊張で身体を硬くするライバートン。
「ここに入って来たとき、何本もの蝋燭があるのが見えたろう」
「は、はい。今でも何本か……」
「もう一度言う。振り返らずに答えよ。振り返ったら、即失格だ。この部屋に火の灯った蝋燭は何本ある?」
 ガイナス王はゲームの開始を告げると、大きく息をついた。炎を吹き消さんばかりの勢いで。

――終

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