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#35 裏切り(妻編)

熱が何度出ているのか、体温計はすぐそばにあるのに確かめる気力もありません。

夫の中山が帰ってこない。私はさっきから泣き続けています。夜遅くに中山から電話があってお客様との話が終わっていないので、出張先の岐阜にこのまま泊まると言われました。

私は昨夜は熱を出していて、「明日、絶対に帰ってきて」と彼に告げました。出張だと言う中山を疑う気持ちが消えなくて、思わずそう言ってしまったんです。中山は私を安心させるように優しい笑顔を向けて「できるだけ帰るようにする」と答えてくれました。

その言葉を信じていました。必ず帰ってきてくれると。それなのに帰れないという電話が来て、崖から突き落とされたような絶望的な気持ちになりました。中山の電話の向こう側の音から何かを見つけようと必死で耳を澄ましましたが何も聞こえなかった。

仕事だという中山に「それでも帰ってきてほしい」とは言えなくて、聞き分けのいい返事をしたんです。中山は「ゆっくり寝るんだよ。帰れなくてごめん」と言って電話を切りました。

ツーツーという電話の切れた音が心に刺さるように響きました。その音も消えたとき、この部屋はより一層静かになりました。涙がこぼれます。

中山が帰ってこない。

本当にお客様の都合である可能性はとても低いように感じます。私が熱を出している、帰ってきてほしいと言っていた、それなのに帰ってこない。

これまでの中山であれば翌日にも仕事が長引くと分かった時点で、私に早めに連絡をしてくれたはずです。でも連絡はとても遅かった。それはきっと帰るつもりだったけど帰れなくなったということではないでしょうか。

中山は女性といるんだと思います。彼は私よりその人を選んだんです。

中山から連絡があってから私は泣き続けています。今、時間は夜中の1時を過ぎました。彼のもとにかけつけたい気持ちで心が壊れそうです。きっと今日は眠ることができない。こんなに寂しい夜を過ごす日がくるなんて想像もしてなかった。ぜんぶ夢であってほしい。

熱で朦朧としながらも神経が過敏になっていて、中山の最近の言動のすべてを何度も思い出しながら泣き続けています。涙が止まらない。

熱のせいで物事をすべて悪く受け止めているならどれほどうれしいでしょう。こんなに苦しい夜を過ごさなければならないなら、このまま高熱を出して意識を失うほうが楽かもしれない。救急車で運ばれたら中山は駆けつけてくれるかもしれない。

早く帰ってきてほしい。

私を一人にしないでほしい。

明日、中山が帰ったら私は彼に向かって何を言ってしまうのか、そのことも怖くて体が震えはじめています。


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#短編小説 #超短編小説 #中山さん #妻 #裏切り #出張 #夜

中山さんはシリーズ化していて、マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。





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