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言葉の暴力

何だろう。

人って自分の置かれている状況でしか自分のしんどさを見れない。

私なんてまさにそんな感じなんだろうって思う。だから自分を責めてしまう。このくらいなのに、こんなにしんどいって思ったり寂しいって思ったりつらく感じる自分がわがままなのかとか、弱いからなのかとかそういう思考になる。

何か一つの大きな問題を抱えているわけではなく、一つ一つは小さなことだらけなんだけど、でもその小さなことが雪が降り積もるように、静かに少しずつ少しずつ重なっていく。雪だと冷たいけど幻想的で穏やかで美しいよね。そんな素敵なものじゃない白が私の心の中に広がっているのかも。

あのときの言葉、このときの言葉、あの反応、あの冷たい表情、いろんなものがいつの間にか刻まれて、それは別に暴力だとかあるわけじゃなく、そこに確かな愛も見えるのに、それでもまた一つ一つと投げかけられるたびにバランスがわずかに崩れていく。

「そんなくらいを我慢できないのがよく分からない」

この言葉に、確かにそうだ、私はどうしてそのくらいを我慢できないのかと本気で思うときもある。だから「あ、そうか、自分がダメなのか」と思い直し何とか考え方を改めようと努力してみる。だけどね、どうも無理があるんだな。

たぶんまったくお互い様で、違う価値観をすり合わせようと努力するたびに共に疲弊し、共にその違いの大きさに愕然とする。あと何年かすれば状況が変わるのかとその何年か先を見ようとするけど、私は何にしがみついているのかと自問する。

私は1人じゃなくて、背負うものがあって、守るべきものもあって、築いてきたものもありすぎるほどある。たくさんの愛情を感じ、感謝しないといけないことだらけだ。

私はわがままなの?

「こんなことがつらい」と友人から話を聞くと、「え、それって恵まれてるよ」と思うことがある。それでも彼女のその状況でのつらさは彼女にとってはつらく苦しいもので、私が「そのくらい」と思っていいものではない。

もっと感謝しなきゃ。

そんな言葉を投げかけられると、「何に?」と迷う。地盤の固い生活に? こんなにグラグラ揺れているのに?

どこまでが言葉の暴力で、どこまでが売り言葉に買い言葉なのか。

例えばこんなひどい言葉をぶつけられました、と私は人に言う。じゃぁその言葉の一瞬前に、私が何をぶつけたのか。あんなひどい態度を取られました。じゃぁその1日前に私がどんなひどい態度を取ったのか。

何かを誰かに吐き出すときに、自分が語らなかったたくさんの自分の非が同時に浮かびあがり、自分のずるさや自分の足りなさを思い知る。

逃げたいと思う自分の弱さ、救われたいと思う自分の孤独。

人はみんなこんなものと戦っているんだろうか。

1112文字

#エッセイ #言葉 #孤独 #つらさ #救い #売り言葉に買い言葉 #戦い #人生


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