見出し画像

恋の魔力

つらい。きつい。寂しい。

負の三連発だ。

私は昨日失恋した。始まらなかった恋に失恋した。始めたら自分が壊れると思ったから始めなかった。始めなかったけどそれでも終わるときは思った以上につらかった。いや、本当は何も始まっていないから何も終わっていないのか。

始まりも終わりもなかった恋に蓋をするのは難しい。私はどうしたらよかったのか、私はどうしたいのかといつまでも心にくすぶり続ける。

私が手を出せばもしかしたら返ってくる手があるんじゃないかという恐ろしい誘惑に飲み込まれそうになる。そこに飲み込まれたらもう道は断たれる。幸せな行き先はない。自分を失ってでも飛び込みたい心に支配されながらもいろんなものが私を引き止める。

既婚者の恋は底なし沼だ。

飛び込んでしまえば見えるよって後押しする声も聞こえる。すぐに嫌われて終われるかもしれない。その方が楽かもね。切り捨ててくれた方が楽かもね。あぁ、嘘。嘘です。切り捨てないで。

飛び込んだことのないその沼は黒く渦巻いているけれど、その中に小さな小さな美しすぎる小石が落ちてるんじゃないかと必死で目をこらす。深い深い底まで淀むその沼を潜って潜って落ちていけば小石を拾えるんじゃないかと足を半歩、踏み出す。

誰か押してくれないだろうか。この背を。この私を。飛び込む勇気のない理性の塊のようなこの私を思いっきり後ろから押してほしい。

勇気。

美しく、強い言葉。そしてそれは正しい言葉。この正しさを間違ったふりして使えばいい。後悔しない生き方とか、人生は一回っきりとか、怖がらずに踏み出そうとか、知らない世界に飛び込む勇気とか。

笑えるね。背中を後押ししてくれる強く正しい言葉たちを気づかないふりして全部自分に使えばいいよ。私は間違っていない。いや、私は間違っている。私は壊れていない。いや、私は壊れている。

ねぇ、足元は見えてる?

本当に掴めるかも分からない遠くの遠くの小さな小さな小石を見るあなたの目は足元を見てる? 足元は美しく澄んでいる。守るべきものたちがにっこりと微笑んでいる。私に必要な勇気はそこにとどまる勇気。

弱いね。弱くて笑えるね。

恋の魔力は魔物の力。甘美で優しげで、うっとりするほど艶かしい。心も体も持っていかれる魔物の力に委ねてみようか。

すっと訪れた魔物の力に身を任せ、渦を巻き始めた沼に私は飛び込んだ。

汚く荒れ狂う泥水に涙を溶かしながら、潜って潜ってあの小さな小さな小石を探す。苦しみと切なさと寂しさと全部の負の感情を泥水とともに飲み込みながら深く深く身を沈める。

沼の底の汚いものたちに隠れていた小さな小さな小石の艶やかな姿が見えた。そこだけがポツッと光っていた。手を伸ばし、すくいあげる。なんて美しい。あったんじゃない。本当にここにあったんじゃない。

美しすぎる小石に触れた私は、沼の外の世界を忘れた。あなたのことも全部忘れた。

小さな小さな小石に宿る魔物の力。

魔物に魅入られた私の最後の姿。

1209文字

#短編小説 #超短編小説 #恋 #勇気 #失恋 #魔力

私は小説を書くときは最終地点をあまり考えずに書き始めます。そんなふうに書くのでこの小説は始まったときの雰囲気から少しずつ変わっていって思いもしない方向に広がり幕を閉じています。たった1つの短すぎる短編小説の中ででも私の統一感のなさというのが反映されている気がする作品に仕上がりました。いいのか悪いのか分かりませんが、これが私の今日の創作物です。


お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨