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#37 月曜日

昨日まで私は中山さんと一緒に岐阜のホテルで過ごしていた。

はじめて中山さんの夜をひとり占めして、二人で東京に戻ってきて、中山さんはまた奥さんのいる家に帰っていったけど、私は部屋に戻って中山さんがプレゼントしてくれたオルゴールの音色に包まれながら深く、眠った。

今日はその翌日の月曜日で、私はいつもより早くに家を出て、いつもより早くの電車に乗って、いつもより早くに会社に飛び込んだ。昨日の夜中に届いたラインに中山さんが「今日は仕事を休む」と書いていたからだ。

中山さんに何があったのかを早く知りたくて私は急いだ。慌ててオフィスのドアを開けると、すでにデスクに座っていた白木課長が驚いて顔をあげた。

私は乱れる息を整えることも忘れて「おはようございます」と課長に挨拶をする。

「結城さん・・・早いね。どうしたの?」

驚きながらもゆっくり話す課長のその言葉で、自分の「おはようございます」が慌ただしかったことに気づいて興奮気味の頭が少しだけ冷静になる。勢いこんで中山さんがまだ来ていない理由を課長に尋ねるのはよくない。まるで私が中山さんが休むのを知っていたかのようになる。

「あ、いえ、あの、電車に乗り遅れそうになったんです。でも急いで乗ってみたら1本早い電車だったみたいで、えっと、なんだか気持ちが慌てたままになってしまって」

私は言い訳のような説明をしながら自分のデスクに向かった。課長が私の動きを目で追っているのをなんとなく感じて、大きな嘘をついているような不安な気持ちになる。

落ち着かない手でバッグを開けてハンカチを出す。課長の視線を逃れるようにハンカチをおでこにあてて、デスクに座って周りには響かないくらいの細い息をゆっくり吐いた。

斜め前の中山さんのデスクが視界の端に入る。月曜日にはかならず会える中山さんなのに、今日、中山さんはこの席には現れないんだ。寂しくて胸がぎゅっとなった。

私はできるだけいつもどおりを装いながら、中山さんのことを尋ねるタイミングばかりを気にしていた。中山さんに渡す予定だった資料をトントンと重ね、一呼吸おく。いつもならそろそろ中山さんがオフィスに来る時間だ。あと5分ほど待って、それから課長に尋ねよう。「中山さんに渡したい資料があるんですが、中山さん、少し遅いですね」と。

課長にそう聞く前に、念のためもう1度ラインをチェックしたけど返信はない。できれば中山さんから欠勤理由を聞いておきたかった。課長の口からその理由を聞いた瞬間、自分がどんな表情をしてしまうのかが分からなくて怖かったから。動揺を見せないようにしなくちゃいけない。

そんなふうに自分に言い聞かせながら課長に声をかけようとした一瞬前に、課長がこう言った。

「結城さん、今日、中山は休みなんだ」

ドキッとした。私はそのことをはじめて聞いたような表情を作ってから顔をあげた。ほんの少し驚いた顔だ。

「あ、そうなんですか。めずらしいですね」

「さっき電話があって、奥さんが入院したらしい」

どれだけ気をつけていても、もしかしたらとその言葉を想像していても、やっぱり動揺する気持ちが生まれて、私は一瞬、答えに詰まる。瞬間的に表情がこわばったかもしれない。いや、でも入院と聞いてにこやかな顔をする人はいないだろうから、課長はきっと何も思わなかったはずだ。

「・・・そうですか。大変ですね」

私は揺れる気持ちをさとられないように、控えめな声でそう返事をした。

奥さんが入院したんだ。どうして? 入院の理由が知りたいと思ったけど聞く勇気はなかった。中山さんの奥さんの話を課長と平然と話す自信がない。

奥さんはいつから体調が悪かったんだろう。あのとき中山さんは今日中には東京に戻れないと伝えるために奥さんに少し長めの電話をしていた。でも車に戻ったときの中山さんの様子は普通だったし、奥さんを心配するようなそぶりも見られなかった。

私たちが岐阜で一晩過ごしたことと、奥さんの入院は何も関係ないんだろうか。関係ないとしたら私がいま、罪悪感のような重苦しい何かを感じる必要はないはずだ。でもそんなにタイミングよく奥さんが入院するって、どうしても違和感を拭えない。昨日の二人の大切な時間が不穏な何かにつながりそうな気配が漂う。

その日、私は何度も中山さんがいないデスクを見た。中山さんがそこにいる日々がどれほど幸せなのかと気づく。もし私との関係が誰かに知られたら、斜め向かいのデスクで顔を合わせることが許されなくなるかもしれない。その誰かが奥さんだったら、と思うと言いようもない不安を感じた。

一日中、何度もスマホをチェックする。早く返信がほしい。

いつもは中山さんに会える一番うれしい月曜日が泣きそうな気持ちで終わっていく。

本当は、どの月曜日よりも今日が一番会いたかったんだよ。


1952文字

#短編小説 #超短編小説 #中山さん #理由 #奥さん #欠勤

中山さんはシリーズ化しています。マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。



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