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読書感想【塩狩峠】


【愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説】

◆信仰について
 まず、僕自身は「信仰」と言うモノに対しての深い思い入れは全くと言っていいほど無い。「神を信じるか?」と言われたら、「多分、神様は存在すると思う」と答えるだろう。個人によっては大分センシティブな問題であると思っているし、気安く神様はいるとかいないとか、そういった話をする気は毛頭ない。ただそれは何故かと言われると、この世の中に神様の存在を心の底から信じている人たちがいることは事実で、その人たちが信じている神様の存在を僕自身が否定する権利は全くないと思っているからだ。
 そのため、「僕個人としては」神様がいるかどうかはよく分からない、ただだからと言って、神は絶対に存在しないとも思わない、というスタンスになる。
 これは何も神様に限った話ではないと思っていて、相手が信じるもの、相手が大切にしているもの、そう言ったものに対して他人が貶したり、批判することはそもそもが人間の道理として間違っていると思うからだ。

物語の途中にもキリストを信じる主人公にやけに突っかかる同僚が出てくる。そのシーンでは読んでいるこちらが「主人公がいつ激怒するかもわからない」と思ってヒヤヒヤしたものだ。ただ、そこはやはり主人公の信仰の深さが考えや所作からじわじわと伝わってきて、また、その同僚が情けなく見える。つまりはどちらが人間としてカッコいいのか?ということに尽きる。間違いなく主人公であろう。

◆テンポについて
 40年以上も前に書かれたとは思えないほど読みやすい作品であると強く思った。今まで読んできた昭和の作品は、文章が長かったり、テンポがやはり今の時代とは違うこともあって、読みにくいとしばしば感じていたがこの作品に関してはそんなことは無く、小気味よい文章の長さ、視点が主人公だけでなく違和感なく変わるテンポの良さ。400ページを超える作品であるものの、さらさらと読むことができた。

◆最後に
 偉そうに感想を書いてしまったけれど、幼少期の頃の、ほんとにちょっとしたことで感じる不条理さ、嫉妬、羨み、気持ちのじわじわとした揺れ方や、小さなプライド、恥、経験などは昔の作品とは言え、誰もが必ず通る道であろう大分共感できる部分があったし丁寧に描写されている。段々と成長していく中で変わるもの、変わらないものが表れ、信仰や愛というフレーズから思想に関する作品として思われがちであるらしいが、そのあたりでは無い部分にも読みごたえは沢山あった。
 自分を自分たらしめてくれる吉川(同年代なのに頭が上がらないほどの聖人)という大切な友人の存在が主人公と読者をより身近にしているような気がした。
 
 実話を基にした作品であるということにも驚き。是非読んでみていただきたい。


著者 三浦綾子
発行 昭和48年5月

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