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ゴジラ-1.0を観て感じたリアル

先日、映画「ゴジラ-1.0」を観に行ってきました。
※ネタバレはないです。

感想としては純粋に面白い物語でした。
やっぱりゴジラの登場シーンでの定番曲や咆哮は、映画館で映像と共に体験するのが良いですね。ゾクゾクしました。

何も考えずに映画を楽しんでしまったんですが、ひとつだけ違和感を感じてしまったので、その気持ちを書いておこうと思います。

それは劇中で何度かゴジラに立ち向かうために人々が「奮い立つ」シーンがあるのですが、あまりにも演技っぽくそこだけ浮き出て見えてしまったんです。

この違和感を自分なりに考えて一つの答えに辿り着きました。
それは「人は奮い立つのではなく、奮い立たせるんだ」ということです。

ゴジラという絶対的な恐怖に立ち向かう時に、自分の外からの影響(誰かによる説得など)を受けて思わず奮い立つようなことは無いのではと思いました。
きっかけとしては誰かの働きかけに感化させられることがあるけれど、自分が本当に変わる瞬間は、自分での意思によるものです。

映画の中の人は演技をしているけれど、現実で考えて自分を奮い立たせる行動が、素人演技っぽく見えるのは逆にリアルな状況なのではと受け取りました。

それが人々が奮い立たせるシーンが何だ素人っぽい演技で、リアルであればそんな感じにはならないのでは?と違和感を抱く理由だと思います。
でも、実はその演技っぽさがリアルだったという少々言っててややこしいことになるのです。

2回目を観に行こうか迷い中です。
どなたかこの違和感を共有できたら嬉しいんだけどな。

今日もいい1日です。

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