Mr.9

地方に住むアラフォー男 読書を通じて、新たな『気付き』や『腹落ちする感覚』に出会い、本…

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地方に住むアラフォー男 読書を通じて、新たな『気付き』や『腹落ちする感覚』に出会い、本の世界に 読めば読むほど、無知に気付き、過去から受け継がれてきた知をなぜ受け取って来なかったと、勝手に悔やむ。 自分は何者でもないが、何者かになれるのか悩んで生きている。

最近の記事

ニューヨークに行くことを決めた。

私はニューヨークへ行くことを決めた。旅行で 目的地の決定に深い理由はないが、旅によって影響を受けるならば、その効果・効能を最大限活かせるうちに!(少しでも若いうちに)という想いから旅をする決断に至った。 決断なんて大袈裟かもしれないけど、私にとっては言語や費用面で大きな不安がある。体力面は問題はない。 日本からアメリカなんて費用面で言えば最良な選択ではないかもしれない。 そしてアメリカの中でもニューヨークが良いと漠然と思ってしまった。 エンターテイメント、アート、世界経済の

    • 変わらないことにソワソワした新年度

      最近やっと春らしくなってきた。 春らしく? うまく言えないけど、外の匂いや肌に伝わる気温だけでは語れない暖かさを感じる。 幸い私は花粉症ではないので、花粉で春の訪れを感じることはない。 春といえば部署異動、異動される人は新天地で新たな勤務が始まる。 私は今の勤務場所のままで、業務内容も大きく変化することはない。 人間は本来変化に対してストレスを感じるので、ある意味現状維持は心の平穏が保たれる。 だけれど、異動する人たちを見ていると、心の持ち様ではなく、物理的に別な場所に行

      • 映画WILLを観た話

        先日、東出昌大さん出演の映画「WILL」を観てきました。 私が東出さんを認識したのは、当時購読していたメンズノンノの専属モデルオーディションが誌内でも取り上げられているときだ。 同性ながら、吸い込まれるような瞳に言葉を失っていた記憶がある。 認識はしたものの雑誌モデルの一人でしかなく、それ以上でも以下でもなかったが、少ししてテレビでも活躍が目立つようになっていた。 そしていつの間にか俳優になっていた。 その後、結婚されても離婚されても、特に気に留めることはなかったけれど

        • 日々是好日

          私は幸せだと思う。 大きな贅沢をしなければ食べていくこともできるし、住むところにも困っていない。 身体も健康で、眠れなくなるほど思い悩むことも今は無い。 平穏な日常に感謝している。 将来を考えて不安になること。 少し先の嫌な予定 それは先のことであって、今の自分には関係がない。 私は今この瞬間に注目している。 幸せになりたいと思うけれど、未来に幸せを感じることはできない。 幸せと思った時には、過去の出来事になっている。 幸せは結果だと言える。 人間は、良くも悪くも感

        ニューヨークに行くことを決めた。

          満たされない快感もある。

          モヤモヤが晴れたので、ここに記しておこう。 欲求が満たされる時、それは快感だ。 感覚で捉えられるもの、内から湧き出る興奮や感動。 絶頂期を迎えた後は下降線となるが、快感マウンテンの高低差があるほど、その破壊力は大きい。 しゃがみ込んで大きくジャンプするように、ときにはあえて我慢をして絶頂期に備えることもある。 お風呂に入る前にあえて体を冷やすように おやつを我慢して、晩御飯を迎えるように そこで考える。快感スパイスとしての我慢は我慢でしかないのか。 我慢は苦行であって

          満たされない快感もある。

          熟達論

          私は出来る限り読書をするように決めている。 読むスピードは決して速くはないが、今年に入って数冊読んでいる。 そして早速、衝撃を受ける本に出会うことができた。 元陸上選手でスプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者である為末大さんの本です。 私の肌感でしかないですが、スポーツ選手の著書はあまりコスパがいいイメージがないので手に取ることは少ないのですが、あるVoicyパーソナリティの方がオススメしていたので購入してみた。 まさに痒いところに手が届く素晴らしい本だ

          熟達論

          私に話す機会は与えられない。

          久しぶりに複数人(6人)で飲む機会があった。 最近は会話を大事にしていて、飲み会の席では3人が限界だと自分の中で決めていた。 あくまで私の話、大人数だと酔っ払って何を話したか分からない、覚えていない、特に内容なんて無い、そんな勿体無い経験が大半を占めていた。 中には初見の人もいて、どんな人のどんな考えに出会えるか少しワクワクして参加した。 結論から言うと、他人の思考に触れられてすごく楽しかったけれど、良くも悪くも上手く話せなかった。 側から見れば、ただ黙っていて話をしない

          私に話す機会は与えられない。

          私を円で囲む。

          私はやれることしかやらないし、やりたいことしかやらない。 この言葉は端的でありながら、私の多くを捉えている。 いろいろな私を円で書き出して、重なる部分であったり、包含している部分だったりする中でこの言葉でおおよその私を塗りつぶせるのではないかと思っている。 やりたいことしかやらない。 これは誰だってそう。 問題はやれることしかやらないという言葉とやりたく無いこととの関わりだ。 少しややこしくなるけど やれないことでも、やりたいことであればやる。 やれないことで、やりた

          私を円で囲む。

          私の今年の本との向き合い方

          気づいたら令和6年も既に10日以上過ぎていた。 新たな気持ちで新年を迎えた気がしていないけれど、読書に関しては今年はどんな本を読もうかなと考えていた。 そして新年1冊目に読んだ本はこちら 読書の効果を上げるために過去にも数冊、こう言った本を読んでいたけど、新年ということで今の自分はどれくらい本と向き合えているのか確認する気持ちで手にしてみた。 ほんの内容をより深く理解するには、どういった情報や知識に触れているのかを自覚し、本から何を学びたいのかを明確にしておく必要がある。

          私の今年の本との向き合い方

          態度に出る。ではなく出している。

          感情が込み上げてきて表情や態度に出る瞬間 客観的に見て認識できる状態になるその瞬間 自分でそうしたい(感情を表したい)からそうしている。 怒る時も 悲しむ時も 喜ぶ時も・・・ 自分がそうしたいから、表情や態度で表している。 何が言いたいのかというと、自分の意に反して抑えきれずに溢れているものではないと私は思う。 怒って声を荒げる人は、自分ではどうしようもなく大きな声が出てしまうのか。 決してそんなことはない。 途中、電話対応が入れば、受話器越しの相手にはいつも通りに接

          態度に出る。ではなく出している。

          余白を作ること、埋めること。

          余白を作ることと、余白の埋め方は非常に大切だと思っている。 新たなチャレンジをするにしても、すぐに取り組むのではなく、厳密には何かをやめることが必要だ。 何かを一旦やめて時間を確保すること、まさに余白を作ることだと思う。 私は(というか多くの人はおそらく)、余白があればすぐに埋めたくなる。 SNSやYouTube、読書、もっとまとまった時間であれば、ランニングや筋トレ、コーヒーを飲みにいってしまうかもしれない。 どれも余白に応じて差し込んでいく。 でも、注意したい。

          余白を作ること、埋めること。

          宅建試験に合格したこと。

          令和5年度の宅建試験に(ギリ)合格しました。 去年に続き2回目の挑戦でした。 受験理由は、誤解を恐れずにいうと「ただ何となく」です。 ただし、適当な気持ちで受験したわけではなかった。 今回合格できたこともあり、ここまでの気持ちを言語化しておきたい。 きっかけは2年前、多くの社会人が少なからず、1度くらいは、抱く感情だと思いますが、このままの自分でいいのか、自分には何も無いではないか、今後の人生への不安や焦りが、私の中で最高潮に達していた時期です。 コロナ禍でおうち時間

          宅建試験に合格したこと。

          時間の節約よりも消費の方が難しいかもしれない。という話

          まとまりはないかもしれないけど、川沿いを散歩している時にふと思ったことを書き留めておきたい。 「私たちは未来を見ることはできない。そして、未来は誰も分からない。」 景色を見ながら歩くことはあるけれど、おおむね進行方向を見ながら進んで行く。 そして、進んで行く先が私たちの未来だと錯覚をする。 確かにそのまま歩いていけば、数秒先の未来かもしれない。でもそれは絶対ではない。 認識することを考えると、後ろ向きに歩く方が人生としては近い間もしれない。 経験した瞬間から過去に向かって

          時間の節約よりも消費の方が難しいかもしれない。という話

          原因と結果の関係

          人生において、原因と結果の関係性は常に続くものです。 今回は少し考え方を変え、挑戦と成長に焦点を当ててみたいと思います。 多くの人が「原因があって結果がある」とよく考えますが、私たちは結果が出てから、それに合わせて過去を振り返り、原因を見ていることがあります。 それは角度を変えると、結果に合わせて都合よく原因を見つけているとも言えます。 もしかしたら答えが一つだとしても原因は複数あって、さらに異なる視点から見たときに異なる答えが上がることがあるかもしれません。 これは

          原因と結果の関係

          ゴジラ-1.0を観て感じたリアル

          先日、映画「ゴジラ-1.0」を観に行ってきました。 ※ネタバレはないです。 感想としては純粋に面白い物語でした。 やっぱりゴジラの登場シーンでの定番曲や咆哮は、映画館で映像と共に体験するのが良いですね。ゾクゾクしました。 何も考えずに映画を楽しんでしまったんですが、ひとつだけ違和感を感じてしまったので、その気持ちを書いておこうと思います。 それは劇中で何度かゴジラに立ち向かうために人々が「奮い立つ」シーンがあるのですが、あまりにも演技っぽくそこだけ浮き出て見えてしまった

          ゴジラ-1.0を観て感じたリアル

          言葉にできない浮遊感

          私は日々の生活を効率良く過ごしたいと思ってしまう。 その判断基準は「時間」だ。 時間をかける価値はあるのか、どうすれば最小限の時間で目標が達成できるのか。 些細なことも何となくこの価値基準で行動している気がする。 そんな自分が嫌いではないが、時間を使うことに臆病になっている場合も多い。 人生を楽しみきれていない気がする。 そんなことを考え出すと人生ってなんなんだ?生きる意味とは・・・見たいな深い森へ迷い込んでしまうので、スッと思考に蓋を閉じる。 それでも時々、生きる意

          言葉にできない浮遊感