教員として働くって鬱との戦い?④


  1. 新たな職場での出会い

  2. 突然の出来事

  3. その後

  1. 新たな職場での出会い
     新年度を迎える直前のことです。引き継ぎ会との名目での顔合わせ会が行われました。忘れもしない、同級生のお父さんが新校長として赴任することになっていました。そして、新2学年担任として働かせてもらえること、部活動は卓球部、その他校務分掌等が発表されました。初めての担任、どんな生徒達と出会えるのか、うまくやっていけるのか、不安ばかりでした。でも校長先生をはじめとする先生方がサポートしてくれるから大丈夫と背中を押してくれました。職員名簿を見ていると、自分が中学生の時にいた先生(当時はその先生の授業はありませんでした)がいたり、教育実習の時にお世話になった先生(何度か声をかけてもらい優しくしてくださったので覚えていました)もいました。そしてなんと、自分の高校時代の後輩もいたり…なんだか不思議な感覚でした。自分の知っている人と同じ学校で働く…色々な巡り合わせがあるもんだなと感じていました。
     初めて生徒達と顔を合わせた新任式。体育館での挨拶は何度やっても慣れません。終わるといざ教室へ。静かに座って待つ生徒達。ああ、こんないい生徒達とこれから過ごしていくんだなと思いながら改めての自己紹介。正直ずっと緊張しっぱなしで何を話したかは覚えていません。初めての学活、学年主任と副担任と打ち合わせをしてクラスの係決めや委員会決め、掲示物作成等を数日かけて行いました。もちろん学級目標を決めるのも初めて、何もかもが初めてで戸惑いながらも生徒達に助けられながら無事に全て終了。そうすると今度は家庭訪問(某ウイルスのため表札訪問兼通学路の確認、家の場所確認)の順番決め。誰がどこに住んでいるのか、そもそもその市がどんなところなのかすらも全く把握できていないため、生徒達に誰と誰が近くてどう行くのがいいのか、教えてもらいながら決めました。よし、これで完璧。あとは家庭訪問へ行くだけだ。あとはナビがどうにかしてくれる…はず。と信じて家庭訪問の日が近づいてくるのを待っていました。
     その間に通常の授業も始まりました。丁度、教科書が改訂になった時期と被っていたと思います。学習する内容がプラスされ、その内容も教えなければいけませんでした。今まで、高校で教えてきていたので、「教え方が高校生に向かって授業しているスタイルなんですかね?相手は中学2年生になったばっかりの生徒だということを意識して話し方や指示を明確にするようにしてくださいね。」とTTで入っていた同じ英語科の先生に教えを受けました。
     「確かに…」と自分の中でも腑に落ちるところが沢山あったので、どうすればいいのかを考えながら授業準備をし、授業をするようにしようと考えて今井sた。そんな矢先の出来事でした。

  2. 突然の出来事
     色々な書物を買い、どう授業をするべきかを考えながら日々過ごしていました。あっという間に家庭訪問の日を迎えました。初日は一軒目から見事に迷子。家の場所がどこだか分からない…ナビは少し古くてデータが最新のものになっていない、ケータイのGoogleマップもあまり調子が良くない…そんなこんなしながらなんとか1日目は終了。明日こそは迷わないで家庭訪問に行くぞ…と決意したが…
     次の日の朝、妻の様子がおかしい…。当時お腹に子供がいて、予定日までまだ1ヶ月程はある。「なんか液体が出てきて…、でも大丈夫だから仕事に行ってきなよ。」そう言われて、「大丈夫かな…」と思いつつ、とりあえず学校へ向かいました。半分ほど車を進めたところで、妻からの着信。「ごめん、戻ってきてくれないかな?今病院に電話したらこれ破水なんだって。」その時、やっぱりすぐに病院へ連れて行けばよかったと思いながら、教頭へ電話。突然の出来事だったので、「授業は他の先生へお願いしておくから、すぐに病院へ連れて行きなさい。」と言われたので、急いで帰宅。幸いにも出産準備に必要なものはあらかたまとめていたので、それらを持って急いで病院へ。妻を病院へ送り届けた後、他に必要そうなものを買い揃えて病院へ持って行きました。その時は付き添いができなかったため、家庭訪問だけすることに。その間、妻からの連絡は何もなし。無事に家庭訪問も終了し、誰も居ない家に着き、ずっとソワソワ。すると妻からの連絡が。「産まれた笑」「え」まさにこんな感じでした。まさか予定日より1ヶ月も早く産まれるなんて想像もしていませんでした。子供の体重が2,000gもなかったので、NICUというところに入ることになりました。次の日、学校で報告、家庭訪問も3日目で無事に終了し、妻から送られてくる子供の写真を見ながらニヤニヤする日が数日続きました。そして、ようやく面会することができ、初めて我が子を抱いた時、涙が急に出てきて、妻に笑われました。こんな小さな身体でよく産まれてきたな、産んでくれた妻にも感謝の気持ちでいっぱいでした。その日のことは今でも忘れられない思い出となりました。

  3. その後
     妻の入院期間が約1週間、息子はNICUからはまだ出られず様子を見ながらという方向で、順調に進んでいるかのように思っていました。あの時までは…。

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