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初めて入った喫茶店のマスターが不愛想なんだけど、なんか悪い人じゃないって思った話

早めのお昼に行こうと決めていた喫茶店はまだ開いていない。おそらく11時からだろう。その前の1時間、どうにか時間をつぶそう。お昼の楽しみはカツカレー。腹に入れるとしても珈琲一杯だな。せっかくの愛知、モーニング文化に触れておくには絶好の機会だ。そう自分を説得して僕は喫茶店を探す。こういう時のいつものやり方。Googleマップを開いて近所の喫茶店を調べる。載っている写真の雰囲気から自分の好みを探す。レビューや星の数など、当てにならないし、当てにしたくないと思っていながら、目に入ると心のどこかで参考にしている自分が憎らしい。

『一粒道喫茶店』(仮名)
漢字六文字。良い。落ち着いた店内と読書が合いそうな雰囲気が気に入った。ここだな。スーツケースを転がしながら歩を進める。イヤホンから流していたYouTubeをSpotifyに切り替え、頭の中のモードを変える。今日初めて一日がスタートする。店までの道中、雰囲気のいいお店の前で二、三度、立ち止まりながら目的地まで辿り着く。一回見落として通りすぎてしまったくらい外から見ると店は暗くて、近づいてやっと営業中であることが確認できた。店はガラス張りで入り口には店名が黄色の文字で書いてある。漢字六文字に使われているフォントを見て、当たりだな、と思った。店に入る。

喫茶店の雰囲気は外からも分かるが、マスターの雰囲気は分からない。でも、一歩店内に足を踏み入れれば、マスターの雰囲気は瞬時に分かる。伝わる。明らかに愛想が良くない。ファーストコンタクトでの声量。しぐさ。席までの道のりの中でマスターの雰囲気は完全に漏れ出る。愛想が良くない。でも、不思議と僕はマスターを信頼していた。素敵な店を作れる人はやはりどこか素敵でみんなやさしい。この店は僕に愛想の悪いマスターを信頼させる程度に良い店だった。僕は席への案内のないままに、なんとなく一番奥の角の席、カウンターではなく、マスターに背を向ける席を選んで座った。外から見た暗さからは想像できないほど、店内は明るかった。その明かりは無理矢理に目を覚まさせる大音量アラームのような明りではなく、ガラス張りの外側の太陽の光とやさしいオレンジライトの明かりだった。流れている音楽も店内の雰囲気とマッチしている。壁には僕の知らない有名そうな洋楽のレコードとハガキサイズくらいのなにが描いてあるのか分からない絵が飾られている。

ある程度、雰囲気に浸り終えるとメニューがないことに気づく。メニューを探して店内を見回す僕にマスターはさっとメニューを差し出す。これまたハガキサイズくらいの黒い厚紙。そこに白い文字でメニューが書かれている。手書き。コーヒーの種類も豊富。良い店だ。コーヒーに詳しくない僕は「本日のコーヒー」を頼むことにした。近くのお客さんが「モーニング」と口にしている。やはり愛知ではどこの店でもモーニングがあるのか。だが、メニューには見当たらない。まぁ、聞いてみよう。マスターを呼ぼうとして振り返ると、そこにはマスターはいなかった。さっきのお客の注文を聞いて裏に入ってしまったらしい。マスターを待ちながら、ふと、マスターの作業台が目に入る。僕の選んだ席は店の一番奥とあって、店で唯一マスターの手元が見える特等席だった。ごちゃっとした作業台。男の作業場という感じ。出しかけの小豆。マスターは戻ってきて、出しかけの小豆をパンにのせて先に来ていた老夫婦の席にもっていった。マスターの仕事がひと段落したその時、僕はマスターと目が合った。注文だ。
「本日のコーヒー1つ。あとモーニングって…」
マスターはメニューをぺらっとめくった。何度か確認したはずのメニューの中にしっかりとモーニングのページがあった。しまった。きちんと確認もせずに聞くという愚行、そうとられても仕方がない。そんな後悔を頭の中でしながら、よく考えることもなくバタートーストを頼んだ。それだけは+0円で注文できた。

僕は待ちながら、先日買った一冊の詩集を取り出して読んだ。喫茶店という静かで落ち着いた空間は詩を読むのに最適だ。しかし、その店に流れる曲はその日の僕のグルーヴにやけにマッチして文字の意味よりも音楽のリズムが入ってくる。そんなことを考えながら、のろのろと詩を読んだ。ふと、ガラス張りの外を見ると一人の少女と目が合った。店に興味があるのか、店の中を歩きながらのぞき込んでいた。その少女の目つきがやけに鋭くて記憶に残った。僕は詩集に目を戻す。詩は何度も読むうちにやわらかくなっていく、なんてことを考えながら切りのいいところでしおりを挟んで本を閉じた。なんだか詩を読むよりも書きたくなってきた。僕はA4サイズのノートとボールペンを取り出して、今の喫茶店の雰囲気を書き残そうと思った。この文章はここから書き始められている。

何を書くのか。ぼんやりとある。でも、その全ては言い表されていない。そんな時に、僕は書く。今日のテーマは「不愛想なマスター」だ。不愛想だなと普通に思った。なのに、このマスターはきっと良い人だ、そう思っている自分がいる。それが不思議で僕はペンをとったのだ。このマスターは悪い人じゃない。それを書きたくて。

少し人が入り始めて、マスターは忙しそうになっていた。僕の横に来たお客さんの注文を聞くとき、マスターは来ていたオレンジの上着を脱いでいた。忙しくなって上着を脱いで気合を入れるあたり、この人は悪い人じゃない。
上着を脱いだ下のシャツは濃い青の細い縦縞で、右上の肩のあたりにダサかわいいキャラクターのマークが入っている。悪い人じゃない。注文の聞き方、立ち方、やっぱり不愛想だ。僕の頼んだコーヒーが届いた。真っ白のティーカップと受け皿。ブラウン色に近いコーヒー。浮き上がる香り。湯気。ああ、いい店だ。そう思った。他愛もないノーデザインのカップでも、そのシルエットは目を引き寄せるものがある。僕はティーカップを持とうと思った手を止めた。カップだけをじっと見つめた。受け皿の直径の広さ。ティーカップの持ち手のキュートさ。カップの側面の誠実さ。飲み口の丸みのもつやさしさ。見ているだけで美しかった。このティーカップを見るためだけに、この喫茶店に来てもいいと本気で思った。冷めてしまうのも惜しいのでコーヒーを口に運ぶ。僕のあまり得意ではない酸味の効いた味だった。これもまた本日のコーヒー。おまかせの妙。

マスターは背中越しで常連らしき小豆を頼んだ老夫婦と喋っている。その喋り方は、今日初めての僕とのそれとは違って軽やかさと丁寧さを併せもっていた。やっぱり悪い人じゃない。その会話を聞くだけで、その老夫婦とマスターが共にしてきた時間が感じられる。いい喫茶店だ。
マスターはバタートーストをもってきた。パンを食べるのが下手なのは、日本人だからだろうか。どう頑張ってボロボロと乾いた小麦の残骸が落ちていく。付属の小さなお手ふきを相棒に僕はトーストを食べすすめる。トーストと合わせるコーヒーはとても良かった。ちょっと苦手だった酸味がバターの味とほどよくマッチしていた。トーストには500円玉くらいの小さな器がついてきた。そこには白い何かが入っていた。小さいスプーンがついていて、僕は何かのジャムかと思った。おそるおそるちょっと口に運んだ。よーぐると。確かに考えてみたらどう見てもヨーグルトだった。僕は自分の頭の中で起きた大外れあまり気にもとめず、もう一口ヨーグルトを味わった。

僕がモーニングを満喫している間に店内は人が入ったり出たりしていた。そういう雰囲気を背中越しに感じていた。さっきの小豆の老夫婦も店を出ていた。老夫婦のいた席を片付け机を吹いているのはマスターではなかった。さっきガラス越しに目の合った少女がそこにはいた。少女はおぼつきながら、しかし、手慣れた姿勢で席を掃除していた。娘さんだったのか。さっき見たやけに鋭い目つきをなんだか勝手に腑に落としながらマスターと少女を結びつけていた。女の子は笑うこともなく机を拭く。マスターの不愛想をしっかりと受け継いでいる。でも、その瞳は幼いのに既になにか芯のあるようなそんな強さを感じさせた。僕は、この文章でマスターが初登場するあたりのことを書きながら、女の子の仕事を見つめていた。

僕は文章を書きながら、だいぶゆっくりトーストを食べてコーヒーを飲んでいた。僕がヨーグルトを食べ終えるくらいにマスターは小学生の握りこぶしくらいのグラスでお水をもってきてくれた。コーヒー、トースト、ヨーグルト、全てを食べ終わってからも、僕はしばらくこの文章を書いていた。背中越しに聞こえるマスターの声。今度の常連さんは少し若い方らしく、マスターの口調も友達と話すように流れていた。話に夢中になっているのか、僕を気遣ってか、食べ終わってしばらくたっても、マスターはお皿を下げには来なかった。どちらにしても、悪い人じゃない。

入ってからもう一時間以上過ぎている。だいぶ長居してしまった。そろそろ目当ての喫茶店に行こう。喫茶店から喫茶店へのハシゴ。そういう日もたまにはいい。

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