k金太郎s

自分の人生がどうだったのか   残していいのか悪いのか分かりませんが 残してみたいと思…

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自分の人生がどうだったのか   残していいのか悪いのか分かりませんが 残してみたいと思います

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2023年 8月5日

飲んだくれじいさんが退院してこない  決して心配しているわけではない 前立腺がんの手術は終わって退院予定がもう3日も過ぎている 妻に聞いても何も返事しない わざわざ送って行ってやったのに  妻が妹にお金を渡しているのも知っている そらそうやろな 年金もなく 50歳から ほぼほぼ 仕事しなくなり 53歳になった時には全く仕事しなくなった  借金 ばっかり抱えてきて ほんまにろくでもない親や  子供が娘でよかったわ 私の親には何もしてないの 退院してこないのは心配でない た

    • 2023年1月15日

      またまた問題発生!  妻から初めて 義理の父親の病気を聞かされた  前立腺がんだそうだ 手術できるそうで大したことがないと聞かされた

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      • 2023年6月21日 妻は精神的病気なのか?

        またもはじまった 妻の理解しがたい  言動 なぜこうなるのだろう! 知人がバイクの事故で 手術を受けた  意識が戻らない状態になりICUに入っている  妻も知っている 知人 心配で妻と晩ごはんを食べながらはなしていた 保険には入っているのかとか、どんなレベルで危険なのかとか、 普通のひとなら心配して当たり前のような会話 突然 妻が私に あんたは人の不幸を喜んでるんやなと 言い放った? 私は 唖然とした この女 なにを考えてるのかと? なぜか私の親の話を切り出してきた

        • 私は何のために生きているこいつが私の人生をかき回す

          義理の父親 年金無し 財産なし  有るのは 謝金 病気 仕事嫌い 愛人 ギヤンブル好き 53歳で全く仕事しなくなり 生きている  私の親なら 等に見捨てられている 娘で良かっただろうね   私の親だったったら 妻もみすているだろね 実際 私の親には何もしてあげていない  どれだけ私達に金銭面でも助けてくれたか 私の両親 入院して亡くなるときも 妻はほぼほぼ知らん顔  見舞いにも 行っていない しかし 自分のろくでなしの親はよく見るよ  何の役にも立たないどころか 迷惑ばか

        2023年 8月5日

          私の人生 2023年4月

          天気もいいので 前々から計画していたお花見に行くことになった  またあの義理の親がついてくると思うと 少し気が重たかったけど。   娘婿 や 孫たちに会えるのも楽しみだから 妻が朝から つまらないことを言ったら 僕だけ行くのをやめようと思っていた。

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          私の人生 2023年4月

          私の人生8

          私がタクシーの乗務員になってからやっと妻も働くようになった。  しかし働くようになると態度も大きくなった。  母のこともあり色々と家ではギクシャクしている。 3女ができてもいつでも別れることは考えていた。 タクシーという仕事も大変でなかなか母親の見舞いにもあまり入ってねいなかった。 病院にまかせっきりで何もしていなかった。 朝早く病院から電話があり もう危険な状態と連絡があった。 また慌てて病院まで行ったが 死に目には会えなかった。  義理の母の葬式とは違い 私の母の葬式は

          私の人生8

          私の人生7

          妻の母親の闘病生活は 私の父親と同じ扱いにした   簡単に言うと 何もしていない。 結局乳がんから肺がんに転移して亡くなった。 葬式はびっくりしたけど 豪勢にした  妻の母親の兄妹がやっていることもあり 親父のときとは 全くちがった  結婚式も挙げていない私達は お互いの 遠くに住んでいる身内はしらなかった。  妻の母親の兄妹の人は あまり話せなかったが 悪い人には見えなかった  なぜ妻の母親があんなふうになったかは 義理父親のせいなのかと感じた。  今だに命日には 九州

          私の人生7

          私の人生6

          私が入院したことで 妻方の父親兄弟や身内の 本性がわかるようになった  こんなことばかり書いていると本当に自分がしんどくなるけど 長女だけには話しておこうと思ったが 長女も妻の話を信用して 聞き入れようとしないので  私の家族が悪いことしてないことをここに残したい。  私の肺炎も10日ぐらいの入院で済んだのだが その間にうちの親父の兄弟おじさんが亡くなった うちの親父の葬式にも出てきてくれていたので外室許可を無理矢理に貰って葬式に出た  私が入院していることは母には言ってい

          私の人生6

          私の人生5

          とび職へと本腰を入れようと 妻の身内の会社に入れてもらった。  義理の父の兄弟もそこで働いていた トラックの仕事もなかなか見つからないので こちらも給料が良かったのでやってみることにした。 そこで知り合った職人さんたちもいい人が多かった。 まあ義理の父の兄弟以外だか! そその職人さんたちに色々と教わった ロープの編み方からワイヤーの編み方まで 基本プランと鳶という仕事だった  化学工場などで機械のメンテナンスのために足場を組む仕事だ。 結構やばい薬品の所にも入った。

          私の人生5

          私の人生4 (波乱万丈)

          妻の母親が脳梗塞で倒れた 正直 ざまあみろとは思わなかった。  なぜなら 入院費用があるわけがないからだ。  全部こちらに回ってくる! 入院の初日に病院へ行ったが わざとらしく 私の前で 妻の母親は妻にお金を渡していた。  雛人形と同じバターンかと 思うしかなかった。 父親ときたら また何処かで飲んだくれている それは気にならないのかこの家族はと 私は思った。 妻の妹は 妻と付き合ってる時から 本当の妹のように思っていた  私は一人っ子なので 兄妹が欲しかったからだ。  

          私の人生4 (波乱万丈)

          私の人生3 (波乱万丈)

          好きやっていた彼女に子供が出来た時心境って複雑でした。  その時はまだバブルも弾ける少し前で生活力には自信があった。  彼女とも話をして一緒に産婦人科にも行き妊娠していると確信した。  二人で相談した結果結婚しようと決めた。 しかしここから妻の母親の攻撃が始まる  それまでも妻の家に何度も行って父親とも酒も飲んだり食事をしたりとしていた。  内心結構申し込みに行ったら喜んでくれるのかと思っていた。 それが全然反対だった。  妻の父親に話があると言っていたのに飲みに出かけてい

          私の人生3 (波乱万丈)

          久々の地元

          仕事の用事で地元の近くを通ることになったので 寄ってみることにした。  風景は全然変わっていないけど商店街はどこも閉まっているところが多かった 小さい頃よく行ってた天下茶屋商店街だ  自転車でよく走り回って行った 自分の娘たちもこの辺りの商店街でよく玩具やお菓子や買い物やとよく走り回っていた。 しかし本当にお店が潰れて言ってるんだなと実感した  10年前に母が亡くなった時 母は地元から離れていなかったので  お葬式も終わり家族全員でこの商店街を歩いた。  10年前よりす

          久々の地元

          私の人生2 (波乱万丈)

          18で車を買ったのはいいが まだ親と暮らしていたんで   早く1人暮らしかしたかった 車を買ったと同時ぐらいに マンションを探して一人暮らしを始めた  この時からもう毎晩のように車で走っていった  最初は高速道路や一般道を飛ばすばっかりだった  その時に本屋で見つけたオプションと言う ビデオテープ付きの本が出ていた  土屋健一というドリフトキング  僕はドリフトにのめり込んだ 車もいじれるところはいじって  休みのたんびに走りに行っていた 少しずつ上手になって 仲間も増えた

          私の人生2 (波乱万丈)

          私の人生 波乱万丈

          1970年大阪西成で生まれた 私 金太郎 昔で言う一人っ子の貧乏人のボンボン だけど結構辛い幼少期だった 物心ついた頃には 親父は建設業で働いていた よく仕事はしていたが 何かあるごとに母を殴っていた 今度ゆう DV  いつも親父の顔色ばかり見ていた 建設業の親方をやっているおやじの言葉は絶対だった 母も母で 親父がいない時には私にやつ当たっていた よく母に叩かれたことを覚えている   多分その当時は親父はかなり儲けていたと思う 外食もよく行った  欲しいものは何でも買ってく

          私の人生 波乱万丈