お好み焼き屋さんに「〇〇ちゃん」が多いわけ
広島に遊びに行った時
ヌマジ交通ミュージアムの他に
オタフクソースの工場見学にも
参加してきた。
お好み焼き屋さんのお店の名前で
「〇〇ちゃん」という
お名前にちゃん付けのお店が
多いことに気が付いている人は
どれくらいいるだろうか。
わたしは気がつかなんだ。汗
*
これの理由を知ったら
悲しくなった。
戦後、子供と年老いた家族を養うために
お母さんや奥さんが
稼ぐために開いたのが
配給された小麦を使っての
お好み焼き屋さん。
家も何もかも焼き尽くし
目印も番地もなくなってしまった。
当時は携帯する電話機器やら
GPSなんかも当然ない時代。
戦地へ行った夫に
帰って来てほしい、
わたしはここに居ますよと
知らせるために
屋号に自分の名前をつけて営業したという。
思いもよらず、平和学習となった
オタフクソースの工場見学。
お好み焼きの歴史は
戦争をけしかけ
多くを焼き
配給品として小麦を与えることまで
シュミレーションして
用意周到に考えていたかと思うと
お好み焼きを見る目が
変わってくる。
食べ物の誕生に
悲しさと希望の歴史あり。
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