やさしくなりたい

やさしくなりたいなぁと思うといつもこの曲が浮かんでくる。


つよくなりたいし、やさしくなりたいものである。


今日は初詣に行った。

そこでお守りを買った。

神社でお守りを買ってもレシートが発行されないので、そのお守りがいくらだったのか証明するものは掲示のみである。


何度計算しても告げられた金額と合計金額が合わないのである。

あれおかしいと最初に気が付いたのは父だったか。


正直わたしは「言いたい」と思ってしまったのだ。

たかが800円されど800円。
45分くらいの労働の価値があるだろう。
欲しい本だって買えるだろう。
それなりにいい金額である。

でも両親は言わないことを選んだ。

「別に気にしてないよ」と言った。


これって優しさなのかなぁと少し悩んでしまった。

だって800円なんてそんな軽い金額じゃないよ。
80円なら、8円なら、100円ならまだしも。

だけど、この「お金間違ってるよ」って言いたくなる気持ちは、『わたしの気持ちだけ』で出来ているのだ。


正直言わないことは優しさではないと思う。

でも「お金間違ってる」と堂々と言うのも違うんじゃないかと思う。


大事なのは考えるべきだったということだ。

闇雲に「お金が違う」というだけでは、正論を盾にして責め立てているだけだ。

冷静に相手はなぜ間違えたのか、どこに相違があったのか、今は忙しいのか、巫女さんは覚えているのか、全てを加味した上で適切な言い方を考えていうのが本当は一番正しかったんじゃないのか。


相手の間違えを闇雲に認めることが優しさと言ってしまうと、この世の中はどんどん間違った方向に進んでいってしまう。

一番大切なのは正論を素直にぶつけまくることではなく、相手の立場を加味した上で正論を「使いこなすこと」なのではないかと思った今日なのであった。

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