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役に立つか分からない試験に向けて

毎週投稿を続けていたのに、
早速、投稿ができていなかった。
先週は家族旅行を久しぶりにしたのでまぁ仕方ない。

今日は勉強中の資格(DELE)について書いていく。
DELEはIELTSのように、世界共通で言語スキルを
証明できる資格の一つ、なはずだと思う。
おそらくIELTSのスペイン語版なイメージ。

さっきから、~はず、~思う、おそらく~と
ずいぶん雑な認識で勉強をしているのだなと
感じている方がいるかもしれない。
でも実際そうなのだ。

明確な目的がないまま、資格の勉強をしたって意味がない。
何のための資格なのか理解したうえで効率よくスキルアップ、
市場価値を上げ、どこにいっても通用する人財に。

そんなことが潜在意識に刷り込まれているような気がするくらい
日本の社会で生きていれば耳にする。
いま、日本や社会という大きな括りで一括りにしてしまった。
少なくとも私がこれまで過ごした環境、いま生活している環境では
それが当たり前としてはびこっているような気がする。

私が資格を勉強したいと思ったのはなんとなくだ。
スペイン語圏でスペイン語を通し、現地に住む人たちと
お話ができたら楽しいだろうなぁと。
スペイン語圏に行かなくとも、
日本やほかの国にだってたくさんスペイン語を話す方はいる。
英語とスペイン語を話せるようになり、
より多くの人の考え方やあたたかさに触れたい。

将来のためになることはなる。
だけど、しっかりと将来設計をして勉強するわけではない。
どんなことであれ将来なにかに繋がっていくという根拠のない自信?願望?と、いまやってみたい!という熱々の気持ちを大事にしたい。
将来なんて誰もわからないのだから。

書いていて、少し自分がわかってきた気がする。
役に立つ・立たないで物事を考えたり、判断したりするのが苦手だ。
便利、コスパ、タイパという言葉があるようになんでも有効活用して、
人の役に立つ・立たないで価値が判断されることが多いような気がする。
人づきあいも同様に、自分のためになるか・ならないかで判断されていることもあると思う。

特に仕事をしていると、この人は抑えておいた方がいいだとか、どこで誰が助けてくれるかわからないから恩を売っておいた方がいいだとか、と教えてもらったことがある。先輩方は良かれと思って教えてくださっているから、ありがとうございますという気持ちはあれど、なんだそれ?と感じる。
自分ではない誰かのことを想う気持ちは、人として当たり前のことでそこに相手が自分にとって役に立つ・立たないという価値基準は本来入り込まないのではないだろうか。どう頑張ったって自己中心的な枠組みからは逃れられないのかもしれないが、そんな人にはなりたくないと思ってしまう。

仕事をすると、自分では気づかなかった感情がこみ上げてくる。
それがネガティブな感情のこともあるが、
働いてみなかったら分からなかったと思うと、それはそれでよかった。
社内政治、どこどこ出身、というのは本当にちっぽけ。
仕事場ではひととひとが接し合っているわけではなく、
資本主義という盤上で駒が駒を取り合い、際限のない領地争いをしているのかもしれない。世界の縮図のようだ。

DELEの話をしていたはずなのに、
脱線して世界の縮図とか書き始めている不思議。
繰り返される毎日を過ごしているようで
ちゃんと毎日ちがうことを感じ、考え、頑張っているのだなぁと
いつものように自分を甘やかす。
7月の試験に向け、今日も勉強する。

世界中のだれか一人でも、ほんの一瞬でも
温かい気持ちで繋がれたらいいな。
今日もよき人生の旅路を

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