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A Scarecrow Manみすぼらしいカカシ男


濃い灰色の雲が空を覆っているものの、その隙間から太陽の光が強く地面に反射する。空からは数滴の雨が降り注いでいる。田んぼからまっすぐ伸びている稲穂から雫が何度も落ちて個から集団へと消えていく。
「旅人さん。どちらへ行かれますでしょう。そちらはちと険しい道のりだ。」
カカシ男は生まれつきの笑顔の表情を一切変えずに旅人に話しかける。そして旅人も怯まず答える。
「そいつは知らなかった。行く場所なんか特に決めてはいないんだがね。ここに来るまでに随分と体力を使った。少し楽な道を行きたいね。」
「できなくはないがそいつはちと厳しいぜ。オイラはここから動けねんだ。この先の道は複雑で細かく教えてやりたいんだが如何せんどうも。」
カカシ男は笑顔を崩さずにいる。
「そいつは残念だ。でも引き返す選択肢は取れないからこのまま進ませていただくよ。自分で決めたことなんだ。」
「そうかい。そりゃ難儀なこった。旅人さんや。一つ聞くが、何故あんたは旅人をやっているんだい。オイラがカカシをやっているのは人間がカラスを追いやりたいからに過ぎないんだ。まあ要するに、この世に生まれたときからオイラがやることは決まってたってわけ。ただ、カラスだけじゃないぜ。オイラはイノシシや猿だって追いやったことがあるんだ。今じゃあ誇りを持ってるさ。」
「旅人も楽じゃないぜ。金はないのに腹はすくし、今の自分でいいのかって思い悩むこともある。でもなぜかと言われれば自由だからだな。きっと理由はそれだけさ。」
「自由ってのはなんだい。オイラは見たことがないな。」
旅人は少し考えて答えた。
「自由は良いものだよ。目には見えないけどね。でもさっきも言ったように自由はいいことばかりじゃない。そこには責任が伴うんだ。自分が行く道を決められる、食べるものも、明日なにをするかも自分が決められる素晴らしい権利なんだが安定した職に就かないでご飯が食えなくなっても、どっかで死んでしまっても誰のせいにもできないんだ。カカシさんは仮に雨に降られて寒くても、鷲につつかれても君を作った人間のせいにすればいい。それはそれで僕が持ってない素晴らしい権利だ。」
カカシ男は風に吹かれて着ている服がぱたぱたと音をたてる。
「自由について教えてくれてありがとな。でもオイラ頭があんまりよくなくてわからないんだ。日中は強い日差しやら雨風やらにさらされてしまうし、ただでさえ悪い頭が余計悪化しちまうってもんだ。それになぜだか農家のやつらが喋る言葉は理解できないんだ。まあ、話しかけてもくれないんだが」
「それは仕方ないさ。君が喋れるなんて誰も思わないだろうしね。僕もいささかびっくりしたさ。自由は、、そうだな。」
旅人はカカシ男に慎重に言葉を選びながら語りかける。

とある町に雨しか見たことがない男がいた。日中だって、夜中だって雨が降り続けていたんだ。雨が降っているから外に出かけることも仕事をすることもしない男は町に友達もいなかった。両親は男が仕事をしなくても何も言わなかったのでずっと家に籠って生活をしていた。一日にすることと言えばずっと窓の外を見て食事を待つことくらい。買い物すら自分でしたことがないし、それよりも学校にもあまり行ったことがなかったので文字もまともに読めなかった。家の1階には両親が読む本が沢山あったが2階にある自分の部屋からあまり出なかった男は、それらを一度も手に取ったことは無かった。
そんなある日、一匹の猫が外の塀から屋根に飛び乗ってきて2階の窓からいつものように景色を見ていたその男に話しかけたんだ。
猫は男と目を合わせて言った。
「なにをしているんだい旦那。」
男は答えた。
「やあ猫さん。こんにちは。見ての通り窓の外を見ているんだ。今日は相変わらずの雨ですね。」
猫は不思議な顔をして答えた。
「旦那、何をおっしゃる。雨なんて降っていないじゃないですか。今日も明日も快晴ですよ」って。
彼は自分で自分の手を縛り付けていることに気づいていなかったんだ。

「それでそのあとその男は家を出たの?」
「出ていないさ。飼い猫の傾向を知っているかい?二階建ての家に住んでいる猫に一階だけで長い間過ごさせていたとする。二階に上がる階段にはゲートをつけて上がれないようにしてね。そうすると猫はそのゲートの向こうに何があるのか興味があるように眺めるんだ。そんで急にある日ゲートを取っ払って二階に上がれるようにしたとする。そしたら猫は二階に上がると思う?」
カカシは答える。
「上がるんじゃないかな。」
「答えはNO。大抵はね。自由を得るには、自分の考えを疑う必要があるのさ。本当はおびえて踏み出さないだけじゃないか、僕は既に自由なんじゃないのかってね。2階に上がった猫でさえも僕ら人間からしたら不自由さ。まあ気づいてからも道のりはすごく長いんだけどね。」
「君はもう普通のカカシ男じゃない。自由を知ったカカシだ。この後どうするかは君が決めることだ。」
もうカカシ男は笑顔のまま返答しなかった。いや、もうできなくなったというのが正しいかもしれない。旅人はふと森に目をやると狐が2匹こちらをのぞき込んでいることに気が付き、目が数秒間あった。その直後に2匹の狐は森の奥に姿を消した。2匹の狐はどこか満足した顔であったように旅人は感じた。気が付くと雨は止んでいて沈黙と見渡す限りの深い森がそこには佇んでいた。もちろん、田んぼもなければカカシ男もどこにも見当たらなかった。


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