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父との別れ

先日、父が永眠しました。
宣告から一か月足らず、宣告された期間より遥かに短く父はこの世を去りました。
子供達はそれぞれに家庭を持ち、孫が5人いて、短くはない人生だったと思います。しかし私たち家族にとって父はたった一人、その父を急に亡くしたことは、言いようのない悲しみと喪失感です。

私は、20代で反抗期を迎えました。遅く来た反抗期は、溜まっていたと言わんばかりの勢いと壮絶さを持って爆発しました。
結婚をして子供を持ち、両親にはいつもあの頃のことを謝りたかった。
会うたびに年老いていく両親の姿に、いつか伝えなくてはと思っていた「ごめんね」が沢山ありました。「ごめんね」しか伝える言葉などないと思えるほど私はあの頃を後悔していました。

なのに、別れが近い父に会うたびに思い出すのは、もっと幼い頃のことばかりでした。ずっと忘れていた父との思い出が私の中に溢れてきました。

母の機嫌が悪い時、いつも父が私を連れ出してくれたこと。
山に行って、春には山菜を取り、おやつに黄いちごを沢山食べたこと。
秋にはきのこを取って、私が見つけたキノコの群れを嬉しそうに誉めてくれたこと。
川の中での足の運び方。川の水の冷たさも、しばらくすれば足が慣れる事。
父の好きだった喫茶店で、父はピザトーストとコーヒー、私は同じぴzトーストとバナナジュースを毎回注文したこと。
父から教わったことができた時、分かるたびにワクワクして嬉しくて必死に付いていったこと。
父の隣が私の定位置で、そこに居ると安心でワクワクして、父の真似がしたくて仕方なかったこと。
「父さんが見ててやるからやってみろ」父がよく私にかけてくれていた言葉。

10代で自分の父親を亡くし、若くして家長となり家を支えてきた父。
自分の夢も親族会議にかけられて諦めた父。
きつい仕事を中学卒業から定年まで勤め上げた父。
仕事が休みの日「嫌だ」と言いながら、必ず車で迎えに来てくれた父。
私の息子君を軽トラでよくお迎えに来てくれた父。

父のベッドの傍らで私の口から出る言葉は「ありがとう」ばかりでした。

忘れていた大切な思い出が溢れてきたことは、父からの最後のプレゼントだと思っています。
末っ子で甘えん坊な私は、これからも「お父さんが見ててやるからやってみろ」を信じてやっていこうと思います。


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