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【短編小説】青い目のお人形さん

 ご存知の方もいると思いますが、太平洋戦争前の昭和の初めころにアメリカから日米親善を目的として万単位の「青い目の人形」が贈られてきました。これに対して日本も答礼人形を送ったという話があります。
 残念なことに、青い目の人形は、戦争中に敵性人形として処分され、秘匿し残ったのは、四百にも満たない数だといわれています。
 これらの史実を下地として、日米友好を念頭に書いたのがこの物語です。既刊行の『孫のおあいて』に収録されていますが、多くの方々に読んでいただければ幸いと思い、投稿しました。 


 七月になり、梅雨が明けると晴れた日が続き、急に暑くなった。家の庭では、アブラゼミやミンミンゼミの混声合唱で、にぎやかなことこの上ないありさまだ。小学校が夏休みとなったので、御園弥一の末娘、円佳が孫の信也を連れて仙台に帰っていた。妻の虹子と娘がお茶のみをしている間に、弥一は、孫の信也に挑まれ将棋をしていた。

「そりゃ。王手だ」

 弥一が角で王将を取ろうとしたら銀で防がれ、あげくの果てに自分の王将が桂馬を張られ取られてしまった。信也が飛び上がって喜んだ。

「おじいちゃん。甘やかしちゃだめよ」

 すかさず娘の円佳がちょっかいを出し、妻の虹子は、
「人気取りなんだから」とやっかんだ。

「本当に負けたんだよ」

 弥一は、悪者にされて一応は抗弁したものの、内心では、孫が素直に喜んでるんだから、何も問題はないんじゃないのと一人納得していた。

「おじいちゃんは子供の時、将棋やってなかった?」

「うん。そんなにはね」

「へー。やってるもの何かなかったの」

「そうだなあ。言えるほどのものはないね」

 弥一は、六十年あまり前の遊び道具の乏しい、敗戦後の幼少の頃を思い起こしていた。孫の信也と比べれば、あまりにも違いすぎる時代の話だが、懐かしい感情が沸き上がり、胸がいっぱいになった。

 かなり前の話なので、それは、霧が周り一面に立ち込めているようで、すべてがはっきりと見えるわけではない。おぼろげな記憶を頼りに、弥一は、語り始めた。
 弥一は、日本が戦争に負ける直前に、父の御園高信に連れられ、母の京子と姉の美穂の四人で、大阪から父の生まれた山形縣の庄内に帰ってきた。父の生家の土蔵で四年ほど貧乏暮らしをした後に、幸いにも父が警察官の職を得て、名前も思い出せないが、村山地方のある村の駐在所に着任することになった。
 四歳になったばかりの弥一には、運命にあらがうすべは何もなかったのであり、記憶もあいまいな中でとにかく駐在所についていた。途中の最上川の橋の上で行き会った人から聞いた、
「んだずにゃー」というその土地の言葉だけが、その抑揚とともにずっと長い間耳に残っていた。
 駐在所のある村は、最上川沿いにあり、山の迫る山村だった。駐在所の隣に大きな民家があり、そこには小さな女の子がいて、姉の美穂とよく遊んでいた記憶がある。その家の庭に沿って、用水路があり、そこには、小さな川蟹が横歩きしていた。最上川の川辺に行けば、浅瀬に小魚が泳いでおり、手拭いで寄せて、捕ろうとして遊んだ。とにかく自然が豊かな土地で、駐在所の前の土地には、イチゴがいっぱい生えていて蔓がどんどん伸びて、赤い実が沢山なっていた。
 近くに男の子もいないし、まだ幼かったので、何かで遊んだという記憶は残っていない。うちの中で、姉が行李のふたの中に入ってゆさゆさ揺すって遊んでいたことがおぼろに記憶に残っている。とにかく戦後まもなくで遊び道具はなかったのだ。
 ある日の夜、弥一は、母の京子に連れられ夜道を歩いていた。ふと上を見ると、何か分からないが、青白い丸みのあるものが空をゆるゆる動いていた。

「お母さん。あれは何?」
 

 息子の問いに、京子もみあげ、しばらく動きを見ていたが、何とも言えず、体に震えが走った。

「何だろうね。ひょっとすると人魂じゃないの」

 しばらくして、そう言ってみたものの、京子は、自分の言葉にもおびえ、震えが止まらなくなった。
 姉の美穂も空をみあげ眺めていたが、すぐに
「怖い、怖い」といって、一番怖がっている母にしがみついていった。

「さあ。さあ。うちに帰ろう」

 母の慌てた様子に、引っ張られた手の痛さとともに、弥一も怖くなり泣きそうになりながら、うちの玄関に駆け込んだ。黒い闇の中で、周りの樹木の小枝がざわざわと風に揺れていた。
 ちょっと見ただけでは穏やかで平和そうな村だったが、時が過ぎていく中で、いくつかの事件が起きた。最上川で人が流されたとか、爆弾みたいなものを拾い、いじっていたら爆発したとか、空き巣に入られたとか、許可なしに日本刀を持っていたとか、大から小まで色々なものがあった。そのたびに父の高信があちこち駆けずり回ったのだ。

 翌年、弥一は五歳になった。六月になったある日に、初夏の明るい日差しの中、昼食の後に弥一は、一人で家から抜け出し小さな冒険に出かけた。新しい下駄をはき、村のはずれの小川の辺にたどり着いていた。そこは、若緑の樹木の葉が太陽の光で金色に輝き、水面は、木の葉からのこぼれ日できらきら光っていた。川面にはトンボが飛び、中には水藻につかまり尻尾を水に入れ産卵しているのも見られた。
 弥一は、この小さな冒険に夢中になり、浅瀬に入ったり、あちこち動き回っているうちに下駄のあり場所が分からなくなった。それどころか小川の上流深く入り込みすぎて、家に帰る道も見失っていた。それに気づき、下駄のことでは、母に叱られると思い、帰る道は分からなくなり、明るい太陽の光を浴びながら、怖さと心細さで泣き出していた。
 しばらく泣いていると、馬の走るひづめの音がして、弥一の近くで止まり、人の下りる音がした。

「ホワットズザマター?(どうしたの?)」

 弥一は、女の人の声を聞いて、そちらを見ると、思わず叫んでいた。

「あっ。青い目のお人形さん」

 父親の生家で見たことのある人形を思い出したのだ。そして、初めて見る外国の人に驚き、とっさに逃げようとした。けれどもそれよりも早く、若い女の人に手首をつかまれてしまった。

「ドントゴーアウエイ・(逃げないで)」

 女の人は、しゃがみ込み、弥一の目の高さで、再び問いかけてきた。

「ホワットハプンド? アンドユドントプットオンユアシューズ・(何があったの?それに靴も履いていないじゃないの)」

 弥一には、何も分からず、また泣き出した。すると、女の人は、困ったような顔をしながらたどたどしい日本語を話した。

「おうちはどこ?なまえは?」

 それを聞いた弥一は、
「やいち」といったきり、後は泣きじゃくりながら首を振るばかりだった。

「オー・ユアラロストチャイルド・レッツゴートウザポリスボックスオンホースバック・(迷子ね。馬に乗って駐在所に行きましょう)」

 女の人は、馬を指さして、乗る仕草をし、弥一の手を引き近寄って、その体を力を込めて押し上げた。馬の背に乗ったら意外な高さに、弥一は落ちまいとして馬のたてがみにしがみついた。そして、弥一を抱きかかえるように女の人が後ろに乗り、二人は、駐在所に向かった。女の人の甘い香りが弥一の周りに漂った。
 女の人が弥一を連れて駐在所に入ると、二人を見た父親の高信がびっくり顔で口をあんぐり開けた。

「ハロー・マイネムイズマーガレット・アイブロートアロストチャイルド・(こんにちは。マーガレットといいます。迷子を連れてきました)」

 マーガレットが事情を説明すると高信がしどろもどろに英語を発した。

「ア…、アロストチャイルド?ヒ…、ヒイズマイサン・(迷子だって?うちの息子だよ)」

「ホワット!ユアサン・(なんですって。あなたの息子さん)」

 マーガレットが驚いて、両手を大きく広げたと思ったら、その手ですぐに顔を覆ってしまった。
 それを見て、弥一が父に向かって口を尖らした。

「青い目のお人形さんだよ。いじめちゃだめだよ」

 両手を取り、弥一を見たマーガレットが高信に顔を向けた。

「ホワットデドヒセイ?(なんて言いましたか)」

「ヒセッドユアラブルーアイドドル・(青い目のお人形さんと言ったんだよ)」

「オー・アイムノットアドル・バットグラッドトヒアザット・(人形じゃないわ。でもそれを聞いて嬉しいよ)」

 マーガレットが笑顔を浮かべて、弥一の頭をなでた。

「バイザウエイ・ホエアイズユアプレイス?(ところで、どこに住んでるの?)」

 高信は、見当はついていたものの、マーガレットに形だけでもと思い、問いかけた。

「アイムアソルジャースドーターオブジンマチキャンプ・(神町キャンプの軍人の娘です)」

「アイシー・サンクスアロットフアーブリンギングマイサン・(分かった。息子を連れてきてくれてありがとう)」

「ノットアトオール・ウエルアイルカムバックトマイプレイス・バイバイキッド・グッドラック・(いいえ。それじゃうちに帰ります。さよなら坊や。げんきでね)」

 マーガレットは、弥一ににこやかに笑いかけ、馬に乗って駆け去っていった。

 それから二か月後のある日に、アメリカから弥一宛てに小包が届いた。かなり大きなもので、母の京子が両手で抱えて持ってきて、弥一の前に置いた。

「何だろうね。開けてみようか」

 京子がハサミを持ってきて、小包のひもを切り、箱を開けると、あの時の馬上で嗅いだ甘い香りが漂い出て、人形の顔が現れた。

「あっ。青い目のお人形さんだ」

 弥一が、急いで手を伸ばし引き出そうとすると
「壊れると悪いからそっとね」と京子が手を添え。静かに取り出した。
五十センチぐらいの大きさだったが、改めて母から手渡されると、弥一は恥ずかしそうに人形を抱きかかえた。それを見ていた姉の美穂に
「私も抱きたい」と言われすぐに取り上げられてしまい、弥一が泣き出した。
 小包には一緒に手紙が入っており、父の高信が日本語に直し読んでくれた。

「弥一坊やに、青い目のお人形さんと言われ嬉しかった。私は、十八歳だけど、父に連れられ日本に行ってよかったと思っている。母からは、二つの国が仲良くするために、今から二十年ぐらい前に、アメリカから日本に青い目の人形が贈られたと聞いたことがある。それに対し、日本からも人形が贈られてきたとも。
 戦争で日本の人たちが大変ひどい目にあったことも知り心痛むのだけれども、弥一坊やが青い目の人形のことを知っていたことに遠い異国であることも忘れ、人形の話は本当だったと嬉しさが倍増したわ。
 あの日は、間もなく父が帰国することになったので、いつも危ないから出るなと言われていたけど、どうしてもキャンプの外が見たくなって、こっそりと一人で馬に乗って、この地で最後の冒険に出たのよ。
 そしたら弥一坊やが泣いていたのよね。構わないで駆け抜けようかと思ったけど、とても悲しそうで、可哀そうに思って声をかけたの。それで、交番に連れて行ったら、そこの子供だというし、とてもびっくりしたわ。
 坊やのパパが英語を話せたので、良かったけど、その時は夢中で、言葉のことは考えもしてなかったんだけどね。夕方うちに帰ったら、母にひどく叱られたけど、弥一坊やのことを話したら、人助けをしたのねと許してくれた。
 それでね。また日本に行きたいけど無理だと思うし、私の代わりにアメリカの人形を送るから大事にしてね。マーガレット」

 父から手紙の内容を聞かされ、それを渡されると、弥一は、姉に人形を取り上げられた悔しさも忘れ、マーガレットの書いた読めもしない文字に見入っていた。
 その贈り物のお返しに、日本の男の子の人形を送ると、すぐにお礼の手紙が来て、人形に弥一と名付けて暖炉の上に飾っているとの知らせがもたらされた。この手紙により、送った人形の名が弥一になったとの話なので、青い目の人形はマーガレットと名付けられた。

 弥一の話が終わると、孫の信也が待ちかねたように体を揺すった。

「ねえ。ねえ。おじいちゃん。青い目のお人形さん、あっちの部屋にあったよね」

「うん。あるよ。ちょっと待って。今持ってくるから」

 弥一が床の間がある部屋に行き、ガラスケースの中から青い目の人形を取り出し戻ってきた。

「はい。マーガレットちゃんだよ」

 信也は、手渡されるとぎこちなく抱きかかえ、揺り動かしながら弥一の幼い時と同じように照れ臭そうに笑った。


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