積ん読日記⑥

深夜、コンビニへ。風がつめたい。

先日、司馬遼太郎さんの講演CDを、図書館で借りた。やわらかく、ぬくもりのある声である。泉鏡花、夏目漱石の文体について語っていた。

司馬さんによると、泉鏡花の文体は天才的だが、日常生活のあれこれを表現するのは難しい。日常を表現するのに適した文体を発明したのは漱石だ、とのこと。不勉強のぼくには、司馬さんから学ぶことが多い。

司馬さんの読書範囲は広い。歴史だけではない。国内外の文学、民俗学、思想など、たくさんの書物を読んでいる。エッセイ集「街道をゆく」では、スピノザやジョイスについて書いている。

司馬さんのエッセイ集では、「風塵抄」が好きだ。やわらかい文体で、ふかくものごとを見つめる。

ぜひ、創造の志をもつ若者こそ、学校に行ってもらいたい。たとえ学者にならなくても、世の中によき活性をあたえてくれる人になるにちがいない。
「教養を身につけたいのです」というのなら、しいて大学へゆく必要はない。両親に経済力があれば四、五年の余暇をもらい、江戸時代の知識人がすべてそうしたように、ほうぼうの塾へゆくことである。もっともこんにち、外国語の塾はあっても、漢学塾や日本古典の塾、哲学の塾、経済概論や法律概論の塾はなさそうである。しかし社会に需要があればやがてできるにちがいない。

風塵抄より

すきな文章だ。こういう「塾」があれば、行ってみたい。だが、いま日本にあるのは、大学進学の塾が大半だろう。オトナでも通える塾というのは多分、ない。ううむ、さみしいことだ。日本が「学問大国」になれば良いのに。この文章を読むたび、おもう。

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