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2/11 積み重ねと反復のトレーニング

文章でもまともに話せなくなったことをこの一年痛感しています。意欲や興味も年々どんどん減退していく。だから頭の体操のために、出来るだけ毎日日記を書こうと思います。

私は近所で後ろ指をさされる放置児でした。物心付いたときには年が離れて優秀な姉が既に完成していて、育て辛く賢くない私に親は無関心でした。
唯一受け継いだものは父の読書習慣で、それがあるから国語にだけは困らずに育ちました。言語関係の分野は処理能力に比べて努力で伸びると聞きます。これも一長一短で、現代文だけは出来たが故に学生時代の私の評価は「勉強はできるはずなのにやらない怠惰な学生」でした。そんなことはなかったのになあ。

精神障害者の発達障がいも障害者雇用のハードルが高いと感じています。
働いていない間も試行錯誤していた、在宅のでフリーランスで収入を得る目処は立つのですが、
そもそも連絡が取れる親族がいない→自前で賃貸を借りたい→精神障害者だと伝わると大家さんからNGが出るので、障がい年金は隠し企業に所属してその年収だけで審査が通らなければいけない。規模の小さなフリーランスは審査に不利で障がい年金は加味されません。結局今まで通りフルタイムである程度の収入を確保しなければいけない。難しいところで、結局派遣のお仕事に戻ろうか迷っています。永久に一人で息だけしていることを私は多分幸せとは思えません。社会にいることは確かに耐え難い苦痛ですが。

就職の片手間にこつこつ計画を実行出来る人間であることを証明するために、幾つか資格を取ることにしました。自己PRに繋げるために。
全く話を聞いていなかった数学を今更やっています。どうしてそうなるのかを考えながらゆっくり解いていくと、焦点を当てて解かなければいけない部分を見誤りがちなことに気付きます。
面接を通して感じていた自分の弱点と共通していて、数学は本当に生きるための勉強だったんだなと思い知る。楽しくはありませんが、努力は続けていきたい。
勉強に関しては基礎を咀嚼し、反復すればある程度のラインまでは誰でもたどり着けるはずです。その反復の回数が人によって違うだけで。

私は姉にはなれませんが、何かを成し遂げられることを自分に証明しなければいけなかった。それが就職という形に結びつかずとも生きていくだけならなんとかなることをもう学びました。社会と関わりたいだけで、就職のミスマッチはお互いに不幸になることをこれまで散々学んできました。だから、落ち込むこともあるけれど以前よりずっと楽観的でいられます。

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