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#4 高校教諭40代・不妊治療を始める③

まさかまさかの3軒目…麻酔から目が覚め、驚くべきことが…

 2件目の病院で、気持ちに寄り添ってもらえない寂しさを感じていた私ですが、2軒目での出来事は、本当に子どもが欲しいのかをもう一度考えるきっかけを与えてくれました。今の時代(2軒目に通院していたのは10年ほど前ではありますが)子どもがいなければならない…という世間の目…的な縛りは昔ほどありません。不妊治療をしなければ男性不妊で悩むことも、仕事の両立で悩むこともなく過ごせます。ただ、中高の教員になった理由の一つは、生徒たちが好きで、生徒たちのために何かしたいという思いからでした(あくまで理想)。そう思って長年教員を勤めているうちに、自分の子どもを持ちたいと思う気持ちが生まれたのです…。

 …あ、すごくきれいごとでした。
 すみません。
 理由なんてあるようでない。
 とにかく自分の子どもを抱きたかった。
 これに尽きます。
 
何度も自分に問うて、色々な考え方がある中で、やはり私はできる限りのことをして、それでもだめなら仕方のないことですが、三十代の終わりにさしかかり…このままで終わってしまうのはもったいない気がしました。
 そんな時、学校に数年前に卒業した元生徒が顔を出してくれました。その生徒は不育症の治療をして第一子を出産したとのこと。その元生徒が、少し遠いけれど…といって紹介してくれたのが産婦人科がありました。
 この医院も、これまた男性芸能人が不妊で、それを発見し治療したということで、一時期マスコミにも取り上げられていました。

 ただ、少し遠い…(九州です)。

  その院長が比較的家の近くの医院に月一で来ているということを聞き、一度通院してみました。内診をした際先生は、
「まだまだ子宮も若いし、うちだったら妊娠できますよ!」
と優しく仰ってくださいました。その言葉がうれしくて、やるだけのことをやってみようと夫と話し合いました。

 口コミを信じてすがる思いで通うことにした医院。
 でも、通院は飛行機か新幹線でなければいけない距離
 そのうえ、待ち時間も長く、診察も短い

 わかっていたはずなのに(泣)
想像以上の患者数…。待合室の椅子が足りずに奥からパイプ椅子を出してくれるものの慢性不足している状態。

 

 あるとき、採卵するときの麻酔がきつく感じられ、麻酔が覚めてからもぼんやり…にもかかわらず、患者数が多いのでベットが足りず、フラフラな状態で、椅子に移動させられることがありました。

 どうにもこうにも気持ちが悪いので「先生を呼んでください」と看護師さんに助けを求めました。でも先生はすぐには来てはくれませんでした。
私は苦しかったので、その時間がとても長く感じられたのだと思います

ゆっくりと歩くスリッパの音。先生がやっと来てくれました。


でも…私の顔を見て、
「なんだ、大丈夫じゃないか、誰だ?呼んだの?」とボソリ。
こんなことで呼ぶなと言わんばかりの不満そうな顔。

はじめて内診した際、「うちにおいでよ」と言ってくれた優しそうな先生と同一人物であるはずなのに、別人の顔でした。

麻酔後の私にとっては堪えた出来事でした。

また、遠くから通っていることを医院側も了承の上のはずなのに、
自己注射をして何日後かに朝電話をすると、「今日来れますか?」と聞かれることもあって、(それが採卵のベストのタイミングなのだと思うが)すぐに対応できないこともあったので、後日医院にメールをし、
・こちらも時間との戦いで必死に通院している。その思いを理解していただきたい(パンフレットには温情の言葉が並んでいるのに、実際通うと先程のようなことがあって寂しく感じたのです)。
・なるべく仕事と両立をしてほしく、急に今日採卵しますとか、ではなく、先々の予定を「こんな感じで」でいいので見通しをつけて話をしてほしい。 

 という趣旨のメールをしました。 
その後「仰るようにいたします。」という旨のメールは来たが、冷静に考えて、あの時の冷徹な医師の顔を思い出すとその病院には通えなくなって、凍結卵子が無くなった時点で通院をやめました。
 直感的に、これ以上通うと自分の身体が危ない気がしたのです。


本当にひどい…!
どうして私は患者に寄り添ってくれないような
変な医院ばかり選んでしまうのだろう…。

でも、私はそこで同時に反省をした。

どこどこの医院に通っていることに安心、満足してしまい、自分で勉強することもなく、医院の言うままになってしまっていた…よね自分?

こういう状況にしているのは自分ではないのか?

自分は甘えていたな と。


産婦人科はいくらでもある。
もう一度精査して自分できちんと調べよう。
今までの医院が悪いということではなく、
わざわざ新幹線や飛行機を使わなくとも自宅から通える自分に合う医院はあるのではないか。人の意見に流されず。

そう、これがきっかけで、治療を少しだけやすんで、
じっくり自分のこと、
そして自分に合う医院のことを考え調べはじめたのです。
そういう意味では、ここから少し私は考え方が変わりました。

 
 数年後、娘を身ごもってから(つわりがひどい中だったように思う)ぼんやりテレビでニュースを見ていると、不妊治療中の女性が手術で亡くなったとの報道がなされていました。
なんだか見覚えのある建物。
それは私が通っていた、そして直感的に通院を自らやめた医院でした。


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