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階段ぶっ壊し

和歌山留学から戻ってきて、いろんな人にどうだった〜?と聞かれる日々が始まっている。

楽しかったよ〜

と答えるけど、明確に何を得た!の段階にはまだ入っていない。

これから時間が経つにつれて、自分の選択した事の意義とか、拾得物が見つかるのはわかってるから焦ってはいない。

でも、今日はその1つ目がふんわりと見つかって嬉しかったので書き残すことにする。


私と焦りバトル

大学に入ってから、私はとにかく焦っていた。何度もnoteに書き出したように、焦っては病んで、焦っては動いて、焦っては自分を見失って、焦って焦って、、

焦ってばかりいて、大好きな好奇心がどっかに行ってしまって、楽しそうな人を見ては心のどこかで壁を作った。

大学にいる意味は何だとか、自分がしなきゃいけないことを見つけなければとか、この課題やってて何になるんだとか、就活のために大学生を使いたくないよなとか。

もうとにかく、その時その時違うことを考えて、未来に絶望する。今を見失うことばかりで、何をやってもしっくり来ない日々。

これはいけないと思って休学しても焦って焦って。

人と違う道を進むというのは、かなり勇気が必要だとは言うけど、かなりどころか、それよりもっと苦しむ覚悟もしておかなければいけなかった。

私は積極的休学だけど、心はマイナスで入ったから、自分の選択を疑う時間も多かった。

周りは勉強して、サークルや団体の活動をして、アルバイトをして、楽しく遊んで。

人の頑張りを自分の糧にできる時もあれば、羨んで、少し憎く思う自分だっていた。

楽しいことが何かわからない日々は、興味のない必修の授業を90分、ただただ座って受けている方がましなような気もしてくるようになる。


階段差

和歌山に行って、異国のような生活環境で暮らしていくうちに、その焦りは少しずつ和らいでいった。

柔らかくなってるだけで、別になくなんない。

焦ることが日常茶飯事すぎて、もはや友達みたいになった。

山奥で、やろうと思っても同年代の友達と同じことができない環境は、自分にとってかなり良薬だった。

自分の焦りは未来のこともあるけど、他人と比べて自分があまりにもできないことが多すぎると感じることから多く生まれてきていたように思う。

ほぼ、50〜60代の人ばかりに囲まれ生活するのはとても面白かった。仕事の合間や休憩してる時に、生きる伝説のような昔話を聞かせてくれる。

排泄物を桶に溜めて畑の肥料にするために天秤棒で運んでいた。
とか

井戸で冷やしたスイカが上げられてきたのをみて、どうして井戸からスイカが育って出てくるのかがわからなかった。
とか

教科書の話されてるかと思った。

大学にいると、同じ時代を小中高を経て、大学にやってきた人しかいないから、同じ階段上でしか自分と他人を見られなかったけど、和歌山では、そもそものぼってる階段も異なれば、のぼってないのかもしれないとすら思えて、焦りが和らいだのかもしれない。


階段ぶっ壊し

先日、とっても久しぶりに大学の友達に会った。

留学から帰ってきた子で、同じ学生団体の同期で、昨年は相棒のようにいろいろ一緒にやっていた。

その子はすごく頑張り屋で、勉強熱心で、威張ったりしない。謙虚だし、やりたいことを見つけて横にそれない姿勢がかっこいい。

相棒でもあり、少しライバル意識のようなものもあり、自分を奮い立たせてくれる存在。

でも、劣等感もあった。

同じフィールドで、似たようなことをやっているのに、全然横に立っているような気がしなくて、どこまで自分を開いていいかわからなくて、勝手に相棒みたいだと思っていて恥ずかしいだとか、うだうだ考えた結果、なんだか相手にも踏み込みきれない感じになってしまった。

それが休学前の話。

戻ってきて、改めて会って話してみて、心にモヤモヤする感じもないし、素直に相手のやっていること、やりたいことをすごく応援したいと思えていて、劣等感もなく認められていた気がした。

会ってよかったと心から思った。

焦りがゆるくなったからなのか、自分のやりたい道を少し見据えられたからなのか、自分の心に余裕ができたなと、キーマカレーを食べながらふと思った。

なんだかすごく嬉しかった。

戻ってきて、会いたいと言ってくれて、話を聞いてくれて、話してくれる相手に引け目を感じずに、真っ当に向き合って話せることがすごく嬉しかった。

ずっと、階段の上にいる存在ではなくて、横に立って堂々と、仲間で友達で尊敬できる存在で相棒であればいいのにと、心の片隅で思っていたから。

自分の中で、他人をみる場所を階段ではなく、ただの線にできたような、そんな感覚だった。

読んで、不快にならないといいんだけど。
これラブレターだから。


1つ目の拾い物

階段ぶっ壊しのマインドがもどってきた?得た?のは大きなことだなと思うのだ。

なんともぐちゃぐちゃで汚い私の心が、すこし整頓されたような感じがして、心が穏やか。

誰にでも汚い部分はあるのは当たり前だと言われたけど、やっぱり出来るだけクリアな人間でありたいと思う。

だから、もっとさらけ出せるようになりたいし、少しずつ消えていけばいい。

そしたら、強くなれる気がする。

先輩が、
「強さと弱さのブレンド研究してるような生き方が好きだ」と言ってくれて、私はその言葉の並びが好きだとここでお返事させてもらう。

私は弱さばかりだから、もう少し強さの研究して、ちょうどいいくらいになったら研究結果のプレゼンでもさせてもらおう。

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