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エッセイ

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それでもなおと、ぼくは

*2016年3月22日に書いた記事のリライトです。 3月の卒業シーズン。 僕が大学で知り合った最後の代の後輩たちが、今日、大学を卒業した。 社会人になる君たちに。みたいな偉そうな文章は書けないから、自分自身の心がけていることを書いて、それを彼らへのエールとしたい。 大学生活最後の授業で、顔も名前も覚えていない教授が送ってくれた、マックス・ウェーバーのこんな言葉がある。 現実の世の中が -自分の立場から見て- どんなに愚かであり卑俗であっても、断じてくじけない人間。どんな

かぎりなく0に近いなにかへ、そして、1になる

*2017年6月7日に書いた記事のリライトです。 獣肉処理場にひとり佇む。目の前には血抜きを終えた鹿が吊られている。 吐き気がする。冷や汗がにじみ出る。ナイフを持つ手が震えているのがわかる。……気がした。 山へ罠を仕掛けに行く。 「獣たち、どうか俺みたいな半端が掛けた罠を踏んでくれるなよ。もしそうなったら俺はお前らの生命を奪わにゃいかん」。くくり罠を地面に埋めながら、心からそう願っている自分にハッと気づいて、思わずその罠を放り投げた。 でも、もったいないからちゃんと拾って、

曰く、この世は生きるに値する

2013年、秋。 当時お付き合いしていた女性と、東京は立川のワンルームで同棲していた時のことだ。 着の身着のままで二人で東京に引っ越してきてばかり。お金もなくひどく物の少ない部屋のなか、床に座って備え付けのテレビを二人で眺めていた。 見つめる画面の向こうには、スタジオジブリの宮崎駿監督。 映画「風立ちぬ」の劇場上映が終わり、今度こそ本当に現役を引退すると、記者会見に応じていた。 僕は児童文学の多くの作品に影響を受けてこの世界に入ったので、基本的に子供たちに「この世は生きる

いや、これは決して強者の理論なんかじゃない。虐げられてきた弱者の、それでもなおと戦っている人たちの、希望をこめた言葉だ。

先日、日韓関係についての記事を投稿した。 じつはこの話には続きがある。 ぼくが釜山でイベントをした夜には、韓国で結婚をされた日本人女性も参加していて、ぼくは彼女と二人で日韓関係の話をしていた。 「どんな過去があったにせよ、今の僕たちにできることは、この先にどんな未来を一緒につくっていきたいか、ということではないでしょうか。その未来への目的を共有したうえで、過去に囚われず、過去に学んで、それを未来に活かしていく。それがぼくたちにできることじゃないでしょうか」。 先の記事にも書

歴史は、ぼくらになにを語りかけているのだろうか。 ~日本と韓国、過去と未来の話~

2019年7月の上旬、料理イベントをするためにぼくは韓国の釜山を訪れた。 はじめての韓国、はじめての野外料理イベントで緊張していたものの、彼らの優しさに助けられて無事にイベントを終えることができた。 ぼくが韓国に訪れる直前には大阪でG20が開催されており、米韓北朝鮮の3カ国が北緯38度線での会談を実現させる、歴史的出来事が起きたところだった。韓国での滞在先の駅前に、その北緯38度線会談を祝う垂れ幕がかかっていたことを覚えている。 当時も日韓関係が良好とは言い難かったかもしれ

2017年、秋。夜空にはオリオンの星が流れ、親友がプロポーズの成功に幸せの涙を流しているとき、俺はひとり背骨から髄液を垂れ流していた。

*2017年10月22日に書かれた記事のリライトです。 いたって健康な身体で、元気に暮らさせてもらっていると自分では思っていたのだが、どうやらぼくは他人にくらべてわずかばかり、病院にやっかいになることが多い人生らしい。 「脳脊髄液漏出症(脳脊髄液減少症)」という病気を発症し、先週の月曜から寝たきりの日々を過ごしている。今週の月曜には入院しており、その翌日にはEpidural blood patchという治療(脊髄を保護する硬膜の外に自分の血液を注入するというもの)を受け、

下がってろ、俺がやる。的なサムシング

*2016年4月16日に書いた記事のリライトです。 昔から天邪鬼だった。 小学生。 身体も大きくないし、運動ができるわけでもない。 その他に埋もれないよう、人と違うことをして目立とうとしていた。 今、思えば、本能的に生存戦略していたのかもしれない。 中学生、高校生。 バスケが好きだったけど、万年補欠。練習でもチームのお荷物で。 料理人になるって言って、部活も辞めて、学校でも料理の本読んだりフランス語ラジオ講座とか聞いてたな。 この分野で勝てないのなら、あいつらができない

-南米卒業旅行記.1- 笑った、いつまでも笑った。別れがつらくないように

*2016年3月25日に書いた記事のリライトです。 大学に入学した頃から、なにか思い出に残ることがあれば書き留めているノートにこんな言葉がある。 「笑った、いつまでも笑った。別れがつらくないように」 卒業必要単位を取り終えた友人が大学生活最後のバックパックへ出かけるということで、そいつを含めた仲のよい3人で回転寿司へいった日に書いたものだ。 そして、その別れの日から約半年後。 卒業式の日に、僕たちはアイツの死を知らされた。 南米、ボリビア、標高4000メートルに近いウユ

–南米卒業旅行記.2– もし言霊ってやつがほんとにあるなら

*2016年5月23日に書いた記事のリライトです。 – 南米卒業旅行記.1 – では、旅のきっかけについて「過去」のことを書いたが、今回は旅を経てから「未来」のことについて書きたい。 旅の途中でも、いつも友人と「過去」と「未来」のはなしをしていた。 過去を振りかえり懐かしむ時間と、これからの生きていく日々にわくわくを感じる時間。 亡くなった友人に想いをはせながら、アイツもこんな感じに夕日見てたのかな?とか。 お互い30歳になるときにはどんな生活をしていたい?とか。 ちょ

でもそれでいい、僕は弱い立場であり続けたい

*2016年12月16日に書いた記事のリライトです。 ぼくの住む岡山県西粟倉村から、車で30分も走ればたどり着く兵庫県佐用町平福。その山中で狩猟中の誤射事件が発生、僕と同い年の26歳の若手猟師が死亡したらしい。つい先日、2016年12月11日の出来事だ。 正直、立場上は控えるべき発言だと思うのだけど、若造の戯言だと心をひろくもって聞き流…さずに、しっかり聞いて、怒るならば怒りの感情でもって僕の声を受け取って欲しい。 鉄砲。 僕は、生き物を殺めるためだけに特化した道具は持

ド三流のプリンシプル

*2016年8月23日に書いた記事のリライトです。 腰を据えて、積み重ねて、ひとつに決めて、一流に。 一端の社会人として、忠義を欠くことなく、まともに。 なろう。なるべきだ。ならなきゃいけない。そう自分に言い聞かせてきた。 「良く生きるとは」という人生への問いが、「上手く生きるには」「成功するように生きるには」という問いにすり替わってはいないだろうか。 最近気が付いたことがある。僕は「正しさ」や「キレイ」にはあまり惹かれない。 最高に心惹かれる「本当の美しさ」とは、もっ

新約聖書 ルカによる福音書 18.9-14 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

*2016年4月12日に書いた記事のリライトです。 日清カップヌードルのCM「バカやろう」が、苦情が原因で放送禁止になったらしい。 目立ったこと、人と違うことをすると、必ずと言っていいほど批判がどこかからやってくる。 狩猟も、生き物を殺める。という行為ゆえ、批判の対象になりがちな分野だ。 僕自身が直接的に批判されたことは(たぶん)まだ無いのだけれど、狩猟行為に対する批判や今回のCMに対する苦情のように、”正しさ”を振りかざす一部の声を聞くたびに思い出す聖書の一節がある。

誰がために獣を狩る

*2016年3月28日に書いた記事のリライトです。 岡山県西粟倉村にあるフレル食堂。その主催イベント「猟師×猟師」に参加してきた。 スピーカーは「僕は猟師になった」著者で、ジビエブームの火付け役とも言われる千松信也さん。 そして我らが岡山が誇るスーパー最野人、蜂追いから狩猟までなんでもござれの「あつたや」熱田安武さん。 そしてなんと特別ゲストで「山賊ダイアリー」著者で岡山県津山在住の岡本健太郎さんも飛び入り参加。 お三方が狩猟を始めたきっかけから、わなのワイヤーの結び方と