南米旅行記1

-南米卒業旅行記.1- 笑った、いつまでも笑った。別れがつらくないように

*2016年3月25日に書いた記事のリライトです。

大学に入学した頃から、なにか思い出に残ることがあれば書き留めているノートにこんな言葉がある。
「笑った、いつまでも笑った。別れがつらくないように」
卒業必要単位を取り終えた友人が大学生活最後のバックパックへ出かけるということで、そいつを含めた仲のよい3人で回転寿司へいった日に書いたものだ。

そして、その別れの日から約半年後。
卒業式の日に、僕たちはアイツの死を知らされた。

南米、ボリビア、標高4000メートルに近いウユニ塩湖で重度の高山病にかかり亡くなったそうだ。
帰国したらつぎは3人で卒業旅行にいくぞと約束していたのに、数ヶ月前から連絡が取れなくなっていたから何かおかしいとは思っていた。
でも、昔からバックパックを重ねてきた奴だったから信じられなかった。そんなはずはないと。

大学の事務所で実家の住所を聞き出して、翌日すぐに線香をあげにいった。
部屋に飾られた遺影を見て、両親のはなしを聞いて、やっと本当なんだとわかってきて。
手を合わせるのが躊躇われた。目を閉じて手を合わせた時に、堪えきれず涙が溢れてきた。
両親から聞いたはなしでは、アイツはウユニ塩湖の後にマチュピチュを経由して帰国する予定だったそうだ。
日程的に厳しかったためか、本来おこなうべき高地順応をしないままにウユニ塩湖まで登ったことが重度の高山病を引き起こしたらしい。

挨拶を終えて家を出るときに、友達だったみんなに使って欲しいと両親からアイツの形見をゆずり受けた。
僕はアイツがいつも着ていた青色のウィンドブレーカー、友人はアイツが就活で愛用していたネクタイを。

下宿に戻り、残されたもう一人の友人と静かにコーヒーを飲み。そして、どちらが言い出すでもなく、僕たちはその日に約束をした。
アイツが行くことができなかったマチュピチュまで、アイツを連れていこう。
3年後、3回忌の時に。それを俺たち3人の卒業旅行にしよう。

これが、この3年越しの卒業旅行の理由。今回の旅の目的。
アイツが南米で辿ったルートを辿り、3人での卒業旅行をするために。

このブログを書くにあたって、亡くなった友人のfacebookを遡っていた。
旅行の経過報告のような投稿に僕もコメントしていたのだが、それにアイツは死ぬ数日前に、ただ一言、こんな返信をしていた。

「ウユニで待ってる」

なぁ、橋本。
俺たちは、ちゃんとお前をマチュピチュまで連れていけたか?

なぁ。
いまでも同じように見果てぬ夢を描いて、走りつづけているんだよな。
どこかで。

i hope our life is worth living.

またひとつさきへ