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20数年ぶりに「もののけ姫」を映画館で見たら相変わらずめちゃくちゃ感動した

ジブリ大好きな母の影響で、我が家には、僕が大学生になるくらいまで「ジブリ作品は必ず鑑賞すること」というルールが存在していました。

「風の谷のナウシカ」、「トトロ」、「魔女の宅急便」、「天空の城のラピュタ」よりも、「平成狸合戦ぽんぽこ」更には「紅の豚」が好きだった僕は、我が家でも浮いた存在で、「魔女の宅急便」信者だった母からは、ジジとおそのさんの夫の良さを、姉からはトンボの良さをめちゃくちゃ語られて、うんざりした顔で「ちげぇわ。ポルコ・ロッソ(紅の豚の主人公)だわ、1番魅力的なキャラは。」という反論を小学生ながらに展開し、論争が過熱するという家族でした。(父は、ジブリ=アニメとしか思っておらず、ジブリを見ていたら「アニメ見ずに、普通の映画を見ろ!」という謎の主張をしたため、家族全員から無視されたという時期がありました。)

そんな我が家でしたが、論争が起こらない作品がいくつかありまして、その最たる作品が「もののけ姫」でした。
そう「もののけ姫」に対しては、誰も文句を言わなかったのです。「ジジは可愛いけど、性格が好きになれない。」「トンボは、しつこくてウザい。」「ポルコ・ロッソみたいな優柔不断な豚(男)のせいで、不幸な女が増えるのよ!」といった主観まみれの醜い論争が発生することはありませんでした。笑

※注意:ここから、「もののけ姫」のネタバレや、個人的な考察が含まれる記事になります。

そんな名作「もののけ姫」との出会いは、確か小学生の頃でした。「ジブリ鑑賞」が義務教育だった我が家のしきたりに興味を持った友人と映画館に行ったのを覚えています。

が・・・!めっちゃ最悪な思い出がありまして。
めちゃくちゃ重要なシーンである、シシガミの頭をエボシ様が吹っ飛ばして、デイダラボッチに変異する場面で、友人が「コアラのマーチ食べる?」っていってきたんですね。あり得ないでしょ?なんで、あんな目が釘付けになる場面でコアラのマーチおすすめできるの?いや、俺、完全に映画に意識持ってかれてたじゃん?それをコアラのマーチで現実に引き戻すってなかなかの大罪よ?

とまぁ、「もののけ姫」は素晴らしい作品かつコアラのマーチの破壊力を思い知った思い出深い作品だったのですが、ふとした時に鑑賞する作品候補上位になった作品で、少なくとも両手では数え切れないくらいは見たと思います。

そして、現在
「一生に一度は、映画館でジブリを。」
のメッセージとともに、ジブリの4作品『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ゲド戦記』が全国の映画館でリバイバル上映されているじゃないですか。

行ってきました。
「もののけ姫」の映画館での記憶を良きものにするために
このご時世ですから、人はめちゃくちゃ少なくて一列に1人か2人で感染リスクにそこまで過敏にならずに、作品に集中できることができました。

鑑賞の感想は、「相変わらずめちゃくちゃ、良かった。」なんですが、久しぶり(7〜8年振り)に鑑賞したことと、今の世界を取り巻く現状が、新たな感想を僕にもたらしたので、紹介していきたいと思います。

何が新たな感想をもたらしたのか?
それは、キャラのセリフです。
これまでは、特に心に響かなかった言葉が今の自分に突き刺さったんですね。
ということで、心に響いたセリフをご紹介していきます。

「誰にも運命(さだめ)は変えられない。だが、ただ待つか自ら赴くかは決められる」

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これは、アシタカの村の長老ヒィ様のセリフです。
有名なセリフなので、ご存知の方も多いかと思います。
コロナウイルスにより、僕の周りの人間は大きく2極化しました。
「コロナウイルスにより発生した諸問題に向き合い、戦おうとする人。」
「コロナウイルスにより発生した諸問題に対し文句を言うだけで何もしない人。」
コロナウイルスが世界中に蔓延したという、運命(さだめ)は変えることができないし、仮に抗ったとしても何も変えることができずに徒労に終わるかもしれません。ただ、アシタカは抗いました。自分の死の運命(さだめ)に。
苦しいことや理不尽なことも多いけど、アシタカのようにありたいと今でこそ強く思います。
ヒィ様は名言製造機で、「曇りなき眼で物事を見定めよ」とアシタカにアドバイスするのですが、これも僕の人生観になっているくらい名言です。


「生きることは、まことに苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」

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エボシ様の家にいる、ハンセン病患者と思われる長と呼ばれる人物のセリフです。
これは、小さい頃には全然なんとも思わなかったのに、年齢を重ねてもの凄く響くセリフになりました。
そうですよね・・・。生きるのって大変で、しかも外的な要員でそう思うことも少なくなくて。なんで自分だけ・・・!なんて思うこともあったりして。
でも、それでも、生きたいんですよね。幸せになりたいんですよ。
呪いたいくらいの世界であったとしても、生きたいと思ってしまう矛盾した気持ちが、人の生きることへの強い渇望を感じさせてくれる素晴らしいセリフだと思います。


「生きてりゃなんとかなる!」

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シンプルイズベストです。
デイダラボッチによってタタラ場が破壊され、夫の甲六が「もうダメだ。」と弱音をはいた時に、妻のトキが言い放った言葉です。(紫の服が甲六、赤の服がトキ)
女性のこういうたくましさってほんと大好きで。
男の覚悟って、命をかけても美学を貫き通す!ってスタイルだと思うんですよね。(特に日本男児)それもとても魅力的なんですけれども、女性のこういうタフさや腹の括り方っていうのは、力強い生命のエネルギーを感じることができて、顔を前に向けさせてくれます。


「生きろ。そなたは美しい」

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これは、「もののけ姫」の中でも1番の名言として知られているんじゃないでしょうか?アシタカが腹を撃たれて瀕死の状態でなおサンを助けたのち、サンに助けた理由を問われた際に、サンに向けて放った言葉です。
小さい頃は、「めっちゃ素敵やな〜このセリフ。」って思ったんですけど、見た目至上主義のゲイの世界に慣れてしまったのでしょうか、今回僕が感じたのは、

「え?サンがブスだったら、どうなってたん?」

という、小学生のような気持ちでした。
・・・・・・・。
わかってますよ!
外見的な美しさだけを、美しいと言っているのではないことは!笑
山犬の娘として、シシガミの森を人間から守るため人間の立場を捨てて、戦う姿勢が美しいということもあるのだとは思います、が。

「もののけ姫」ってジブリ作品の多くの例に漏れず、意外とボーイミーツガール的な側面が結構強いと思うんですよね。実際、このセリフをアシタカから聞いたせいでサンは「もののけ姫」から人間の女の子の方に寄ったと思いますし。
さらに言うと、アシタカがカヤ(村の女の子)からもらった大事な玉の小刀をサンに送り、サンがそれを首にネックレスのようにかけるシーンがあるんですが、これこそサンが人間のに近づいた証拠だと思うんですよね。
確かに、動物もオスがメスに好意の証として何かを授けるという行為はあると思いますが、アクセサリーのようなものではなく実用的なものだと思うんですよね、食糧とか。「もののけ姫」という獣から、人間にアシタカがしちゃったんですよね。

このシーンを見て、性格が斜めに傾きまくっちゃっている僕は、
「純粋無垢で何も知らなかったウブな女の子が、悪い男によって大人の階段を登り始めてしまった。」と思っちゃったんですね。

そこでですよ、サンがもしそんなに可愛くなかったらアシタカどうだったんだろうな?って。「生きろ。そなたは美しい。」って言えたのかな?って。
いや、そもそもサンの味方したのかな?って。
もっと事務的な感じで、「もののけ姫よ!和解しよう!」なんて態度とったんじゃないかって。体あんまりはらなかったんじゃないかって。

いや、だってサン美人すぎるんだもん。ジブリ女性キャラ人気ランキングで絶対上位にくるでしょ。(僕はエボシ様派ですが。)
サンが、千と千尋の神隠しの千尋ちゃん(わざとそこまで美形に描かれていないキャラ。それでも普通に可愛いが・・・。)だったらどんな世界線だったのかな・・・?と思ってしましました。

個人的には、アシタカには常に
「生きろ。そなたは美しい」と言って欲しいです。^^(例えサンが男だったとしても。)


「いや参った参った。馬鹿には勝てん」

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ジコ坊が、シシガミに首を返しデイダラボッチの暴走をとめたアシタカとサン(主にアシタカに向けて)に向けて放った言葉。

ジコ坊は、帝からの命令でシシガミの首を手に入れるため奔走していました。(シシガミの首には不老不死の効果があると信じられていたため。)

ジコ坊は、現実主義者で長いものには巻かれろタイプです。
「高貴な人の考えはわからないし、わからない方が良い。」という発言からもそれを伺うことができます。
権力や世の風習に従うことが1番賢い生き方だと、そういうメッセージ性を持ったキャラクターとも言えます。

そんなジコ坊は最後、アシタカとサンという理屈や常識をすっ飛ばして情熱だけで行動している2人に自身の使命を妨害されます。

そして、ジコ坊が予想していなかった結果(デイダラボッチの暴走がおさまり、アシタカの呪いは解け、シシガミの森はなくなったが山に自然が戻った。)に直面することになったのです。

このことから、ジコ坊のセリフは「情熱は現実を超える唯一の手段である」というメッセージなのかもしれないと思いました。
馬鹿(既存の権力や、社会の仕組みを無視し、自身の情熱や信念の元に動く人間)には勝てない、と言いたかったのではないでしょうか。

ジコ坊は苦手なキャラだったのですが、このセリフを笑顔で言っていることに気づいた今回の鑑賞で、好感度が爆上がりしました。

笑っているということは、ジコ坊も心のどこかで期待していたのかもしれません、馬鹿が世界を変えてくれることを。
自分も、馬鹿でありたいなと思わせてくれる名言でした。

まだまだ名言が「もののけ姫」には隠されていますが、今日はこの辺で。
20年ぶりくらいの映画館での鑑賞で新しい気づきがあるなんて、やはり名作と呼ばれる作品には普遍的な良さがあるのだと感じました。

皆さんのジブリ作品の名言はなんでしょうか?^^

大好きなカリカリ梅や、勉強の書籍代に使わせていただきます。^^