見出し画像

感 揺 句。

第11話『弱き者よ、汝の名は女なり』

 母が結婚する。

 でも、僕は驚かない。だって4度目だから。

 父と母が離婚したのは、僕が3歳で妹の桜が1歳。理由は父が働かなくて困った、ということだったらしいが、母と姑である祖母が劇的に、いや、激的に合わなかったことも原因の一つらしい。母は直接そんなことは言わないが、母の妹の久恵おばさんがポロっと漏らしていたことを聞いたことがある。

 とにかく厳しい姑で、今で言う「さずかり婚」、まぁ、デキ婚って言った方が僕はしっくり来るのだけれど、そういうことが「だらしない」って、祖母は思っていたらしく20歳で出産した母は、同い年の父が大学を卒業するまで、お金もないし自分が働かないといけないから、少しでも生活費を安くするため「仕方ないから置いてやる」という姿勢の祖母の元、父の実家で同居した。

 父は就活だとかゼミの集まりだとか言ってはいつもいなかったし、あまり遊んでもらった記憶もなくて、母はスーパーのレジをしながら夜は居酒屋で働いていた。おまけに家のこともきちんとやるようにって言われていたから、僕の祖父母、父、父の妹と弟の洗濯や弁当作りまでしていたらしい。とにかく細かいことをネチネチ嫌みったらしく言う姑に母は、相当参っていたらしい。居酒屋でのバイトを終え、夜な夜な次の日の弁当作りの準備をしながら、無表情でキャベツに包丁を突き刺す母の姿を、トイレに起きた僕は何回か見た気がする。

 父とは時々、口論になっていたことも記憶の片隅にあって、「なんなのよ、私は何のために...」「うるせぇな...」とか、誰も家にいない日に、二人が言っていたけれど、僕は怖くて二人の間には出て行けなかった。そっと押し入れに隠れて、少しだけ開けた隙間から入ってくる光だけで、ブロックで遊んでいた。きっと出ていっても、「よしよし、こっちにおいで。」とは言われず、「あんたが生まれなければこんな生活しなくても良かったのに。」と言われることを子どもながらに察知していて、自分を防御するために行動しなかったんだと思う。でも、幸いなことに、母は「生まなきゃ良かった。」と僕に対して言い放ったことはないし、そんな環境でも、2歳下の妹が生まれた、ということは二人は思いがなかったわけではないと、今の僕は思っている。まぁ、理性が本能に負けただけかもしれないけれど。

 大学を卒業する頃には、子どもが二人になっていた。真面目に学生生活をしていたと思っていたが、そうでもなかったらしく母以外の女性とも繁華街にいるところを見られたりしたそうだ。就活もうまくいかず、何社目かの試験で決まった地元の企業に就職したものの、「俺のやりたい仕事じゃない。」「俺はこれでは終わらない。」とか言い始めて、1年弱で退職、家でトレーダーのまねごとを始めたらしい。母が働いて貯蓄していたなけなしのお金を使ったり自分の母親からお金を借りて。

 当然、そんなことが上手くいきました、大富豪です‼️ということはなかったし、大学を卒業して働いてくれれば生活もいくらか楽になってこの家を出られるかもと思っていた母は、「何で家があるのにわざわざアパートを借りる必要があるのか。」という心を逆撫でされた一言を浴びせられ、僕たちを連れて実家に戻った。

 それからは、母の実家で小学校に上がるまで暮らした。母に対して厳しかったおじいちゃん、おばあちゃんも母が今まで頑張ったことを認めてくれ、母の妹の久恵おばさんと僕たちは6人で暮らし始めた。どうやら教師という仕事柄か、デキ婚してしまった娘を許すわけにはいかないと厳しくしていたらしい。本当は母のことをおじいちゃんは可愛がっていたから。初めての子で、それはそれは文字どおりの「目に入れても痛くない」だったと、おじいちゃんが亡くなってからおばあちゃんから聞いた。

 小学校に上がると同時に隣町へ引っ越すことになった。母の再婚のためだ。トオルさんは母の同級生で、父とは大学が一緒だった。だから母の事情も良く知っていたし、両親が離婚してからは、母がいろいろ相談していたようだ。まだ若い二人だから、きっと相談しているうちに恋心が芽生えたのかもしれない。トオルさんは会社員で、母はパートをしていて忙しくしていたけれど、僕たち兄妹はトオルさんを「パパ」と呼んで一緒に遊んでもらって楽しかったことを覚えている。

 トオルさんと母が別れたのは僕が中2の時だった。仲が良かったのに...と僕は思ったが、理由は何?と二人に聞けず、ただモヤモヤした日々を過ごしていた。ヒゲが生えたらこうやって剃るんだ、汗臭いのは青春っぽくていいけれど、女子に嫌われるからと言って汗拭きシートを勧めてくれたり、昔、トオルさんがはまった漫画を一緒に読んで熱く語ったりして、父親だけれど兄のようで大好きだった。久恵おばさんがこれも大人になった僕に教えてくれたのだけれど、トオルさんは自分の血を分けた子どもが欲しかったようで、それを拒んだ母と離婚したのだと言う。あんなに優しかったトオルさんだけれど、自分の子でない、ということに引っかかっていたのなら、今でもそれを思うと僕は淋しい。

 3度め。それは僕が高2の時だった。トオルさんと別れてからも学校のこともあるからと、同じアパートで暮らしていた。母はパートから社員になっていて、とりあえず生活はそれなりに安定していたと思う。僕もバイトをしていて、小遣いくらいは自分で稼ごうと思っていたから、中学まで続けていたバスケットボールをやめた。母は続ければいいのに、と言ってくれていたが「飽きたから。」と僕は言って、バイトとその頃好きになったバンドのライブに通いつめていた。

 妹は中学に入ると難しくなってきて、僕とはあまり話さなくなった。男女の兄妹なんてこんなものだろうと僕は気にしていなかった。

 母の3度目の結婚相手は、妹の塾の先生だった。妹はその先生を慕っていたようで、本当に嬉しそうだった。普段、あまり話しかけてこない僕にたくさん話しかけて来るようになった。妹の塾の先生のハヤトさんは、母より1つ下で離婚歴があり、小学3年生の娘がいた。僕たちはアパートを出て、ハヤトさんの家で、5人で暮らすことになった。妹になった玲香は、大人しい子だった。

 玲香は今まで父親との生活に慣れていただけに、最初は戸惑いも見せていたが桜と楽しく遊んだり、宿題を見てもらって良好な姉妹関係だったと僕は思い出す。もちろん母も、玲香を僕たちと分け隔てなく育てていたように思う。

 ある日、玲香が学校から帰って来ない、と母から連絡があって、僕はバイトを早退させてもらい、あちこち探し歩いた。何か事件や事故に巻き込まれているのではないか、それとも友だちの家で遊びに夢中になって、帰ることを忘れているのか。時刻は18時30分。まっすぐ帰宅する小学生ならとっくに帰宅してよい時間だ。ハヤトさんは授業があるため抜け出せなくて、休憩時間のたびに連絡をくれた。桜も今日は塾が休みで、あちこち探したり、友だちに頼んで情報を求めていた。

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。20時。そろそろ警察へ連絡をしようかと相談していた矢先だった。ドアを開けると玲香がいた。ばつの悪そうな顔をしていた。

 「おいで、玲香。」

 母は怒らず、玲香を家に入れた。

 「玲香‼️ みんな心配したんだから‼️ ごめんなさいでしょ‼️」

 桜が玲香に強い口調で言うと、玲香が泣き出した。

 「ごめんなさぁぁぁぁぁい、ごめんなさぁぁい、うわーん。」

桜は玲香をぎゅっと抱きしめていた。

 翌日落ち着いてから、ハヤトさんから昨日の顛末を聞いた。ハヤトさんと別れた玲香の母親が、玲香会いたさに学校の帰りを待ち、一緒に買い物や食事をしていたのだと言う。これを聞いて母と桜は少しショックだったようだが、今までと同じように玲香と接していた。玲香と実母は定期的に面会するようになった。

 ハヤトさんとの離婚が決まった時は、僕は大学生になっていた。桜は淋しそうにしていたが、仕方ないよね...と言った。離婚の理由は、玲香の母親とハヤトさんがよりを戻した方が玲香のためだと母が感じたからだと思う。復縁のお膳立てまでした母が良くわからないけど。

 そういうわけで、母はそれ以来ずっと独身だった。久恵おばさんが嫁に行っておじいちゃん、おばあちゃんの二人暮らしだった母の実家に戻って、5人で暮らしたが、僕が就職で家を出て、おじいちゃんが他界、妹も県外で独立し、昨年、おばあちゃんも亡くなり、母が一人になった。

 そして、SNSで4度目の結婚報告。

 まぁ、僕はもうそんなに驚きはしないけれど、一応、電話をしてみた。

 「あ、もしもし、お母さん、僕。」

 「久しぶり、どうした?」

 いつもと変わらぬ声だ。

 「どうしたって、結婚するって言うからさ、お祝いの電話と今度こそ、死が二人を分かつまで、と思ってさ、激励の電話。」

 「はははは。ありがとう。今度は大丈夫だと思うけどねぇ。こればっかりは何とも。」

 電話の向こうの声は明るかった。

 「ところで、今度はどんな人?」

少しだけ沈黙した。

 「あなたの高校の同級生の翔君。」

 「あ、そ、そうなんだ。翔によろしく。じゃ。」

 僕はそれだけ言って、急いで通話を終えた。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?