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小説書きの同士に、改めて薦めたい本はない。しかし……


 おすすめの本はありますか?

 noteに限らず、ネット上でありとあらゆる人が「名刺代わりの10冊」とか「作家志望におすすめの5冊」とかおすすめの本を挙げてくれているので、ああいうリストが自分にもあればかっこいいなと思っていた。

 本当は、読者がじぶんで選ぶのが一番尊く、楽しいのだ。そのことは承知の上で、なんとなく自分のルーツというのか教養というのか外に示せるものがあればいいなというのは、履歴書的な考え方ではある。紙にリストを書いて「よろしくお願いします」的なお辞儀をして相手に見せる。僕も誰かの影響を受けているし、大好きな小説家もいるし、情報は分かち合いたい。そこで頭を捻って、カフェインを摂って部屋をうろうろ歩き回ったり、本棚を開けて眺めたりして見た。

 実は、「これは読んでおいたほうがいい必読書!」という意味でのおすすめの書籍となると難しい。というか、ない。

 繰り返し読む大好きな本は何冊もあるが(森敦の小説とか、レイモンド・カーヴァーの小説とか、最近なら高山羽根子の小説とか)じゃあそれが自分の世界を拓いたのと同じように、誰かの人生もいい感じに彩ってくれるかと言うとよくわからない。ものすごく力のある小説なのは間違いないけれど、おすすめって意味があるのかなと思ってしまう。

 世の中の莫大な数の小説読みを観察していると、それぞれ僕の何倍も見識はあるのだが、お互いになにかを分かち合うことはますます難しくなっていっている気がする。ゴーゴリに詳しい人はゴーゴリに詳しい人と仲良くなれるけどそれは作家論の外に出れないことを意味していて、「ゴーゴリ面白いね」「やっぱ、ゴーゴリだよね」「そうだね」「うん、じゃあね」「うん、じゃあね」というスキンシップくらいしかできない気がする。これはあまりに極端な例かも知れないが、文学が想定する長い射程、広い視野ででものを考えることとは少し食い違っている気がする。

 かといって「世の中の人みんなが興味を引く最大公約数的な内容を、改めて批評する」みたいなことも問うてみると、かなり難しいんじゃないかと思う。ニュースを見て、世界的に問題になっていることをメモして、池上彰とかが言っていることを鼻息荒くしながら聴いている、というのもなんか違和感がある。コロナ・パンデミックを題材にした小説や、生成AIで絶望したり興奮したりしている人々の心境小説は恐らく5年後くらいにじわじわ存在感を増してくる(従軍経験のあるサリンジャーがライ麦畑を書いたように、戦争を描かないかたちで戦争を描くのではないか)と勝手に思うが、人によって感じ方が違い過ぎて、批評性自体は水掛け論のはじまりにしかならない、かも知れない。

結局、好きに読むのが一番だと思う。本屋に行って偶然の出会いを楽しみたい。

そのうえで、個人的には、自分が本当に好きな「小説以外の本」を追求するのが小説に近づく道だと思うのだが、いかがでしょうか?ダメ……?いつかネタにしようとか、仕事にしようとか、損得勘定一切抜きでじぶんの好きなものを見つけて研究してみたい。本当に好きな物なら、いつか書いている小説とシンクロしてくれるんじゃないかという淡い期待がある。

「小説以外の本も読む」

 ベタな答えといえばベタなのだけど、例えば建築について調べたいと思う僕の気持ちは、実は今の世界の情勢と完全にパラレルなものだ。円安で旅行ができなかったり、口コミサイトの信頼の失墜によって、身近で楽しみを発見することの価値が見直されている。てくてく歩いてそのへんの建築を調べたり、あぁ、こんな建物が身近にあったのかと写真を撮ってみたり(スマホで写真を撮るということも現代の人間の内面に直結する営為だと思う)。病の進行で一日一日を大切にしたくなっていることも少し関係しているかも知れない。小説以外のなにかを追求することが世界に対する批評となり結果的に小説に還元される。しかも、登場人物は社会情勢の影響を受けた今風の興味深い人物にもなりうる。

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