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「サージウスの死神」を読む・物語の主人公は呪われている


 佐藤究の「サージウスの死神」には、ギャンブルに取り憑かれている破滅的な主人公が登場する。地下カジノに通い詰めるために会社を辞めて、昼間からルーレット盤を見つめて賭け続ける。途中で今が昼か夜なのかもわからなくなる。錯乱と破滅。勝負を邪魔する客がいれば鏡の割れたままの薄汚いトイレで殴り倒す。カネを賭けまくって預金が底をついても特に感慨をおぼえない。後戻りできない。ギャンブルで決めた数字に賭けるということと、「ひっこみがつかない」という喧嘩上等な性格がうまくシンクロして描かれている。

  いきなり「うっ」とくる文章を書いてしまって申し訳ない。しかし僕はこれを書きたかった。自分の小説を考える上で、どうしても「サージウスの死神」の主人公が頭に引っかかって来るのだ。

 実は、この主人公がギャンブルを始めるまでの過程が、「物語の主人公」を考えるうえでものすごく重要なのではないかと思った。主人公というのは自分でガンガン行動に移る人であり、一般的な日常から逸脱している人である。このギャンブラーを海賊に置き換えてもいいし魔法学校の一年生に置き換えてもいい。ふつうの人が、これまでの経験が役に立たない世界に一歩踏み出すには命がけの飛躍が必要である。そして、「サージウスの死神」では思い切って地下カジノの世界にはみ出して行った。では、その主人公になる過程というのはどんなものだったのか。

 僕は、「呪われる」ということと、「正解が見える」ということだと思う。まず最序盤のあらすじから少しだけ書いていく。迂回した書き方になってしまって申し訳ないのだが、もしよかったらお付き合いください。

(以下、若干のネタバレがあります)

 デザイン会社に勤める主人公の華田は、会社の昼休みに路上に出る(この時点ではギャンブルになど興味なんてない)。そこでビルの屋上から飛び降りる人影を目にする。投身自殺する人影とわずかに目が合った華田は少なからずショックを受け、同僚に「自殺を見てしまった」事実を打ち明ける。

 気を休めるように労わってくれる同僚は、実はギャンブルが趣味だった。華田は自分でもよくわからないまま、賭博場通いに関しては先輩である同僚に「ギャンブルって楽しいか?」と尋ねる。さっき投身自殺を眼にした男の言う言葉として、適切ではない。そんなことは二人ともわかっている。まったく脈絡のない言葉に、同僚は戸惑い、華田じしんもどう会話を継いでいくべきか考えざるえない。

 その時の科白。

「男の影が俺の上に落ちてくるとき、賭けというのはこういう感覚なんだろうな、そう思ったんだ。うまく言えないんだけどさ」

「サージウスの死神」佐藤究

 その言葉をうまく咀嚼できないまま、あくまで気晴らしとして、二人は地下カジノに赴く。華田はギャンブル狂として化けていくことになるが、この時点でなんとなく「呪われている」という感じを受けるのは僕だけだろうか?投身自殺を眼にしたら、「なるべく早く忘れていつもの気分に復帰したい」と考えてもいいし、「どうか安らかに眠ってください」と心の中で手を合わせてもいい。少なくとも普通は「投身自殺する人影とギャンブルを重ね合わせて、自分も同じ心境で賭け事をやってみたい」とは思わない。ひとつの特殊なシチュエーションに自分がとり憑かれてしまって、離れたくても離れられない。トラウマ、呪い、強迫観念。

 しかし、「呪い」というものだけでは主人公は行動できないかも知れない。例えばショックな場面を見た後、セラピーに通ったり、家で寝込んで、布団の内側で悪夢にうなされながら回復を待つのも、十分に呪われている状態だと言えるからだ。呪われるだけでは被害者になるだけで、そこから一歩進んだ「物語の主人公」にはならない。

 しかし、華田はギャンブルへと突き進んだのである。
 どのような飛躍が必要だろうか。そのためには「正解が見える」ことが必要だと僕は思う。ギャンブル狂いとしてやっていく勝ち筋とか、目標のようなもの。では、どうすれば主人公として「正解が見える」ようになるのだろうか?

 実は、華田はギャンブラーとしてどうすべきか「数字が見える」。正解どころか本当に勝つ数字が見えるのである。最初の3,40ページくらいから、「頭の中に数字を飼っている」という設定をもって話が展開していく。精神の破滅と引き換えに、ルーレットでどの数字にベットすれば勝てるかが直感的に理解できてしまう。ディーラーの頭上で数字が奔流となって踊る。その内側から残った数字に賭ければ勝てる。頭蓋骨が震え、「青い焔」が眼の裏に見えるとともに脳が灼けていく。カタカタ震えが止まらくなる。しかし、ひっこみのつかない性格のせいで、いや、呪いのせいでルーレットから離れられない。数字と華田は共依存の関係かも知れない。

 いろいろと書いたが、もう少し理論っぽく練ることができたらいいな。「呪われている」ということと「正解が見える」ということは、物語における序盤の主人の成立要件として一般化できる日がくるかも知れない。最初に主人公が呪われ、その経験を昇華するための正解を求める旅が始まる(漫画の話になるけれど、ワンピースも鬼滅の刃もそうですよね。最初に憧れの人であるシャンクスから麦わら帽子を託されるという「呪い」を受けて、海賊王を目指すという「正解」に向かうわけだから)。

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