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人生のためにならない話も、漬物樽に入れておく


 この日はお昼のおやつを食べるために、駅前のマクドナルドに向かっていた。天からスポイトで一滴ずつ光が落下してきて、垂直に腹の底に波紋を作っていくような、さわやかな空腹感があった。空腹というのがこんなに明るいものなのかとみずから驚きながら、途中で横断歩道に差しかかった。信号が青になるのを待っていた。年齢も服装もバラバラの人々が真横に並んでいて、そのはすかいにある奥まった隘路から、絵画から飛び出してくる虎みたいに車が走ってきた。

 そろそろ青になるかなと、一歩だけ前に進んだその時、僕は足元に躓いて大きく転んでしまった。車に轢かれるかも知れないとヒヤッとしたが、走り去った車とは距離があった。僕は過剰な緊張のあまり笑ってしまったが、こういう危険な場合に笑うことがふつうの人間にもあるのだと思って、ばつが悪く、小ぢんまりした道をのそのそ帰ってしまった。マクドナルドには行かなかった。

 こういう、面白いのかつまらないのかわからないような文章を書いて、フォルダにたくさん入れて保管している。実体験もあれば、フィクションもある。

noteを書いていると、なんとなく「人に役立つ普遍的なもの」を書きたいと思いがちなのだけれど、こんな書割みたいなものをたくさん保管していくのが僕は本当は好きだったりする。小説を書くのに必要なのは「人生をポジティブに変える最大公約数的な一般論」ではない。たくさんの「面白いのかつまらないのかわからない書置き」を保管しておいて、漬物を漬けて樽にしまっておくように、小説的アイデアまで熟成するのを待つのが大事なのだ(と、思う)。すぐに使えるライフハックよりも実は好き。

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