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ネタは寿司のみに非ず

つい見てしまうもの、はひとぞれぞれだと思う。

たとえば、ホーム上のハト。

みなれているはずなのに

公園にいるハトは気にならないのに、一心不乱にホームをついばむハトは、つい目で追ってしまう。

人間のホームグラウンドに紛れ込んだ野生動物、という違和感。
ヒトの目視では確認できない「なにか」がそこに落ちているのだ、という不思議さ。
わたしだけでなく、電車を待っているひとのほとんどが、目で追っているように感じる。

ハト、みんなの視線を独り占め。

無機質なコンクリートの灰色と、なめらかな曲線のハトの灰色は、同化しているようでしていない。

あるいは、鼻をこすっているひと、ほじっているひとの指先のゆくえ。

小指でほじればいいというものでもない

恥も外聞も捨てるのは自由だが、その指で公共物をさわってくれるなよ、とハラハラしてしまう。

ほじっている本人は無意識だろうに、見ている方はすべての意識がそこに向いてしまう矛盾。

つみぶかき、意識どろぼう。

見てはいけないと思いつつ、その指がどこに着地するのか、見届けずにはいられない。

あとは、街中でライブTシャツを着ているひとの背中。

ライブ会場なら気にならない

どのアーティストの、いつのライブなのか、つい解読したくなる。

ライブTシャツというのは、往々にして「パッと見ではどのアーティストか分からない」ギリギリのデザインになっている。
それでいて、ファンならば遠目からでもすぐ分かる、絶妙なデザイン。

あのひとは、誰が好きなんだろう・・・。

無言で好きなものを語る他人の背中を、視線で追いかけてしまう。

先日、つい見入ってしまった冷蔵ケースがこれだ。

ポツンとお写真

どう見ても「しすざんまい」としか読めないロゴで有名な、つきじ喜代村すしざんまいの店舗。

あの名物社長

ピンクのフレームに入った名物社長の写真が、冷蔵ケースの真ん中にぽつんと陳列されていた。

19時を過ぎていたし、土用の丑の日だったので、商品は早々に完売してしまったらしい。からっぽのケースは忍びないのか、ひとりキンキンに冷やされる社長。

寿司はないけれど、話のネタにでもしてくれということだろうか。

ホームページに掲載されている店舗写真をみたら、冷蔵ケース内に社長の写真を置いているのはデフォルトらしい。
陳列ツールのひとつだったのか。

友人にその写真を送り付けたところ、この写真が送り返されてきた。

フレームから飛び出してきた

なぜこの写真を撮ったのか問うたところ、「なんとなく、いざというときのために撮った」との回答が得られた。
こんなところで「いざ」が訪れることになろうとは。

やはり、寿司はなくても話のネタになるのだろうか。

すしざんまいの社長も、つい見てしまうもののひとつなのかもしれない。

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