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つづる君を追いかけた

大掃除をしていると、「あ!これここにあったんだ!」と思わぬ再会にテンションがあがってしまい、ちっともはかどらないことがある。

スマホのフォルダも大掃除していたら、探していた記憶が見つかった。

2017年6月30日 読売新聞夕刊より

もう6年半も前の記事である。

全国紙のコラムにスピッツの楽曲の歌詞が引用されたことが感慨深く、鮮明に記憶に残っていた。

年々、存在感も厚みも薄くなっていく新聞。

正確性はさておき、ネットやテレビのほうが、情報が新鮮で早いのは否めない。

それでも新聞の存在意義を否定できないのは、《天声人語》や《編集手帳》そして《よみうり寸評》のようなコラムが毎日読めるからだ。

なんてことのない書き出しから、テンポよく話が展開し、いつの間にか国内外のニュースや流行りの話題にスライドしていく。

くだけすぎず、かたすぎず、程よい弾力の言いまわしで。

そして最後に、書き出しが重要なフリだったと気づかされる。

たった数百文字のなかで、起承転結が円を描き、複線回収される心地よさ。

わたしが憧れ、目標とする文章構成である。

プロだからあたりまえかもしれないが、その流れるようなリズムと、本題に切り込む前のフリの着眼点は、脱帽では足りない。

連獅子くらい髪を振り乱したい。

さぞかしベテランの方が書いていらっしゃるのだろう、と思っていたところに、スピッツの歌詞が登場。

もしかして書き手は同世代?同世代がもうこのコラムを書く年次に?とおののいた。
記憶だけでなく、ちゃんと写真にも収めていたとは。

調べてみると、2014年4月1日から2017年10月2日までは、1964年生まれの清水純一さんという論説委員の方が執筆を担当されていた。

わたしではなく、スピッツのみなさんと同世代の方だった。それはそれでなんだかうれしい。

コラムでは、「レコード」が世代を超える共通言語として締めくくられている。

それと同じくらい、「ロビンソン」も幅広い世代の共通言語になっていると言えよう。

誰も触われない二人だけの国を、皆が知っているという、宇宙の風くらい不思議な現象。

YouTubeのMV再生回数が1億回を超えたという事実が、それを裏付ける。
90年代リリースの楽曲では初めてなのだという。

結局、掃除ははかどらない。

フォルダの整理は、新しい季節どころか、新しい年を越えそうだ。

プロには遠く及ばずとも、フリとオチのある構成を心がけて、2024年も淡々とつづっていきたいと思っている。

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