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【企業選びと軸】永遠の目標と目の前の小さな目的と挫折感

芋ずる式ねずみ講OB訪問を行っていた私がとうとう
就活が解禁し、本格的に企業を受け始める。


そんな今回は企業選びと就活軸を共有していきたい。

まずは就活軸(企業選びにも通じる)とは
何がやりたいか、どんなことを成し遂げたいかみたいなことをよく言われると
思うが、
私は譲れないこと、譲りたくないことだと思っていた。

私の場合は、
・自分の道を自分で切り拓くということ

これ一本。
今でもなんだかんだ変わっていないと思っている。
永遠の目標で、もはや死んだ時に達成できているかわかる目標な気がして
なんだったら成し遂げたのか理解して死ぬことできるのかなぁなんて
今はちょっと不安にもなるが、まぁそこは置いておくとして。

誰かに、社会に左右されないというのが裏テーマであった。

なぜかは自己紹介の回でも話した通り
女の幸せ=結婚、出産、愛されている主婦という
小さな世界で最高の世界が
私にとっては少し息が苦しい世界だったからである。

ということで、私が選択する未来は
①私自身が納得できている
②周りも納得させられるものでないといけない
(この時点左右されてるやーんていうのは21歳の頃には気が付かない)

ここでいう私自身の納得というのは
・苦痛を感じない
・楽しみを感じる
・ちょっと難しいけど達成できる
を総じている。
これは当時のメモから掘り起こしているのだが、
なぜ納得という言葉を使ったのかは不明である。

ただ、
人間関係に飽き飽きしていた私は
苦痛に耐えることはできるが、耐えたくなかった。
そして自分にとっては少し難しいけれど
頑張ってやれば達成できるということに
楽しさや達成感を感じるようになっていたからである。

箱入り娘の初市外一人旅が
日本語しか話せないのに留学だったので
井戸の中の蛙の私は、
当時の私は日本語が通じればなんでもできる
なんとでもなるような気になっていた。


②周りも納得させられるに関しては
まず、大学に行くこともなんとなく
グレーだった世界で私立大学に行かせてもらい、留学もし、
就職を目指しているということは
我が家系では異端であったということを忘れてはいけないということである。

つまり、私がした選択で親、親族含めすごいね、と良かったねと
言ってもらえるような選択を取らないといけないと思っていた。
特に両親はきっと親族からはちょっと詰められていただろうに。
自由にしてくれたことに感謝しかない。
(まぁたまに窒息ワードもでるが)
両親が親族からそう言ってもらえるような振る舞いをしなければならない。

上記2点が譲れない、譲らない部分である。

芋づるねずみ講のOB訪問では得られた知識は
・20代で昇進するのは難しい
・女性が活躍していると謳われているは広告、人材の2大巨塔
・東京本社だと女性の昇進率が高い
・20代の頑張りの差が30代になるとかなり開く
・好きなことを仕事にしている人たちは少ない
・業界研究も大事だが、企業研究の方が大事
・同じ業界でも企業によっては全くアプローチ方法が違うので苦しさも楽しさも全く異なる
・学生の時の順位は成績やスポーツなど評価されるというものだが、
社会人は評価をとりにいくということにしっかり向き合っている人が評価されている
・同期でも差が歴然となる
・社内政治も大変
・飲み会のあるなしは業界風習や企業での差が激しい
・新人に手厚くお客様、いや神様仏様のように扱う会社もある
・反対に、奴隷?いやもはや人間の扱いを受けない会社もある
・自分で会社を選ばないと後悔する
・同期はすごく大切
・学生時代の勉強が役立たない
・コミュ力ある人が勝つ


当時のメモでまず共有したいことは上記点である。

私の思いとしては良い娘だと思ってもらうこと(今までとは違う選択をしているけど)。
そのためには考えた時
人よりスピードがある会社で認められること、昇進することだと思った。
そして稼ぎがあること、男性並みの稼ぎで一人でも自立していると
生きていけると思わせようと思った。

21歳の私はそんな心中でいた。

世の中にはすごい企業数がある。
大企業から中小企業、ベンチャー企業あげたらキリがない。

そんな心中の私が企業や業界を絞りこむ上での条件を
改めて見直すと、

1;東京というか本州本社であること
2;成長スピード(昇進・昇給)が早い
3;女性でも男性とちゃんと戦える
4;親世代は微妙かもしれないが知名度が同世代に高いこと

4に関しては親世代以上が知っている会社は
老舗ではあり安定的でかつ安心できる材料があるが
結局自立という観点で甘えているように感じてしまっていたからである。

上記に当てはまるのは広告、人材、IT系、旅行、結婚関連の業界であった。
共通項としては人に関わるということ
人の転機に関わる、人の転機になるということである。

ここで昔話をしたい。何を隠そう私は高校は保育科卒である。
本気で幼稚園の頃から高校2年生まで幼稚園教諭や保育士になることを目指していた。
そのことを、ちょっと道が逸れるが聞いてほしい。

幼稚園の頃からの夢であり、一切ぶれることなく高校生になる。
確かに他になりたーいと思ったこともあるが、この夢がなくなることはなかった。

最短コースでなるために高校も保育科へ進んだ。
親、親族的には子育てに役立つし良いんでない?という感じだった。

保育科には教育実習として提携保育園幼稚園で実習がある。
正直、私はかなり子供に好かれる。
実習最終日にはまた絶対に来てねーと列ができるくらい懐かれてたし
終わった後も幼稚園保育園から私宛に園児からお手紙が届くほどだ。

ただ、ここで問題というか根底を覆すということが起きた。
そして私は保育士幼稚園教諭を目指すことを
将来の夢を諦めた、捨てたのである。

理由は明白、どうしても苦手な子がいたということだ。

言葉を選ばずにいうと(かなり失礼である。本当に申し訳ない)
親の金銭レベルや教養レベルなど育つ環境が
かなり人格に差を生んでいたということに気がついた。

私は
親が努力のおかげでそれなりの教養があり、生活に余裕のある方々が多い
幼稚園に行かせてもらい小学校を卒業し
中学は外面なども覚えた半オトナとなるので親の努力は関係なくなっていると思えたが
ともかく、この実習で規格外の子供と親にあってしまったのである。
今思うと社会的問題にもなっている、モンスターペアレントとモンスターチャイルド
にであった。
服がほぼ毎日一緒、親が18時になっても迎えに来ない、
迎えに来た親がお酒臭い。
子供は親の真似ですごく乱暴な言葉を使い、かなり暴力的だった。
そんな4歳児にあったことがなかった。

子供は天使として疑わなかった私はショックだった。
それでも私は頑張って関わった。
関われば変わるし、良い影響を与えられるとどこか自惚れているくらい純粋だった。
が、頑張れば頑張るほど、関われば関わるほど嫌いになりそうだった。


私は、幼稚園保育園など幼少期の時間ははとても重要な時間だと思っている。
人として大切なことや自己肯定感、愛などが形成される何よりも重要な時期。
そういう時期に子供を差別してしまう自分がいた。
そしてこんな思考回路の先生がいてはダメだと自分をかなり責めた。
みんな違ってみんな良いをちゃんと体現して
子供たちに伝えなきゃいけない私が、先生が、
この子にだけ本気の笑顔を見せられないというのは
先生になってはいけないのではないか?と思った。

17歳の私はかなり苦しんだ。

そして、高校の先生方や幼稚園保育園の先生方に相談した。
が、返ってきた答えは
「正直よくあるし、私たちも人間だからしょうがない」だった。

17歳の私は、この一言で保育の道をやめたのであった。

こんなことを思っている幼稚園の先生や保育士がいることは悪影響だと悟った。
またそんな回答をしてくる先生方に失望と明確な嫌悪を感じた。
そして燃え尽き症候群、バーンアウトした。

見かねた親が私の幼稚園の頃の先生に連絡してみたらと言ってくれた。

私は大好きだった幼稚園の時の先生にコンタクトを取った。
同じ道を目指していたことと、辞めようと思うということを伝えた。
実に何年ぶりのコンタクトだったのに非常に重たい連絡だったと思う。
幼稚園の先生からは
「一生懸命この仕事に向き合ってくれてありがとう。
私たちは人間である前に先生として正しくなければならないと思う。
弱さを認められているから大丈夫だよ。
もう少し向き合い続けてみたらどうかな」という励ましの返事をいただけた。

この返事を受け取った悟りをさらに開いた。
私はこの仕事が好きだったのではなく
幼稚園の頃の先生が好きだったのだと腑に落ちた。
そして大好きなままの先生でいてくれたことに嬉しさを感じた。

そこからはまぁ実習には行かない授業はサボる。
(テストだけ高得点を出せば進級できることを知ってたので成績だけは良かったが
評価は進級ギリギリの3をつけられる日々)という
先生方から見たらまぁ手のかかるめんどくさい学生となった。
たまに後ろ髪を引かれる思いに駆られることもあるが、
全面的にはこの選択に後悔はしていない。
大学生の頃はボランティアとしてシッター業に関わったこともあるし
完全に離れたわけではない。

この経験で好きの正体を知ることの大事さと
好きを仕事にすることの難しさと向き合うことの難しさを知った。

今思うと17歳の小娘が決断すべきことでないし
大人たちがいった割り切ることの必要性も理解している。
それでも6歳以下の1番重要な時期に関わる大人には
聖職として人間の前に先生でいて欲しい。
ともかく私の人生の挫折はここ、将来の夢という目標を諦めたことである。

大幅に話が逸れたがなぜこの話をしたのかというと
この頃の子供たちは
将来の夢を語るとき、非常にキラキラしている。
旅行に行ったり、あたらしい世界に触れた時もキラキラしている。
こういうキラキラした瞬間を見るのが好きだった。

このキラキラした瞬間をオトナになっても感じるのは
進学や就職や旅行、結婚、などなど
自分の環境が変わった時だと考えた。

私はこれを軸にしようと思った。
これが仕事になれば大変でも大変だと、苦痛だと感じないと思えた。

上記の理由から改めて5つ目の軸は
転機に関われること、になった。

この軸をもった私は
片っぱしから程よい知名度の中小企業や
ベンチャー大賞にノミネートされたことのある企業、
大企業(業界2位以下)へエントリーした。

おかげさまでOB訪問していた方々がいる企業も多く
書類選考で落とされることは1社もなかった。

OB訪問のおかげで解禁のタイミングでは
軸や志望業界の絞りこみ、優先順位付けなどはしっかりと終わっていた。

先人たちの教えのおかげでスタートダッシュを切れた。


実体験を汎用性があることに置き換えて話をしてみると
何よりもスタートをしっかりと切るためには
自分の軸と企業選定の軸を持っていることが必要ということである。

私の場合はOB訪問でのたくさんの対話の中から内省し、
OB訪問が自問自答の機会となり
こうなりたいや、こうなりたくないが明確にすることができた。

まずは内省が必要だと思う。
・自分の思いや考え方を言語化すること
これが結構難しいし時間がかかる。
まだ就活生じゃない人は色々な人と会話して好き嫌いや
なんとなく感じていること気持ちを言語化する努力をしてみよう。
特に形容詞を使ってより具体的に言語化されていると良い。
絶賛就活生の人はあらためて言語化してみよう。
類語を探し、表現を高めよう。
同じことを伝えてても言い回し、語彙力には差が現れる。

簡単にいうと
苺と伝えるのか、赤い苺と伝えるのか、赤くて甘い苺と伝えるのか
それともストロベリーと伝えるのか。
同じ苺でも印象が変わるからである。
(今目の前にイチゴがあったので。)

言語化できたらそれを人に伝えよう。
伝えてみたときに自分が思っている印象が
しっかりと相手に伝わっているか確認しよう。
そこがずれていると自己アピールまでもずれていく。


今までの私の実体験をもう少し色々なかたが応用が効くような形で共有しよう。


私自身アウトプットがとてつもなく下手だ。
徒然なるままに書いてしまっているが
懲りずに付き合ってほしい。


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