見出し画像

【就活前】井の中の蛙、大海を知る

大学1年生後半年越し前
すったもんだの2年縛り精神により今の環境を変えたくなり
日本を離れようと思った
(本当は地球を離れたいレベル)

それまでの私は一人で市外にでたこともない子だった
もちろん英語は喋れない

速攻親には
大学生だし留学だよねという謎理論で半ば強引に説得した
きっと人間関係に悩んでいることも感じて
応援してくれたのだろう
心から感謝しているし私には最高の親だ。

まず人生においての差は個人の努力次第だと思うが
努力レベルは親によって変わってくると思っている。
私はこの両親のおかげで自分のことだけ考えれば良いという
恵まれた人生を歩んでいる。

とはいえよく英語も喋れない、市外にでたこともない
親も世界一周の船旅(日本発、日本着ツアー)か、旅行でも3日くらいしか行ったことないというのに、送り出せたものだ


そして私は当時、日本が嫌いというところまで達していたので
日本人の少ない街に行きたい
日本の反対に行きたいという謎理論を展開し
オーストラリアのブリスベンという土地をを選んだ

自然とシティが共存しておち
週末にはゴールドコーストのサーファーズパラダイスにも行けるという
非常に遊びに適した土地だ。

だが結果として転勤族の私は割と各土地に知人が多く
地球の裏に行っても知人がいた。

まぁそれはおいておいて日本逃亡計画は非常にいい経験だった

ここでなぜよかったのかを後出しじゃんけん風に振り返りたい
・非日常で目に入るもの全てが新しい
・自分を出すことができた
・差別のない人たちと会えた
・その人たちの人生のモチベーションが高かった
・目的を持っている人たちと出会えた
・憧れの海外生活ということで自尊心が回復された
・日本の文化との違いを感じ、日本の良さを知れた
・優しさに触れられた
・道を歩いているとyou are beautiful と言ってもらえる
つまりは井戸の中の蛙で大海を知らずだったことが体験としてわかったのが
何よりも収穫だった。
(英語の勉強はできず。ヒアリング力は抜群に上がったが、私はボディーランゲージに長けていたらしくジェスチャーで伝わったし、顔で感情もつたえられたので英語を話すことをしなくても会話できて20歳の私は困らなかった。)

西の魔女が死んだという小説にもあるとおり
「シロクマは砂漠にいない、サボテンは水の中には咲かない」
今の環境じゃない場所があるという経験を積めたことが
私の20年間の悩みやモヤモヤを晴らしてくれた。

それと同時に日本文化の再認識や異文化に触れられたことや
今でいう意識たかい系と言われてしまうが、良い人たちに会えた。
人財に会えたということがのちの私の財産である。

よく大学生や高校生の学生さんたちからは留学した方が良いですか??と
質問をもらうことがあるが、
私の答えはYESでありNOである。
井戸の中の蛙が大海を知る方法は日本にいても十分にある。
でも金銭面的にいけるのであれば実際にその土地に足を踏み入れて
異文化に触れて大海を知ることは
貴重な経験だと思うのでやってほしいなと思う。
なのでYESでありNOだ。

話を戻して、
大海を知った私は日本でより大海を知り続けたくなった。
というか知らないということが恥ずかしいというか
悔しいというか知りたいあのドキドキやワクワクを感じ続けたいと思ったのである。

闇雲ではあったが、
ボランティアに参加したり、アルバイトを増やしたり
積極的に動けるようになった。
初めての一人での市街に出るのが海外という
ホップステップジャンプでいうところのバンジージャンプ級なことをした
私には、日本で日本語が通じているという環境で足踏みをする理由がなくなったのである。
また、人に何を言われても気にしなくなった?いや
気にしてはいたけれどそれによって上記理由のように
留まることと逃げ出すことは無くなったというのが正確な気がする。


大海をいろいろ見にいった私が就活しなければならない時が来た。

我が家系は女は結婚して家を守るということがよしとされていた。
誤解しないで欲しいのは強制はしないし、決して男尊女卑というわけではなく
1番大変な仕事で、1番尊敬される業としての認識があったということである。
なので愛し愛されて、愛する子供へ愛情を注ぐという1番崇高されている職につくべきだと
言われた。
だが、その頃には1親等以外には私は自由だからと思われていた。
女で大学へ行ったのも、留学したのも、ボランティアや
バイトに明け暮れてたのも私だけだったからだ。

当時の私の心境としては、
自分の中の世界では少し広がっていたが
まだまだ大海がある、ということを知っていたので
少しでも多くの大海を知りたいということが
私の働くということの軸になっていた。

留学がきっかけであるが
自己理解を進めることができた。

結果論であるが、非常に就活は楽だった。
明確に働くということの軸に対して腹落ちしている同年代は少なかったからだ。
楽というと語弊があるか、メンタル的に楽だった。

同じタイミングで就活をしていた知人たちは、
自分が何をしたいか、から就活のタイミングで探していたので
少し苦戦していたんだと考察しているし
実際に相談をうけた。


ありふれているが自分の性格や自己理解を
面接を受ける前にわかっていればいい。
就活の第一歩はそこだ。(言い切りたい)

私は偶発的に自己理解へとつながってしまったが
何事も偶発的だと思う。
偶発を引き当てるためには行動しかないのかもしれない。
そして行動した後、なんであんな行動をしたのか
自分の心情と合わせて振り返って欲しい。
(よく言われるPDCAということだと私は認識している。)
まずは、自分の転機はどこだったかを思い返してみてほしい。


まだ面接をしなくちゃいけない、や切羽詰まっていない人たちは
その時どんな行動をしたか、
どんな気持ちだったかを書き留めておくと役立つ。

特にこの時代、オンライン時代だからこそ、
様々転機があると思っている。

そしてコメントで教えてくれると
私の大海も広がることができるので嬉しい。


次は私の就活方法をシェアしたい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?