そこここに、いる
おばあちゃんの家で食べるお手製の糠漬けがすごくおいしかった。
でも、おばあちゃんが亡くなって家を引き払うごたごたのなかで、糠床は行方不明になってしまった。あれを引き継げていたらと今でも思う。あの糠床があれば、いまも食卓におばあちゃんがいたのに。あるいは金柑の煮方を教わっていたらお正月には会えたのに。
古本屋の棚に、蔵書印の押された本がずらりと並んでいた。もうこの世にはいない誰かの追った文字をわたしも追う。
友達がすすめてくれた曲を聴く。友達にそのバンドを教えた人は、いつまでも20代後半のままだ。
知らないだけで、わたしの仕草は言葉は選んだ道の幾つかは、この世を去った誰かがそっと手渡してくれたものなのかもしれない。
連綿と続く血のつながりのどこかに、私と同じ目をした人がいる。あなたとそっくりの声のひとがいる。
血はつながらなくても、亡くなった人の授けたなにかに突き動かされて生きる人がいる。
お盆が近いからか、私にそっくりの目をした祖父の命日が近いからか、死んでなお家族や友人や、知りもしないひとのなかで生き続けるひとたちのことを思う。
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