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返却することよりも次へ渡すことへ〜コリントの信徒への手紙一3章1−9節〜

コリントにはローマの解放奴隷たちが多く移住していたようです。コリンとは、南ギリシャ州の大都市でローマの繁栄を象徴するような都市とも言われています。ローマの市民権を持つ人びと、ユダヤの民、ギリシャ人が共生するところでした。その共生の様子は残された史料から想像するほかありません。少なくともキリスト教共同体では、ユダヤの人々とギリシャ人との間には超えられない壁があったことがわかっています。パウロは、そのコリントにキリスト教共同体〜教会を形成したのです。しかしパウロが教会を離れると人々の心は大きく揺れ動きました。もしかしたら、パウロが教会を離れる前からその兆しはあったかもしれません。

パウロは結構厳しいなあと思うのです。のっけから、私はあなた方に赤ちゃんに話すみたいに話した、と

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