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アバンギャルドな希望について

神はユダヤ人という集団と約束をし、ユダヤ人以外はユダヤ人にできるだけ近い状態になることで約束の中にギリギリ入れると考えられていました。この手紙を書いたパウロはユダヤ人ですが、その特権にしがみつかなかったのです。
 律法は直接的にはユダヤ人が守らねばならないとされてきた、宗教的生活の土台です。非ユダヤ人とユダヤ人を区別する「物差し」でした。非ユダヤ人もユダヤ人の律法に則す、つまり「ユダヤ人のようになる」ことが要求されました。ユダヤ人と非ユダヤ人との関係は歪です。標準形はユダヤ人で、もう一方はいわば「はみ出し者」「付随者」という関係です。
 聖書は「男性中心言語」によって記されており、標準形が男性だと言われます。この事実に対して「だから男性形で書かれていてもそこには女性が含まれていることを想定して読むべき」と考えるか、あるいは「女性もいたのにそれが表現されていないことで出来事の本質が異なる形で伝達される恐れがある」と疑いを持つか、どちらをとるのか、が、フェミニスト神学における「傾向の支点」になると思います。私は、

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