Bounty Dog【Science.Not,Magic】0-Ω

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 此の”犬”は、月に向かって遠吠えをした事が生まれてから一度も無い。唸り声さえ出した事が無いが、代わりに怒号の吠え声を出した事は、9ヶ月前から幾度もあった。
 寡黙に見えるが無駄な会話が嫌いなだけであり、無感情に見えるが、怒り以外の感情の出し方と伝え方を殆ど知らないだけである。故に今も全く反応せずに吠えもしなかった。代わりに相棒が大声で鳴き喚いた。
「ブニャアアアアア!!」
 “猫”が360度の大回転で放った関節超捻りキックが、ターゲットの脳天に炸裂する。ターゲットは白目を剥いて、犬の眼前でうつ伏せに倒れた。猫がニャーニャー歌うように鳴きながら犬の横に並ぶ。犬は無言の仏頂面で、頭部に大きなコブを膨らませて気絶している第3の動物を見下ろしていた。
 犬の視線の先にいる動物は、全体的に長かった。体の構成が、ほぼ胴である。蛇だった。但し此の蛇は人間そっくりの頭と首が付いている。蛇の亜人だった。人間そっくりの見た目をしているが、動物の特徴も併せ持つ、此の世界に存在している人間では無いが他の動物とも全く異なる、第3の生き物。
 其れを見つめている犬と猫も、第3の生き物・亜人だった。猫の方は雌で、名前はリング。人間が作って活動している国際保護組織が保護重要度の目安として設けている、種の希少ランクはG『超過剰種』。本来は討伐対象であるが、犬の相棒的存在になっており、所属している人間の保護組織でも高評価を受けている『特別保護官』だった。
 そして犬の方は、厳密には犬では無く狼である。猫の亜人リングと同じく『特別保護官』だが、希少ランクはS『超希少種』。本来は保護用施設に送り込んで喪失を防がなければいけない絶滅危惧種だった。
 此の雄狼の亜人の名前はヒュウラ。2ヶ月前に東の島国『櫻國(おうこく)』から国際保護組織『世界生物保護連合』3班・亜人課の支部に帰って来て以降、櫻國の前に半年間過ごした南西大陸中東部『アグダード地帯』に行く前に13日間毎日のように行っていた、亜人の捕獲任務に本格復帰していた。

『リンちゃん。其の亜人は、Aランク・希少種。川蛇族(せんくちなわぞく)の雄体よ。これ以上は怪我をさせずに保護して』
 リングが左手首に新しく付けている腕輪型発信機から、人間の女の声が響いてきた。声の主の名前はミト・ラグナル。7月13日に誕生日を迎えて18歳になった彼女は、保護組織の亜人課に入隊してから、間も無く1年が経とうとしていた。
「ニャー。ヒュウラ、どうする?こいつ、動かない。捕まえる?」
 リングがニャーニャー鳴きながら、尋ねてきた。ヒュウラは返事も反応もしない。白眼を剥いて倒れている蛇男の顔を、無言の無表情で延々と凝視していた。
 蛇男は真緑で、首から下の長太い体に毒々しい模様が
描かれている。象やライオンも痺れ死ぬ猛毒の液体を噴射する牙は、だらしなく開いた口の中で真っ白い鋭利な姿を上下4本共に露わにしていた。
「ニャー。ニャー、お腹空いた。ご飯、食べたい。こいつ、捕まえて良い?ニャー」
 リングが真横でのんびりと訊いてきた。何かの世話をする事と食べる事が大好きな猫の亜人に向かって、狼の亜人は視線を蛇の亜人に向けたまま応えた。
「御意」
 猫が返事代わりの鳴き声を上げて、着ている中央大陸の人間達の古代民族衣装に酷似している、拳法着のような服の腰ポケットから大型の注射器を取り出した。亜人でも使えるよう改良された打撃式麻酔針の針先を蛇の首に向けて、ニャーニャーニャーニャー鳴く。生理的に黙れない猫の亜人に「黙れ」と言わずに、狼の亜人は猫が屈んで麻酔針を振り上げても、無表情で蛇の顔を見ていた。
 狼の亜人は、特殊な目を持っている。人間が生成した薬液に漬け込むと宝石のように透き通って硬化する目は、眼球1個で最低価格5億エードという金の価値を人間達に勝手に付けられている。生物素材目当てに乱獲されている事が絶滅危機の原因だった。人間のエゴの犠牲にされている生き物の一種だった。
 超高級生物素材として扱われる目は、虹彩が金色で、瞳孔はルビーのように鮮やかな赤色をしている。大きくも無く細くも無い標準的な大きさで延々とターゲットを見ていたが、狼の目は唐突に大きく見開かれた。
 蛇が白かった目をグルリと回して見つめ返してくる。瞳孔が縦線のように細い爬虫類のような目がニヤけるように緩まると、蛇男が狼男に向かって威嚇声を出した。
「ピュロロロ!ピュロロロロロロロロオオオオ!!」
 笛のような威嚇声を聞くなり、狼男が反応する。猫女がニャーと大声で鳴いて、燻顔をしながら狼男を見上げた。
 人間女が、猫女の手首から狼男に話し掛けた。
『ヒュウラ、其れは”神輿”を呼ぶ笛の音じゃ無いわ』
「ピュロロロオオ!ピュロロロロロロロロオオオオ!!」
『ヒュウラ。神輿はね、テレビの神とも関係無くてーー』
「ピュロロロロロロロロオオオオ!!」
 蛇は”祭り囃子”のような甲高い威嚇声を出して狼を睨み付けていた。猫がニャーと鳴いて、胴に麻酔針を突き立てる。蛇が悲鳴のような声を上げた。悲鳴も”祭り囃子”の笛の音のように甲高い声だった。
「ヒュロロロピュロロロロ!ロロ、ビュービュロロロロロロロオオオオ!!」
「ニャー。ヒュウラ、これ、ミコシ?担ぐ、頭狂う?」
 リングがのんびりと訊いてきた。蛇が牙から透明な毒液を吐き飛ばしてくる。首を大きく傾けて痺れ猛毒攻撃をかわしたヒュウラは、甲高い威嚇声を上げる蛇に向かって睨み目を向けた。
『ヒュウラ。だから、だからね。その亜人と神輿は関係無くて、神輿を担いで頭が狂うっていうのも間違っていてーー』
 ヒュウラは腰を屈めた。中腰になって蛇を睨み付ける。赤い瞳孔を含む金眼の狼は怒りの念を顔に表していた。
 蛇が胴をピクピク痙攣させながら、大声で鳴き叫ぶ。
「ピュロロロロオオオオ!毒喰らって死ねや、この犬やろーー」
 人間と同じ言葉を発した蛇の人語が強制的に途切れた。右頬に平手打ちを受ける。すかさず左頬にもビンタを受けてから、右頬に渾身のパンチを1撃喰らわされた。絶滅危惧種に容赦が無い絶滅危惧種から連続攻撃を受けて、蛇は鋭い目を驚愕して大きく見開く。
 ヒュウラは憤怒していた。拳を握った右腕を大きく振り上げると、ミトが慌ててリングの手首越しに指示をした。
『ヒュウラ!だから神輿で頭は狂わない、神輿で頭は狂わないから!ストーップ!!』
 ヒュウラは止まった。蛇が毒液を吐き飛ばしてくるが、首を傾けて容易にかわす。蛇は麻酔で動きが鈍くなってきた。ヒュウラはリングに顔を向けて、ミトに向かって呟く。
「神輿を担いでも頭は狂わない」
 ヒュウラは知っていた。神輿に関しては勘違いだったと、櫻國で”友”に教えて貰っている。
 ヒュウラは再び無表情になった。弱々しくなっているが依然として笛の音のような威嚇声を出している蛇を再び見つめると、目を限界まで吊り上げて言い放った。
「祭りがあると、頭が狂う!!」
 リングは悲鳴の鳴き声を叫んだ。ミトは何も言えない。櫻國滞在中に歪みが矯正されたらしいヒュウラの神輿と祭りに関する今の人間知識は、完全な不正解では無いからだった。
 祭りになると感情が激烈崩壊して、祭りという情熱の炎で身も心も自然発火で火達磨になり、発狂する。祭りという神の使いの天使なのか、地獄の悪魔なのか、雑魚の魔物なのかテレビの神の別の姿なのか分からない謎の存在に魂を叩き売りした生き物は、ラフィーナという中東固有種モグラ男以外にも居る。人間にも世界中で大勢居て、一度祭りで狂ったら、祭りが終わるまで果てしなく狂い続けるのだ。
 誰にも、あの狂気の大規模火災は自然鎮火するまで止められない。
「今は」
 ヒュウラが呟いた。ミトはすかさず答える。
『いいえ、祭りでも無いわ』
「そうか」
 ヒュウラの顔が鬼になった。ピュロロロロが聴こえたからだった。蛇は未だピュロロロロを叫び吹く。祭り囃子だと捉えた狼は、停止していた動きを急スピードで再生させた。
「お前がやっぱり、祭りかあああ!?」
 パンチを連打で顔に与える。蛇が再び白眼を剥いて気絶すると、其れでも止まない顔殴り祭りを、猫が人間に指示されて力尽くで止めた。
 ーー始末書の書類データを、帰ったらパソコンを立ち上げて作らなきゃ。テンプレート文書は出来ているから、5分もあれば印刷出来るわ。ーーミトは遠く離れた公園の一角にあるベンチに座りながら、体を折り曲げてシクシク泣き始めた。
 またヒュウラが暴走した。流石のシルフィリーダーも、最近はヒュウラが暴走したら誘導不良で始末書を書けと言ってくる。


「誰か、私を助けて」
 ミト・ラグナルは死に掛けていた。無論、心が死に掛けている。中東地帯で感じていた命の喪失に関するショックとは違うが、出会ってもう直ぐ1年が経とうとしているのに、ヒュウラが己に全く懐いてくれない事がショックで致命傷になりつつあった。
 そんな彼女を玩具にしている畜生が居る。畜生は今、うつ伏せで寝ている彼女の腰に本を積み上げていた。畜生は本と本の間にスナック菓子の袋も挟み込んでくる。
 適当なページで開かれて表紙を上にして腰に乗せられたヒュウラの愛書『意外と使える!日用品のサバイバル応用術』の上に、ポテトチップス特濃バター味の大袋を乗せられる。其の上から菓子袋に悲鳴のような中身粉砕音を出させて下敷きにさせながら『世界の祭り〜その起源と伝承』の分厚い大型本を開いて乗せた。
 スナック菓子とジャンクフード諸々がパステルカラーと花柄が施された可愛いインテリア達を侵食して散乱する汚部屋に置かれたベッドの上で、ミト・ラグナルの腰に書籍とスナック菓子を交互に重ねる『ラグナルタワー』を形成している畜生の正体は、猫の亜人のリングだった。
 畜生ファーストはニャーニャー鳴きながら、ラグナルタワーを更に高くする。筒型のポテトチップスの容器を横並びに2個置くと、上にミトの著作品『スナック菓子は栄養〜デブの素と罵るあなたへ』の薄いノート本を閉じた状態で乗せた。ラグナルタワーの最下に居るラグナル保護官は、グラグラ揺れるラグナルタワーをニャーニャー鳴きながら抑えている猫畜生を無視して、首を横に向けた。畜生がもうひとつ居る。
 畜生セカンドは、スナック菓子の袋で埋もれている床に隙間を作って中で胡座を掻いて座り、仏頂面で一点を凝視している。畜生セカンドの視線の先にはテレビがあった。
 リモコンを喪失したので本体に付いている操作ボタンを押して、大人しくニュース番組を見ている狼の亜人ヒュウラは、今は非常に大人しいがミトにカードゲームの対戦用デッキが組める量の始末書を作らせた、畜生ファーストよりも凶悪なキング・オブ・ザ・畜生だった。
 ラグナルタワーが、バランスを喪失して崩壊した。リングが悲鳴のような鳴き声を上げる。ミトは目を限界まで吊り上げて、テレビの画面を凝視した。
 緩やかな丸みを帯びているブラウン管テレビの画面に映っている、人間の報道アナウンサー2人の様子が可笑しい。人間達の背後にある画面を見るなり、ミトはラグナルタワーの瓦礫を部屋の四方に弾き飛ばした。
 アナウンサー2人が、畜生サードと畜生フォースに変貌する。興奮しながら2人きりで会話を始めた。
『次のニュースの前に……ワーオ!ジェフ、遂に始まるわ!ホットでワンダフルな、あのナイス極まり無いイベント!!』
『そうだよ、キャサリン!遂に明日からだ!隣国の充実した商業施設なんて敵じゃ無い!!此の国の伝統文化である、あの祭りがーー』
 光よりも速く動けたと自画自賛した。ミトはテレビに飛び付いて、前面に付いている電源ボタンを押す。畜生サード&フォースを暗黒の世界(ダークネスワールド)に閉じ込めると、そのまま身を翻して、キング・オブ・ザ・祭り嫌いの狼男の様子を伺う。
 ヒュウラは何の反応もしていない。ミトは長い長い安堵の溜息を吐くと、海苔付き醤油煎餅の菓子袋を床から拾い上げて、ヒュウラに手渡した。
 ヒュウラは仏頂面で煎餅袋を受け取ると、両手でスナックボウル開けをしてから煎餅を1枚だけ取り出した。セロファン製の包装袋に入っている残り十数枚は床に置いて、汚部屋の一部に帰す。
 1枚だけ持って齧り食べ始めた亜人は、畜生王では無くミトの護衛対象だった。ミトは心が蘇る。ラグナルタワー第2号をスナック菓子と本が乗りに乗っているベッドの上で作っている猫の亜人を一瞥してから、狼の亜人に向かって言った。
「煎餅、1日1枚」
 手を伸ばす。未だ人間換算では10歳程度である”子犬”の頭を撫でながら、ミトは微笑み顔をして言い加えた。
「リーダーに、後で皆んなで会いに行こうね」
 ヒュウラが齧り掛けの煎餅を手に掴んだ状態で振り向いてきた。顔を見るなりミトは少し驚く。櫻國に1ヶ月間置いてきている間に、相手は祭り認知以外も変化させて帰って来ていた。
 ドアがノックされる。ミトが入室を促すと、後で亜人2体と会いに行く約束をした”リーダー”の姉が、ドアを開けるなりヒール靴で床を蹂躙するスナック菓子達を退かしながら進み出てきた。
 シルフィ・コルクラートが、腕を組んでヒュウラを見下げる。猫がニャーと鳴いて第2の塔も崩れると、人間の部下の挨拶も無視してヒュウラだけに話し掛けた。
「悪いわね。またお願いしたいんだけど」
 ヒュウラは齧り掛けの煎餅を持ったまま、仏頂面になって呟く。
「丸呑み」
「そう。ラグナル、ヒュウラに個人的な任務をさせるわ。夕食前迄には帰す」
 シルフィが口を閉じると同時にヒュウラを担ぎ上げた。体重が30キロ以下である超軽量の亜人を子供のように抱えると、スナック菓子達の通せんぼをヒール靴で蹴散らしながら退室した。

 必要な道具は、鏡1枚だけで良かった。だが”彼”に似合うので火を灯した蝋燭を6本、燭台に刺してヒュウラを囲むように置いている。
 加えて”彼”だと認識出来るように、ヒュウラにレンズが無いフレームだけの黒縁眼鏡を掛けさせていた。隣国の充実した商業施設の眼鏡店で買ってきた物では無く、銀縁以外は買った事が無いコルクラート姉弟の私物でも無い。ヒュウラが元々所持していた物だった。ミト・ラグナルがヒュウラを保護するまで彼が暮らしていた山にある、元住民は熊かつ元住民の全身の毛皮が絨毯のように敷かれている洞穴で、横に倒されて置かれていたバイク用タイヤの上に愛書と一緒に乗っていたらしい”遺品”だった。
 シルフィは狩人の集落が麓にある某国の山に、狩人達と面識が全く無いフリーの探検家を雇って狼の黒縁眼鏡を回収して貰っていた。其の眼鏡を目に掛けているヒュウラは、黒縁眼鏡が非常に良く似合っている。
 シルフィとヒュウラは長椅子に座って向かい合っていた。2脚ともに隣国のアンティークショップで買った、北西大陸製のロココ調チェア。赤いボア素材の布が貼られている物が似合うと思って選んだ。結果として”彼”は「魔界らしい」と言って気に入ってくれていた。
 ヒュウラは仏頂面で、シルフィを見つめながら座っている。蝋燭の火だけで照らされた薄暗い小会議室Cで、シルフィは大型の壁掛け用鏡を掲げると”術”を施すよう亜人に指示した。
 ヒュウラは鏡に写った己の顔を凝視した。鏡の中にも現実にも、今はヒュウラという名前の狼男が存在している。暫く鏡の中の己と見つめ合ってから、鏡の中の己と見つめ合いながら、茶色い革手袋を嵌めた右手の平を前に向けて、突き出した。
 鏡の中の己が見せてきた手の平を凝視する。指を曲げて手首を捻り、上向きに指鳴らしをする直前の形にする。鏡を両手で掴み支えているシルフィが、心の中で呟いた。
(トレイ[3]……ドイ[2]……ウヌ[1]……)
「だ」
 ヒュウラは指を鳴らした。指の関節が軽快な音を出すなり、彼は意識を失う。シルフィは鏡を床に置いて、介助せずに仰向けに伸びている椅子の上の狼男を観察した。
 待つ。ーーそのまま、寝息が聞こえたら失敗。だけど唸り声が聞こえたら……。ーー
 唸り声が聞こえてきた。グルルル、グルルル、ヒュウラが唸り出すと、シルフィは素早くメモ帳とボールペンをスカートのポケットから取り出す。
 狼男が、仰向けから前のめりになった。シルフィが嘲笑顔をして”彼”に挨拶した。
「御機嫌よう、魔界のトゥトゥ(ワンちゃん)」
 ヒュウラに憑依した”魔犬”が顔を上げる。黒縁眼鏡の狼が、銀縁眼鏡の人間と同じ表情をした。涼しい態度で言葉を返す。
「眠い。寝かせろ、今直ぐにだ」
「其方でも睡眠が必要なの?」
 シルフィはメモ帳を開いてボールペンの芯を出しながら、尋ねた。初登場時に”魔犬”と自己紹介してきた狼の亜人は、同じ種である”子犬”の口を使って質問に応える。
「してもしなくても良い。駄々捏ねからの不貞寝が趣味の、人の死神も居るらしい。わたしは滅多に寝ない。寝たいのは、この子だ」
 大きな欠伸をした。降霊に成功して冥土からやって来た黒縁眼鏡の狼は、憑依元の子犬が苦手にしている感情の顔出しを容易に始める。金と赤の目を眠そうに緩めると、鋭く尖った犬歯が見える程の大きな欠伸をしてから言葉を続けた。
「ピュロロロロは、酷い。わたしも殴りたくなった。響きが醜過ぎる。だがマツリは、響きがとても美しい」
「暴れる程に、その子は可笑しい方向に認知してるわよ」シルフィは真顔で言う。「貴方が責任を取って、ヒュウラの認知の歪みを直してあげて頂戴」
「わたしもマツリは全く知らない」魔犬も態度を改めずに言葉を返す。「其れに子犬らしくて可愛いでは無いか。ますます丸呑みしたくなる」
「雑談は此処までにするわ。今でもどういう仕組みなのか分からないけれど、彼の国の独自語で催眠術を施せばヒュウラ経由で呼び出せる貴方も、毎回必ずやって来る訳じゃない。其れに余り時間を掛けると、私と貴方の大事なヒュウラが消耗して、任務に出せなくなる」
 シルフィは足を組んで座り直した。既に同じ姿勢をしている相手を燻気に眺める。黒縁眼鏡の狼はグルルル、グルルル唸りながら、ヒュウラの顔に嘲笑の表情を浮かべていた。
 人間の保護官は、2体目の狼男に向かって指示をする。
「貴方が”生前”知った人間に関する事。先日櫻國で私に伝えてきた、死の木と花と蜜虫の事。そして、その子の事について教えて頂戴。カロル」

 カロルという獣犬族(じゅうけんぞく)の雄狼の名前は、シルフィが調べたのでは無く、目の前にいる”本人”から知らされていた。ヒュウラの肉体に憑依している黒縁眼鏡の魔犬・カロルは、レンズが嵌っていない黒縁眼鏡の隙間から見える金と赤の双眼を緩めた。
 怯えた小動物を捕食する直前の猛獣のような目付きをして、カロルはグルルル、グルルル唸ってからシルフィに告げた。
「わたしは生きている存在達に影響が出る事は喋らない。其れが”彼奴”と交わした契約だ」間髪を入れずに言葉を加える。「わたしが何も言わずとも、いずれお前達は未来で全て分かる」
「貴方とヒュウラとの関係性は、おおよそ予想が付いている。でも的中率100%の未来視を持っている貴方に、是非とも教えて欲しかったわ」
 シルフィも小動物にはならなかった。メモ帳とボールペンを持ちながら、質問を続ける。
「じゃあ、答えても貴方のご主人様に咎められないでしょう、質問に変えるわ。故郷は、彼処の山?」
「そうだ」
「ヒュウラが生まれた場所も、彼処?」
「そうだ。但し、山の野道では無い」
 ーー良い回答を受け取れた。ーーシルフィは内容を素早く記述すると、次の質問をした。
「催眠術は何処で学んだの?」
「見せられただけだ。直ぐに覚えた」
「どんな人間が、貴方に見せたの?」
 カロルは黙る。シルフィは気にせずに尋ね続ける。
「眼鏡は何処で手に入れたの?」
 沈黙。
「ヒュウラの家族で、生き残りは?」
 沈黙。を、していたが、右手を口元に添えて思考に耽ると、囁くように言った。
「母は生きている」
「貴方の?ヒュウラの?」
 カロルは嘲笑顔で無言の回答をした。シルフィはメモを取って、更に質問した。
 アイスブレイク。「好きだった食べ物は?」カロル即答。「食に興味は無い」。だが考える素振りをしてから「エイガを見る時に食べるらしい白いパサパサしたアレは破裂する時の音が響きが良くて、味も美味かった」と言う。『ポップコーン』とメモ。明らかに人工物であるポップコーンを何時何処でどんな人間に与えられて食べていたのかは尋ねない。
 『獣犬族は餌付けしやすい?』ともメモに書く。2つ目の質問もアイスブレイク目的。「貴方の1番響きが美しいと思うモノは?」カロル即答。「ヒュウラだ。アレを超える美しいモノは無い」
 幾つか追加で尋ねようと考えたが、辞めておいた。代わりにメモを追加してから雑談として訊く。「どうして響きの美醜に拘るの?」カロル、腕を組んで考え始めるが何も答えず。『響き好きは特に理由無し』とメモ書き。『優先順位・低』と世界共通語で文章を書き添える。
 大欠伸をされる。ヒュウラの体力的に限界が近いと察知。本題の質問に切り替える。
「人間が辿り着く最後の未来を教えて」カロル沈黙。
「生きているらしい、お母さんの名前と特徴」カロル沈黙。眠そうに瞼を時々閉じる。質問は後2回程度しか出来ないと判断。
「ヒュウラの生命維持的に対応すべき事」カロルは突然、睨み目をした。聞こえない声で何かをブツブツ呟いてから、グルルル唸って、答えてくる。
「直ぐ先の未来で極めて危うくなるが、勇者と影と”小生意気”が助ける。ミト・ラグナルという人の女を2回目の満月が来るまでにヒュウラから離せ。あの女は八つ裂きにして魂を消し去ってやりたい事をして、この子を生涯不憫にする」
 シルフィは目を丸くした。冷や汗が頬を伝う。カロルは欠伸を複数回して、グルルル、グルルル唸った。機嫌が悪くなっている。
 最後の質問をした。
「ミトは殺した方が良いの?」
 カロルがグルルル唸ってから、答えた。
「いや、離せば良い。離せば大いに役に立つが、側には置くな」直ぐに追加で言った。「蜜虫もあの女に付けておけ。あの女をヒュウラから離せ」
 シルフィはメモを書いた。カロルは無表情から不敵な笑みを浮かべると、黒縁眼鏡のテンプルを両手の人差し指で押し上げて、位置を調整してから喋った。
「騒動が起きる。面白い騒動だ。直ぐ先の未来で、とびきりの”生(せい)”も見られるな。この子に見せろ。この子の背に乗る小さきモノが、響きがとても美しい”生”を見せる」
「何時?誰が?人間?亜人?」シルフィがマシンガンのように尋ねた。「ヒュウラと貴方の群れは今、何処に居るの?」
「帰る。裁きに戻れと彼奴が言ってきた」
 カロルはヒュウラの肉体を使って、座ったまま小躍りをした。足で床をリズミカルに叩いて、上半身を左右に揺らす。力を込めていないので床にヒビは入らなかった。
『音楽とダンスが好き』初めて”会った”時にワルツを踊っていた事を思い出す。シルフィのカロルに関するメモが増えた。カロルは小躍りしながら話を続ける。
「彼奴がしてくる、ビリビリバギュドゴーンを受けたく無い。響きが物凄く醜いし、熱くて痛いだけで好きじゃ無い」
 シルフィは近くに置かれている蝋燭の火を1本吹き消した。照明が更に暗くなると、カロルは上機嫌に戻って喋った。
「其れに、彼奴は知っている。時期にお前とわたしが喋り合う事は、彼奴によって出来なくなるだろう。わたしは構わない。ヒュウラと全く喋れないからな」
「そう。其れは仕方無いわね、カロル。貴方は魔界で元気に暮らして頂戴。メルシー(ありがとう)」
 シルフィは微笑みながらメモ帳を閉じた。カロルは小躍りを辞めて、肉体から力を抜いて、唸った。
「グルルルル、グルルルル」
 ヒュウラが前のめりに倒れた。椅子から崩れ落ちたので、シルフィが素早く支える。確認すると、ヒュウラがヒュウラに戻って寝ていた。鼾を掻きながら爆睡をしている。
 もう魔犬との交信は出来ないと確信した。ヒュウラを仰向けにして床に寝かせ置いてから、ビリビリバギュドゴーン以外をメモしている紙切れを確認する。
『優先順位・高』と書いた2項目を入念に確認してから、思考に耽た。ヒュウラは命の危険に2回晒される。準備方法を考える必要が生じたが、ヒュウラの護衛保護官を除隊させろという助言だけは納得出来ずにいた。
 そうならないように、更に鍛えるべきだろうと判断する。カロルが言ってきた”小さきモノ”も容易に想定出来た。
 だが此の狼が”アレ”を背に乗せる可能性は、間違い無くゼロだ。