(49) 哲学的な朝

おはようございます.今日も自分なりの1日に.
最近,ずっと仕事のことを考えています.
頭に浮かんできます.
これはぼくの中では,いいこととは思えません.
だから,休職中に何を考えていたのかを思い出しました。
休職中は常に,いま,何をしたいかだけを考えていました.
だから.いま何をしたいかを考えます.

自分の自由を許せない人が,他人の自由を許せるはずもない.
誰からの電話も出ない自分がいるのに,自分からの電話に出ない相手を許せないのは,明らかに他人軸
自分の自由を縛っているのはいったい何なのか
それは
自分は変な人ではないとか,常識がないとか,不器用だとか,思いやりがないとか
自分で自分を自分が考えている世の中の勝手に作り出した自分に合わせようとしているに他ならない
当たり前というのが,自分の中にまだまだあって
それから解放することを,まだ自分で否定している可能性が高い
いいのに.変で.むしろ,変ってなに

ある本を読んでいる.キンドルで読んでいるから,タイトルを書くのが少し億劫
その本に書いてあったのは
目隠ししてものを食べて,それが安いか高いかを当てるゲームは
日本で流行っても,海外では流行らないだろうという話
海外は
「安かろうが高かろうが,自分がうまいって思えばそれでよくない?」
という考えをもつ人の方が多いからだそう.
すごく印象的だった

ぼくは正解を探している
世の中が作り出した正解を
この話,何回も記事にした
自分の選択を正解にすることが一番自分軸だと
思っていても
実際行動することの難しさを
体感している

幸せは
自分で決めたことを,自分で実行すること
その本に書いてあった
つまり,自分で決めて,それに責任をとりなさいということでもある
つまり,ぼくは責任から逃れたいという考えをもっていることでもあるだろう
他人軸は,楽でもある
しかし,自分で何かやり遂げたという感覚に浸り
自己肯定感や自己有用感を感じるには
少し物足りない生き方になってしまうのは
いうまでもないだろう

昨日はお酒を飲んだ
やはり睡眠は浅い
つまり
睡眠の浅さという責任をとり
自分でお酒を飲むという行動を決定した

では次からは
お酒に対して,次の日本当に予定がないときに
飲む方がいいという学びにつなげればいいということ

これまでの自分の殻を破ることは
これまでの小さな積み重ねを
ひとつひとつ
スプーンで救って
外を放り投げていることだろう
その下に埋もれている自分は
まだ何も知らない
何かを知りたい
まっさらな自分であるから