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バカだからこそ本をいっぱい読むんです

「バカだからこそ、本をいっぱい読んでいるんです。」
他人に「本読むの好きなの?」って聞かれたら心の中でいつもこう答えています。

僕をフォローして下さってる方は、もうお気づきかと思いますが、僕ってバカなんです。誤字脱字や慣用句の誤った使い方などなど、めっちゃ多くて読みづらかったですよね?その節はすみません。

初見で読んでくださっている方も、僕のnoteを読み進めていくうちに、文章から教養や知性というものを感じ取ることができないと思います。読み終わるころには、「こいつってバカなんだな~」って口から自然にこぼれているはずです。


自分がバカだと気付いたのは道徳の授業中

皆さんにも小中の時、道徳の授業があったかと思います。僕の代では「心のノート」とかいう、なんやよう分からんピンボケしたイラストが挿絵の教科書を使ってました。

授業ではひとつの物語を読んで、その内容にについて班で意見とか感想を出し合って、まとめたものを最終的にクラスで発表して担任の先生に講評してもらう形式でした。例えば、「なんで太郎君は花子ちゃんに意地悪なこと言ってしまったのかな?」とか、「お父さんが太郎君に叱ったのはなんでなのか?」という質問があってそれに答える感じです。

でね、そのとき気づいたんですけど、いくら頭をひねっても何も思い浮かばなかったんです。叱った理由なんて、「お父さんの気分を害したから」しかあらへんやろ!って僕は思ったんです。でも、班の友達は、「太郎君のこの発言が花子ちゃんのコンプレックスを刺激して、それを想像できなかった太郎君の配慮の無さにお父さんは子供に対する責任感を感じて、太郎君に思いやりの心を持って欲しくて教育した」みたいな感想をスラスラ出してくるんですよ。僕は本当にバカだったんでそういう理論建てた発想すら持ち合わせていなかったんです。

テストの点数の取り方は分かるけど、答えの無い問いには答えられないんです。

道徳の授業はもとより、音楽の授業で聞いた曲の感想とか、伝統芸能の鑑賞の感想とか全く書けないんです。だから、回収間際に隣の人の感想をパクってどうにかしてしのぐことで精一杯でした。もう、ずーと地獄でした。

このままではマズいと思い、本を読み始める

バカ過ぎて、感情を言葉にするのが苦手で、話し言葉の日本語の使い方ですら怪しかったので、小4辺りから手当たり次第に本を読むようにしました。児童向けの角川文庫の小説はもちろん、新潮文庫とか新書とかにも手を広げてました。おかげで小学5年生から中学3年生までは毎年、「学年で1番図書室の本を借りたで賞」みたいなものを貰ってました。もちろん、高校生になっても、大学生になっても本を読み続けました。

それでも、大学生になった今でも、言葉に不自由しているんです。二十歳超えているのに、年相応の文章を書けなかったり、教養がなかったりするんです。あんだけ戦後の文豪の小説とか、大学の図書館の歴史文献だとか、芥川賞作品とか読み漁ってるんですけど、バカが治んない。ボキャブラリーも、知識も一向に身につかないんです。なぜなら、


記憶力と集中力の無いバカだったから

記憶力と集中力がカスだから、何も頭に残っていなかったんです。あんなに本読んだのに、何も養分として脳みそに吸収されていなかったんです。びっくりしますよ、1か月前に読んだ本を新鮮に読み直すことができちゃうんですよ。ミステリー小説とかでも、トリックどころか、犯人が誰やったかすら忘れてるんです。やばいでしょ?ミステリーの知識も、ホワイダニットってなんやったっけ?のレベルで足踏みしています。

この調子だから、映画やドラマも一切記憶に残らないんです。たぶん今、「すずめの戸締り」見ても、新鮮な気持ちで感動して泣くと思います。だって登場人物、ポスターに写ってる女子ひとりおったな~ぐらいしか思い出せないレベルですから。


最近は3回読み

さすがに記憶力がしょぼすぎるんで、同じ本を3回読むようにしてます。さすがに3回も読んだら、それなりに頭に定着してる感じはあります。あと、感想メモとかもスマホに記録してて、映画やドラマに関しても直ぐにメモるように習慣づけています。


おわりに

本を読んでいたら、頭よさそーとか思われがちですが、頭良い人もいるけど、バカだからこそ読んでる人もいるんだよ、ってことが伝われば幸いです。オードリーの若林さんもそんなことを確かエッセイで言っていたような気がします。

おしまい。






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