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米軍基地問題について

 さっきまで報道特集で「お笑い米軍基地」の特集を見ていた。

 昔母さんの車の中で、沖縄のお笑い事務所FECが主催するお笑い米軍基地のDVDを見てて、 自分全然沖縄のこと分かっていないなあ。 とか傲慢だなあとすごく感じていた。

 けど、それすらも生活者の視点ではなかった。本土の人間が本気で基地に反対するなら、そこに本土側の解決策を提示したり、基地の受け入れ運動したりしないと根本的な解決に繋がらないって思う。

 でもそれは声を大にして言えない。大学生になって、高校時代にツイッターで炎上した苦い記憶から、沖縄関連の社会批判や基地問題関連の発信を控えてきた。

 怖いけど、自分みたいなナイチャーでも、小さな声をあげたほうがいいかな?とも思っている。

 中立的な発信とか、現実的な安全保障に基づいた基地反対理論はあくまでも肉付け的な要素である必要がある。

 本当に重要なのは沖縄に基地が集中する現実に本土の人間として真っ正面から向き合うことなのかもしれないとも思う。
 
 「この問題は思いがないと答えられないんですよ」。2018年に亡くなった翁長知事の言葉を思い出した。 主観で何が悪いんだろうか。

 政治は感情ありきであって、もっと言えば基地反対に左右イデオロギーは関係ないと思う。曲がりなりにも民主主義社会で大事なのは みんなの想いを変えることなんだなと感じる。

 じゃあどうすれば皆の思いを変わるのだろうか?全員沖縄に行って米軍基地の周辺に住む住民から話を聞かないと思いが伝わらないのか?

 憚りながら言えば実際米軍基地で働く親がいる家庭や米軍基地に地権を持っている地主さんは僕の考えているような画一的な基地問題の視点とは異なる考え方を持っている人も多いだろう。

 「沖縄の人の中でも様々な考え方があるんじゃない」。というふうには思う。それでも歴史を遡れば「銃剣とブルドーザー」や「米軍による土地接収」、「島ぐるみ闘争」があったのは事実ではないだろうか。
 
 そこを考えれば、本当に先祖代々の土地が米軍基地に盗られ、周りに住んでる人たちにとってその米軍基地っていうものの存在がプラスに働いていると考えるのは全体的には難しいんじゃないかと個人的に思う。

 何が答えかは分からないけれども、本土に住む外部の人間が「あーだこーだ」言って解決させるというよりかは、沖縄戦で時間稼ぎをさせ高度経済成長の間にアメリカの下に置いてきぼりにして 、自分たちだけ発展して今の生活があるってことを考えれば、「僕たちはもっと謙虚であるべきなのかもしれない」と感じる。

 もっと基地問題について多くの人間が。沖縄に対する思いを持って取り組める、そんな社会を作るためにどうすればいいのか。基地問題を他人事ではなく自分事として本気で考えたことがない人に伝えたい。

 「自分が思いを持っているから思いを少しでも持たない君たちは悪い」というのは傲慢な考え方だとは思う。

 けれども「ひろゆき」や「高須医院長」の件しかり、本気で沖縄のことを考えずに自分たちが責任感を負わずに都合のいい受け取りや発信をする人間が増えすぎている現状に目を背けてはいけないと思う。

 ここまで長くなってしまった。だがなにが正しいかどうかではなく。沖縄に向き合うか否かで立ち止まっている社会。全体主義に走り地域アイデンティティを軽視する国家の在り様に違和感を覚えている。

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