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貧困ギフテッド

目の前になかなかこれは天才だという少女がいた

Gongharia村で7か月ほど教育活動をし、およそ2か月に1回訪問している。

その際にノートを観て勉強内容を確認し、進捗を見て回るのだが、今回の訪問で、これは天才だろうという子供がいた。

4歳2の段の掛け算ができ、このサムネの絵、私とのコミュニケーション、その挙動などこれは恐らくギフテッドと呼ばれるに値するのではないかと思った。

少なくとも周囲の子とは一線を画していた。

それまで教育を受けたことも親が教えられるわけでもない中でここまでできるものなのか。

同時に私たちが教育活動をするまではもちろんその才能をまずは見つけられることもなかっただろう。

見つけられたからと言ってなんなのかは分からない。

ただ少なくとも読み書き計算などの基本的な情報を得て発信するためのスキルを与えることはできている。

彼女が少し大きくなり、何かを目指したい時に諦めなくてもいい機会提供はできそうだと感じる。

今このままが続くということは考えにくく、おそらく情報化と資本主義の波はそのうちこの村にも到達する。当然田舎の女性であれば10代での結婚をある種強要されるという事情がある。それが多少変化する可能性もある。

彼女の人生がこれからどうなるのかは分からない。

ギフテッドだから特別視した教育をしようとも思っていない。

私の目標は外部環境が原因で努力できない人をゼロにすることであり、それは知能指数によって左右されるようなものでは決してない。

この少女が支援を受けて社会経済的に成功し、その影響もあっていわゆる貧困地域を支援する人として活動するということも考えられる。

ただその可能性がどれほどのものかは分からない。人間はそんなにきれいなもんじゃない。

そうであればもうとうに課題など解決していただろうし、特殊な事情を除いては読み書き計算もできない人間、その機会さえない状況など私が何もしなくても地球上に存在していないだろうと思う。

この少女が大人になるまで支援する資金をほかにいくらでもいるイマ課題をかかえる人への支援として活用しないという判断も私にはできない。

心配なのは、勉強することによって彼女が周囲との違いを認識し、村社会で生きにくさを感じることを助長していないか、周囲の人は受け入れられるのかどうか、関わった人間として、またこれからも関わり続ける人間として幾ばくかの心配を拭い去ることはないだろう。

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