福岡洸太郎

福岡洸太郎

最近の記事

SDGsに基づく行動なら絶対的に善であるのか?

貧困地域の人間は決してお前の自己実現のために今日お前と同じように息を吸って吐いてご飯を食べて働いて眠っているのではない。 個性尊重と行動の絶対視化 SDGsによる問題の単純化 少子化による若者への過剰な焦点 これらの事柄は”他人の課題を食い物、生きがいとして生きる人間を増やしている” そう思ってならない。 これまで様々な活動家がおり、経済的な8点があり、各種指標において貧困というものは絶対的に減ってきている。 それはおそらく多少統計にズレはあれども”正しい”のだろう

    • 支援の失敗事例の紹介

      NPO法人を代表として運営し、現場で活動するものとして現場の課題解決の他にすべきこととして活動、支援の失敗事例を共有することが挙げられる。 それは必ずしも私の知った管轄外であれ、具体的な失敗事例を挙げることは今後活動をし、”課題を解決する”ために活動する人間全員にとって好ましい事例であり、当然被支援者いう同じ人間の方々にとっては是非とも共有しておいて欲しい事例であろう。 1違法居住地の建設支援 インドの大都市では建設ラッシュが続いており、違法で住んでいるスラムの立ち退きは日

      • 「勉強したくてもできない子供たち」なんていない

        「勉強したくてもできない子供たち」ってなんなのか 年度が変わる。 3つの法人を経営している身としはなかなか時間が現場の活動以外に食われるしょうもない次期だと思う。 箱なんて世界で1つでいいと心底思う。 絶対に実現することはないが、倫理と罪と罰が完全に機能していれば。 そんな私のくだらない時間の浪費とは関係がなく今日もまた外部環境が原因で努力できない人間が生きており、教育活動と女性の自立支援活動をしている。 勉強したくてもできない子供たちなんているのか? 勉強したくても

        • 国とは?〜いつまでインドにいるのか?〜

          「いつまでインドなのか?」 6年目に入った今、日本人の方からはよくこの質問をいただく。 回答であり解答は「私が影響を与えなければいけないと考えており、私の価値を出せるところ」。 相手によって言葉の選び方は変えているが、私が場所を選ぶ基準は以下。 外部環境が原因で努力できない人がいる 私がその環境において想像可能な将来的な意味も含めて価値がある この2点。 どうように選択の際に気にしていないことは以下。 国“名”・地域“名“など人類が勝手に地球上に引いてきた線

        SDGsに基づく行動なら絶対的に善であるのか?

          手すりとの会話

          手すりをつかみ、立ち上がり思った 「あぁ、なんて気持ちがよいんだろうか」  少し手を放して手すりから遠ざかった 「せっかくの運動神経だ。助走をつけて飛び越えたらどんなに気持ちがいいだろうか」 パタパタパタパタパタ ヒョンッ 「きれいに飛べる。もうどこにも向かわなくていいんだ」 あ、まだ遺書残してなかったな 飛び降りというのは嘘で、飛んだら重力で下に行くだけ  思い返してみれば友達と呼べるような関係の人間、即ち特に価値を与えることを考えることなく連絡をし合って

          手すりとの会話

          死にたい時 消えたい時 そんな時を迎えるあなたと私へ

          何度その様な時間が訪れても何とか明日を迎えられている状態の今を迎えられているということ 一番簡単に明日に向かえる方法は隣に誰かいる状態でいること ただそれはとても難しいこと そんな人がいるならそもそも死にたくも消えたくもならない じゃあどうするんだというんだ この期待が持てない人間社会での自分がたまたまにでも明日を迎えるためにできていたこと それは感情のままにいること 考えていることは「もう死んでもいい」ということだけ 後は感情のままに自分を放置している 結

          死にたい時 消えたい時 そんな時を迎えるあなたと私へ

          大事な人を身近な人にしないということ

          端的に身近に一緒に居たい人、守りたい人、特定の個人存在がいることで 時間の使い方 居る場所の選択 お金の使い方 それらに影響する それが身近で大切であればあるほど それ以外の人とその人との間に差が埋まれる そうしてその選ばれなかった人のことを人間はいつのまにか存在自体を無視し、放置し、無関心に自然となっていく 裏を返せばその様な特定の個人が身近な存在になったその瞬間から 人のカテゴライズが始まり、考え行動することができない人という存在が埋まれる その様な時

          大事な人を身近な人にしないということ

          社会活動をする上での必要十分条件

          まずは自分の幸せを まずは自分が食べていかないと まずは自分の生活を 将来設計を そうやってただの人類が人類だと分類した1生命体の中身にそれぞれがそれぞれの分類方法で区切った境目の内側の質というものに重きを置いてきた結果 産まれた場所 今いる環境 たったのこれらが原因で、背景で、夢や目標や志や好奇心を抱いたその瞬間に、同時に諦めなければいけない、全く同じ人間が、人類として私たちが分類した人類が、全く同じ空のもと、全く同じイマという時間を過ごし、呼吸をし、生命活動

          社会活動をする上での必要十分条件

          ガイジンが活動する価値

          ガイジンが活動する価値、事実として以下3つ 1いつかはNGO,NPOの様なことをやろうと思っていた人が実際に始めた 2全く関心が無かった人が私に寄付をしてくれた 3現場やNGO同士の間接的な協力の中間に入りやすい 1はスタートアップの経営者の方で、コロナを機に教育支援について話す機会を得た友人で、いつの間にかNGOを設立し、活動を初めていた。 「ガイジンであるお前が国を捨ててでもこのインドで活動してくれているのに俺はしていないことが恥ずかしく、いつかではなくてイマす

          ガイジンが活動する価値

          貧困地域の教育事情

          インドにおける多くの日本人のお子さんたちは日本人学校やインターナショナルスクールなどに通っているだろう。BSE、ISBE、IB等いくつかboardがある中、帰国前提の方が多いため恐らくIBか日本人学校が多いと耳にする。 日本に戻る前提の方にとってはCBSE自体もなじみが薄いかと思うがインドで最も一般的なのがこのカリキュラムであり、インド最高峰のIIT,IIMに進学する人たちもこのカリキュラムで学んでいる方の割合が圧倒的に多数で近年は日本でも見られる。  一方NPO法人結び

          貧困地域の教育事情

          バースデードネーションを企画いただきました!

          なんと結び手事務局の方が私の誕生日、10月16日に合わせてバースデードネーションキャンペーンページを作成してくださいました。 https://syncable.biz/campaign/4816 ただただ感無量で嬉しく思うとともにより一層の努力をという気持ちです。 正直誕生日をお祝いしていただくことはありがたいことに何度かありました。その度に常に嬉しく思っていましたが、このキャンペーンを作成いただき、私の目的を後押ししてくださること、嬉しさはひとしおです。 とにかく自分自

          バースデードネーションを企画いただきました!

          IT技術の発展は貧困課題を解決するか助長するか

          私はインドにて社会活動と呼ばれる活動をしている。その中で技術発展と課題解決に関して考えることがある。 カーストに関係ない仕事として夢・希望のように語られるし一部事実なのは間違いなく、事実も存在する。例えば実際に私の友人でアウトカーストに属するが運と才能と努力と家族の温かな支えのもと、勉強し、オンラインで可能な仕事を少しずつ実施し、大学もオンラインで受講して学位を取りつつ勉強をしている人がいる。 これは明らかにIT技術が無ければありえなかったストーリーであり、IT技術の発展

          IT技術の発展は貧困課題を解決するか助長するか

          インド独立記念日と終戦記念日の討論~国を考える~

          8月15日はインドの独立記念日であり日本の終戦記念日ということで普段はカレンダーに左右されて行動を決めることに嫌気がさして自分の動きとしてはよしてしまったのだが、社会はそうは動かない。 その中であるインドのNGOの方とMTG後に30分ほど語り合った。 互いの共通見解は「国」というものは人類が地球上に線を引いて権力者の都合のよい形にしてきただけのもの。 同時にそれは多くの人間生活にとって当たり前の所与のもののように捉えられている。 様々な経済指標しかり、戦争しかり、

          インド独立記念日と終戦記念日の討論~国を考える~

          貧困ギフテッド

          目の前になかなかこれは天才だという少女がいた Gongharia村で7か月ほど教育活動をし、およそ2か月に1回訪問している。 その際にノートを観て勉強内容を確認し、進捗を見て回るのだが、今回の訪問で、これは天才だろうという子供がいた。 4歳2の段の掛け算ができ、このサムネの絵、私とのコミュニケーション、その挙動などこれは恐らくギフテッドと呼ばれるに値するのではないかと思った。 少なくとも周囲の子とは一線を画していた。 それまで教育を受けたことも親が教えられるわけでも

          貧困ギフテッド

          社会活動とは絶望に向き合うこと

          活動報告ではなく近況報告という違和感 もはや行動や意識の大半が目的のもとのためになって久しく、自分の人生の近況報告という言葉には違和感を抱くようになった。 10月の社会活動家の知人の自殺以降、現場の先生の自殺未遂、新しい先生のレイプ被害、先生へのいじめ、社会活動家の友人へのリンチ、宗教を背景とした汚職事件、社会活動家の友人の息子の早すぎる急死 脳みそが拒否してかもはや思い出すことすら一苦労な出来事が、とりわけ死というものが、とても多く起きている様に感じる。 当然世界で

          社会活動とは絶望に向き合うこと