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IT技術の発展は貧困課題を解決するか助長するか

私はインドにて社会活動と呼ばれる活動をしている。その中で技術発展と課題解決に関して考えることがある。

カーストに関係ない仕事として夢・希望のように語られるし一部事実なのは間違いなく、事実も存在する。例えば実際に私の友人でアウトカーストに属するが運と才能と努力と家族の温かな支えのもと、勉強し、オンラインで可能な仕事を少しずつ実施し、大学もオンラインで受講して学位を取りつつ勉強をしている人がいる。

これは明らかにIT技術が無ければありえなかったストーリーであり、IT技術の発展と普及によって機会を手にした好事例と言えるだろう。彼は自らの境遇や周囲の境遇を理解している分、私とともに周囲のスラムエリアにおいて教育活動を実施してもいる若者だ。


ただ、このような例は村やスラムをまわっているとかなり稀有な部類に入る。私が活動している村の多くは村人の9割ほどの人が文字の読み書きができず、簡単な計算もできないという状況だ。そのような方にPCやスマートフォンを渡したところで何になるというのだろうか。


技術発展による雇用機会の喪失。この状況はマクロな文脈でも見て取れる。例えばドライバーという仕事の変化。スマートフォンの有無どことろか文字の読み、書き(タイピング)など不要だったその仕事は多くの都市部、一部の田舎では消失していっている。まともな教育を受けることができず、学校に行っても先生すら居ない地域がある。

そのような場所で成長した人間ができる仕事は、その肉体を使った日雇い労働、農業、建設、ドライバーなどの仕事だ。とりわけ観光地や都市部では今も客引きをするドライバーを見かけることがある。しかし多くの人がUberやOla、BluSmartなどの様なスマートフォンを活用した配車アプリを使用する生活に慣れた今、面倒な料金交渉が必要で地図を読むことができないドライバーにアプリで依頼するよりも高額な料金を請求されて移動する必要性が大きく減少しているように思う。そうして今までは土地勘があり、会話ができれば成立していたドライバーという仕事は求められるスキルに読み書きができ、スマートフォンを扱うことができるというものが加わったことで困難なものとなった。

当然配車アプリの普及によって雇用機会を得た人もいるが、上記の通り失った人もいる。そしてこのIT化、情報化、効率化の波はとどまることを知らないだろう。そうなると今の子供たちの中で小学1年生レベルのリテラシーを身に付けることなく年齢を重ねる人の将来はどの様なものになっていくのだろうか。


私たちに技術の発展、情報化の波、資本主義経済の農村部に至る浸透を止めることは極めて難しいのかもしれない。ただ、基礎教育の機会を提供することは決して難しいことではない。活動を初めて3年足らずのNPO法人結び手でさえ600名を超える子供に直接機会を提供しているのだから。当該地域に暮らすこれからの世代の子供たちの生活は今私たちが何をするかに関わっており、必然的に全大人に責任がある。

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