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郷愁に引き込まれぬよう唇噛む

 台湾ドラマの「いつでも君をまっている」を、只今、絶賛視聴中です。

これ公式

 とても丁寧に作られていて、好感度◎です。
 イメージ画像のカセットテープは、作中、ヒロインの昭君がウォークマンでカセットテープを聴いているからです。おい! まだ動くんかいっ! と驚いたのなんの。

 ドラマでは、国語(マンダリン中国語)に混じって、台湾語(たぶん多数派の閩南語)がバリバリ出て来ます。日本統治時代に定着したと思われる日本語や、現代日本語も――日本人が「アモーレ」とか「コッマンタレブー」とか冗談交じりで使うのと同じような感覚でだと思うのですが――たまに混じる。そのせいもあって、台湾実生活のリアル感がありありでございます。

 主人公はアラサーの俊龍なのだけれど、俊龍のじいちゃん進徳の若い頃の話がふんだんに折り込まれていて、準主役といってもいいぐらい、良い味を出してます。
 じいちゃん、穏やかな好々爺なんですが、実は、かなり波瀾万丈、山あり谷あり 意外な過去ありの人生です。

 ちょっとネタバレですが、作中、ヒロイン昭君の母親の若い頃の話が出て来ます。80年代の「ディスコ」で踊りまくるヒロイン母。うっわ~ベタ……と思いつつも、違和感。
 実は私、80年代台北の「でぃすこ」に物見遊山的に行ったことがある。
目にしたのは、ドラマとは全然違う風景。
 そこにいた人たちは、ドラマの昭君母のような80年代におけるイケてるファッションではなく、普通の学校帰りみたいな格好。
 そして、何より衝撃であったのは
  吉川晃司の「モニカ」でゴーゴーを踊っていた……。
 いや、中にはゴーゴーというよりフォークダンスっぽいのもいたな。
 この想定外の光景に、のこのことやってきた日本人一行は、どうしたらいいのかわからず、マジ固まる。
 考えてみれば、私を含めて、みんな日本でも「でぃすこ」なんて行ったことのないようなダサ系ばっかりではあったが、それでもゴーゴーって(一世代上の話やろ)ってぐらいのことはわかる。しかも吉川晃司って……何で……?

 タイトルと随分かけ離れ話っぷりで強縮ですが、そうでもしないと正に郷愁に引きずり込まれて、何とも複雑で落ち着きどころのない感情に支配されてしまいそうで苦しいんです。
 10年、20年と前の自分なら、素直にこのドラマから受ける郷愁に浸ったであろうけれども、就活ならぬ終活の方をした方がいいのかと考えてしまうお年頃になると、郷愁に苦いものや後悔や警戒がひどく混じってきてしまうのです。
 古いものがすべて悪いわけでもなく、新しいものがすべて悪いわけでもない。けれど、古い感性のままでは生きていけないのなら、そこから脱しなければならない。だが、そうすると、過去がすべて無駄にも思えてくる。
 きっと、今が困窮した時代ではなく、この先も見通しが暗いのでなければ、この今を作り出した過去に対しての見方や感覚も違ったであろうけれど。

 若い人は、こういうドラマを見て、どうなんだろう。どう捉えて、どう感じるのだろう。
 年齢ではなく、置かれている状況やそれまでの人生で、感じ方、捉え方が違ってくるのだろうか。
 このドラマはコロナ以前に作られたようだが、その頃と今のコロナ禍時代では、思うところが違ってくるのだろうか。
 なんだか最近、コロナ前の感覚がわからなくなってきちゃてるんだよね……。というところで、またしてもとりとめもなく終ります。


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