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福は内 貧は外へと塩をまく

 本日は、節分でございます。
 子供の頃は、豆は年の数だけ食べられるということで、爺さん婆さんが無性に羨ましかったです。今では年の数だけ豆を食うと考えると、それだけでゲップが出ます。そんなお年頃に気が付いたらなっていました。

 さて、タイトル解説。
梅しお流豆まきは、「福(の神)は内」と自分の口の中に豆を撒きます。そして、「貧(乏神)は外」と(掃除が大変なのでベランダ辺りでちょびっと)塩を撒きます。
 鬼も当然、家にいてもらいたくはないが、貧乏神はもっといて欲しくない。鬼なら『泣いた赤鬼』の赤青鬼さんならいてもらってもいいかな。外に睨みきかせて警備員やってもらえそうだし。変な勧誘や押し売り、押し買取りを撃退してくれそう。
……なんてね、屁理屈。

 平成初期だと思うが「亭主元気で留守がいい」というフレーズが大受けしたCMがあった。これを梅しお流五七で表すと
金は内 亭主元気で外に出す
金は内 亭主は外に鬼は内
といったところか。
 随分と鬼嫁なフレーズだが、昭和の――いや平成もだな――家庭スタンダードな常識であった。
 平成でのことだが、結構偉い方な上司が「今日はアフターに飲み会も会合もないから、どこかで時間潰さなきゃ」とぼやいていたと同僚から聞いたことがある。家族がまだ食事して団らんしている時間帯に帰ったら邪魔だから、早く帰宅することを遠慮しているらしい。当然、彼の夕食は用意されていないのがデフォルト。土日もほとんど家にいないらしい。ゴルフとかやっぱり仕事とかで、家になるべく居着かないようにしているらしい。
 この上司、別に悪い人でもないし、セクハラやらパワハラやらを働く人ではなく、部下を気遣うところもあった人なので、ちょっと気の毒になった。でも、亭主持ちの同僚たちからすれば、この上司の家族に対する遠慮は、「偉いわぁ、ウチのダンナも見習って欲しい」とは思っても「家族に遠慮して、自分の家にも帰りずらいなんて気の毒」とはならないらしい。上司の奥さんは専業主婦だから、彼の家族は上司の収入で生活している。勿論、上司が帰りずらい自宅も彼の収入(たぶんローン)で建ったものである。
 令和の現代でも「亭主元気で留守がいい」は若干、生きているように思います。ただ、意味が違ってきてる。コロナピークの頃より減ったとはいえども、在宅テレワークが認知された昨今では、夫も妻も(家庭によっては娘も息子も)みんな家で仕事するもんで、家族が嫌いじゃないんだけど、365日24時間、家の狭い空間にずっと一緒に居ると息が詰る……「亭主も女房も(子供も)元気で留守がいい」ってね。


 以下、甚だしく話が脱線していくので隔離。
 ふと昭和漫画の「ダメおやじ」を思い出した。
ダメおやじの家の生活は、彼の収入で賄われている。彼は外で働き、家に帰っても何やかやと働かされ、あげく憂さ晴らしに奥さんにいじめられる。それも命の危険すらある物理的暴力で。ダメ親父には人権も人格も認められていなかった。これが今の世なら完全なDVである。奥さんは完全にパーソナリティ障害とかサイコとか発達○害とか断定されていただろう。その前に、そんな漫画自体が今じゃアウトだろう。
 私はこの漫画が大嫌いだったが、当時は大人気だった。笑うところなんてないだろうに、ギャグ漫画扱いされていた。昭和にレトロでほのぼの~なイメージを抱いている人も多いと思うが、そういうところも確かにあるけれども、「ダメおやじ」に見るような凍えてフリーズしちゃうような、それでいて、不快指数100%の蒸し暑い熱帯夜よりも、濃密に粘っこく、じっとりじめっとした陰湿な憂さと心の歪みと闇と狂気が、あけっぴろげに、しかも笑いながら、画面や紙面でもリアルでも、そこここで大ぴらに垂れ流されていた時代でもあった。
 よく昔は良かったと言う(私よりも)年寄りがいるが、そういう部分では、今の方がずっと健全で良いと私は個人的に感じている。
 人権や人格の尊重なんて脱ぎ捨てた剥き出しの嗜虐を隠さず、漫画を楽しんで笑っていた人たちは、特段に残忍でも鬼でもあくまでもなく、普通の人たちであったはずだ。怖い。そういうことは気付きにくいから余計怖い。そして、今でもその怖さは形を変えて、媒体を変えて、そこここに存在している。

 たぶん、『ダメ親父』は隠れアンチテーゼとして描かれたのではないかとは思うが、受け手が作者の意図とは別の捉え方をしたり、斜め上下左右に解釈が行っちゃったりすることはよくあることだ。本来、この作者はリーマンおじさんの悲哀をユーモラスかつちょっと愛おしげに描く人である。
……ふいっと思って『ダメ親父』ネット検索してみた。何せあまり記憶の定かではない子供の時分の話だから、認識が違っている部分もあるかもと。wiki先生を見たところ、終盤から話が急転換しているらしい。知らなかった。ジャンルも、ギャグ漫画→蘊蓄漫画と定義が変わっている。路線変更の理由は作者によると「社会がぼくの漫画を追い越してしまった」からだという。連載期間を見ると、70年~82年とある。80年代まで続いていたとは知らなかった。そりゃ、路線が変わるわな。時代の変遷と一つの漫画作品の中での作風の変遷のリンク。なかなか興味深い。


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