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少女デブゴンへの路〈5席目〉

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 (縦書きリンク先では、第2章冒頭から始まります。ご了承ください)

  

5席目 キン子の修業時代

 本日もご視聴ありがとうございます。――パン。

 タマサカ先生の研究スランプの気晴らしから始まったキン子のなんちゃってカンフー修行、今回はその続きでございます。
 前回は、なんちゃってカンフー修行に相応しい、なんちゃってカンフー師匠が登場いたしました。当然、なんちゃって功夫師匠のご指導もなんちゃって。
 なんちゃってだらけのカンフー修行はどうなっていくのでしょう。大丈夫なんでしょうか。何やら心配にはなってまいりますが――パン!
 続きを読んでまいりましょう。
  パパン。

 なんちゃってカンフー師匠のカブ師匠をお迎えした翌日から、さっそく、なんちゃってな本格トレーニングが開始した。ゴッちゃんがトレーニングスケジュールを組み、基礎体力作りのためのランニングも始まった。
 毎朝、ゴッちゃんの後ろにくっついて「はぁはぁ」と息をあえがせながら走るキン子。パン太も補助輪のついた子供自転車をガラガラと漕いで、ピッピと笛を吹きながら一生懸命に追いかける。自転車の籠の中には、ソンタ君がちょんと入っている。「えらいなぁ。がんばってるなぁ」とパン太の笛に合わせて太鼓をトコトコ叩きながら褒める。なだめる。おだてる。
 P世界を超えてコロナ疎開してきたカブ師匠も二週間の隔離監禁が解けると、カブ師匠サイズに調整されたタマサカ製パワーアシストスーツ『筋コップ』を身につけて一緒に走る。首から上は銀髪お団子ヘアーの婆さん、首から下はメタリックなミニチュアサイズの筋だけロボコップが走る様子は、いやぁシュール。見たいような見たくないような……。
 ランニングの後は、柔軟体操、基本動作の練習、スクワットまでが朝のトレーニングメニューだ。
 朝ご飯の後は、お勉強だ。オンラインで家庭教師の先生から指導を受ける。こちらは、なんちゃってじゃなくて、正真正銘の本物プロでございます。
 お昼ご飯の後には、ちょっとお昼寝して、自習。ドリルを解いたり、読書をしたり。
 三時におやつして、洗濯物をたたむお手伝い。自分の部屋もお片付けしてお掃除。
 それから晩ご飯の時間までは、自由時間だ。アニメを見たり、漫画を読んだり、ゲームをしたりして楽しむ。お使いや菜園の水遣りなどのお手伝いをすることもある。
 晩ご飯を食べたら、お風呂に入って、キン子は軽く柔軟、パン太は日記を付けてベッドに入る。
 月曜から金曜は、この繰り返しである。土日は、菜園のお手伝いやお出掛けをしたり、タマサカ先生のお手伝い――遊びみたいなもんですけどね――をしたり、宿題をしたりして過ごす。ただし、朝のルーチンであるランニング、柔軟体操、基本動作練習、スクワットは毎日続ける。
 なんと規則正しい日々。勤労少年だったパン太はいざ知らず、規則正しく生活するなんて、キン子は生まれて初めてだ。ボーン・ツー・ビー、グータラ金満お嬢育ちのキン子には、さぞキツかったであろう。
 でも、キン子は頑張った。デネーズ裏メニューのために頑張った。
 だけど、頑張るってことを放り出して逃げたくなるときはある。だって女の子だもん。涙が出ちゃう……なんてわけがキン子にあるはずがない。
 辛いとき、キツいとき、面倒くさいときは、デネーズの裏メニューを思い浮かべる。そして
「CBS! PGP! SHK!」と唱える。
 そうすると……涎が出ちゃう。だってキン子だもん。
 おお、SHK! 秘拳と名前が同じじゃないか。よくわからないが、俄然意欲が高まるキン子。SHKを頑張って、SHKをきっと食べるんだ! 
  パン!パパパン‼

 やがて、新緑の季節が過ぎる頃には、ランニングをするキン子の呼吸が安定してきた。パン太も、ガラガラとうるさかった補助輪が自転車から外れた。
 トレーニングの成果が徐々に表れてきた。金満お嬢育ちのキン子も基礎体力がついてきて、スクワットは10回×2セットまでできるようになった。基本動作も上げた足の先が手先に触れることはまだできないが、顔の前までは上がるようになった。
 パン太は自転車が上手になった。ちょっと遠くのスーパーにだって自転車でお使いに行く。もう喜んで行く。相変わらず痩せでチビでド近眼デカ眼鏡だが、青白かった頬が子供らしい桃色になってきた。良きかな。良きかな。うんうん。
 カブ師匠も、タマサカ製パワーアシストスーツをすっかり気に入った。これを身に着けて、菜園の畑を耕したり、重たい肥料を運んだり、丸太を運んだり、薪を割ったり。薪……何に使うんでしょ――日曜大工で棚まで作っちゃった。おかげでギャンブル癖が、ちっと収まった。ああ。健全。ようございました。
  パン。パン。

 やがて、じっとりした嫌ぁな季節が始まった。
 キン子やパン太が住んでいたところには、梅雨なんて季節はなかった。だから慣れない。
 天気がぐずつけば、キン子もぐずつく。しとしとと雨が降り続いて外を走れない。家の中でランニングマシーンを漕ぐが、すぐに飽きてしまう。基礎練習も飽きてきた。勉強にも身が入らない。ぐだぐだ、だらだら、ゴロゴロしがちである。
 パン太は気圧の変化でぐったりしている。
「パン太は低血圧気味だね」
 カブ師匠が持参の家庭用血圧測定器でパン太の血圧を測った。カブ師匠は、ちょっと血圧が高めである。
「こんな季節じゃ、刺激がないとやってられないね。変化が欲しいね」
 カブ師匠、ぐっとこぶしを握り「チェンジ、イエス・ウィ・キャン」と、どこぞの元大統領みたいなことを言った。
「それじゃ、そろそろ套路の練習に入ろうか。飽きただろう、基礎練習。あたしも飽きてきた」
 師匠が飽きたって、普通言うのかって思いますけれど、この読み物にはシリーズ通して普通の人なんていやしません。事実は小説より奇なり。小説の中の人物より、史実の人、現実の人の方がよっぽど変なことが多いのがこの世の真実でございます。
 おや。《これはフィクションだろう》ですって。違います。何度も申し上げますが、講談は史実、事実に則ったお話でございます。多少の脚色やデフォルメは……まあ、ありますけれども。ごにょごにょ。 パン。

 すると、カブ師匠の言葉を聞きつけたタマサカ先生「いいものがあるヨ」と目を煌めかせる。
「準備してたんだヨ。このときのために」――パン!

「じゃーん」
 タカサカ製パワーアシストスーツを身に着けた虚無顔のキン子がお披露目された。
「このスーツにはね、SHK基本套路の動きをインプットしてあるんだヨ」
 ドヤ顔で得意満面なタマサカ先生である。
 子供ロボコップみたいになったキン子を眺めて、カブ師匠
「おや、SHK養成ギブスかい」
 ニヤリと笑うと、両手で何かをすくい投げるような仕草をして「ていっ、秘技ちゃぶ台返し!」と訳のわからないことを叫んだ。
 わかる人はそのままわかっててください。わからない人は、訳のわからないことですから、わからないままで結構です。
「違いますよー。あんな無理で無体で無粋なシロモノと一緒にしないでくださいヨ。身体に過剰な負荷をかけるのは、成長期の子供にとって、悪影響以外の影響はないんだから」
 タマサカ先生が口を尖らせた。
「動きだけを導くんです。名付けて、SHK習得アシストスーツ!
 これまたドヤって叫ぶが
「名付けてって……」
 さしものカブ師匠も、そのまんまなネーミングに呆れて絶句した。 パン!

 かくして、キン子のSKH習得アシストスーツによるSHK基本套路の練習が始まった。
 アシストスーツを着せられたキン子の身体が何をせずとも動き、自動でSHKの基本套路を踏む。キン子は、何も考えることもなく、努力することもない。ゆえに暇である。つい居眠りをしてしまう。
 これで本当に套路が身に付くんでしょうか。正直、疑問であります。
 こっくりこっくり船を漕ぎながら、たまに鼻提灯までこさえながら動くキン子の様子は、前衛舞踏のようであり、トランスに入ったシャーマンのようでもある。滑稽にして、ちと不気味。
 その横でパン太がキン子の動きを真似して、キャッキャと無邪気に遊んでいる。苦労人パン太も、やっぱりまだまだお子様でございます。
 キン子の様子を眺めているカブ師匠の横では、ソンタ君がトントコ太鼓を叩いて「がんばれー、すごいー」とヨイショする。そして、たまにそっとため息を吐く。
「うーん。あんたが作ったアニメーション動画を見たときから思ってたんだが、これ、外家拳か内家拳か区別がつかんね。太極拳のごとくまるく緩やかかと思えば、長拳のごとくスピーディで直線的だったり……足の運びも八卦掌みたいにくるくる回ったかと思えば、形意拳みたいに直線的だったり……何でもありのハイブリット拳か」
 顎に手を当てカブ師匠が唸る。おお。カンフー達人ぽい。あくまで「ぽい」。
 キン子の腕が柳の枝のように柔らかく舞い、弧を描いたかと思えば、身体がつんのめるように前方に傾いで、重力が地に引く力のままにポンと前方遠くへ大きく脚が跳び、踏み込む。
「よくわからないっスけど、タマサカ先生の思考を套路にしたらこんな感じになりそうっスね」
 よくわからないけど、何でもあり。統率感がないけど、何か形になっちゃう。カブ師匠がポンと手を打ち、パン太が「ああ」と頷く。
「ええー、そう?」
 タマサカ先生は不満げに下唇を突き出した。
 と、そこで居眠りキン子がジャンプして鋭い蹴りを空に放った。その衝撃で、キン子がぱちっと目を覚ます。
「……何でもあり? てんこ盛り?」
 キン子、寝ぼけ眼で涎をじゅるりと吸う。この子、何を夢見ていたんでしょうね。 パン!

 こんなんで、套路が習得できるのか。できるはずがない……はずだった。ところが、キン子は見事に習得した。
 数日後、キン子からSHK養成スーツを外して、カブ師匠が命ずる。
「SHK基本套路、やってみな」
 途端にキン子の目がとろーんと半眼になり、あらなんとまあ、見事に套路を踏むではないか!
 どうもキン子は、睡眠学習しちゃったらしい。いやはや、想定外の想像外。さすがキン子――なんでしょうかね?
  パン!パン!

 さて、梅雨があけたての、世間の子供たちが夏休みに入る頃、爆速でキン子がSHK基本をマスターしたお祝いに、タマサカ家ではSHKパーティーが開催されていた。
 シャリシャリ、ガリガリと氷をかく音がひっきりなしに響く。ガラスの器の上にてんこ盛りのかき氷がまた一つ、また一つとできあがっていく。ダイニングテーブルの上には、イチゴ、レモン、メロン、マンゴー、ぶどう、ピーチ、抹茶、ブルーハワイなど色取り取りのシロップや、カルピス、練乳、キャラメルソース、小豆餡やみつ豆、甘栗、缶詰のミカンやパイン、サクランボなどのトッピング、そして、なぜか細かくカットしたサツマイモが所狭しと並んでいる。
 これがスペシャル・ホームメイド・かき氷――頭文字をとってSHKパーティでございます。
 「今度はカルピスかけよう」「シロップ、全色かけてレインボーかき氷だぁ」「小豆と抹茶と練乳のトリオ、旨し」がやがや、わしわし、もりもりと、老いも幼きもシロップで口の周りをカラフルに染め上げながら、嬉し、美味し、楽しの三拍子を夢中で奏でる。人型類のメンツは、涼しげなかき氷を視覚で愛でながら、冷たいシロップ味のエナジーボトルをちゅるちゅる啜る。
 嬉し、美味し、楽しの三重奏の宴の後は、お腹の弱いパン太と、それから全部試してみないと気が済まない骨の髄まで研究者の性(さが)ゆえか、というか節度を知らない探究心の塊であるタマサカ先生のお腹がゴロゴロ、ゲリゲリ、ブリブリと痛恨の三重奏を奏でたのはいうまでもない。タマサカ先生よりは節操のあるカブ師匠とゴッちゃんは、ゴロゴロ程度で済んだ。
 して、キン子は……ええ、なーんともありません。シロップ、トッピング、全種類完全制覇しましたけれど、パン太の倍はかき氷を食べましたけど、これくらい、全然、無問題。だって、キン子だもん。 パパン!

 かき氷パーティーの翌日、朝食の卓で子供たちの髪が伸びてきているのに気付いたカットちゃん
「カットしなきゃね」
 子供たちの午前中のオンライン授業が終わるのを見計らい、嬉々として庭に面したデッキに散髪椅子を出した。
 その脇で、子供たちが散髪用のケープをもたもたと被り、ソンタ君が幼児用の小さな椅子に座ってヨイショの準備だ。
 散髪椅子は、店内改装で設備替えした理容店から譲り受けてきたものだ。使い込まれて肘掛け部分がてらてらと黒光りしているが、それもまた味である。
 デッキからは、菜園の手入れをしているゴッちゃんとカブ師匠が見えた。カブ師匠は、もちろん筋コップ着用である。
「サッパリとしてもらえー!」
 ゴッちゃんが子供たちに手を振った。
 菜園では、トマトやピーマン、なす、きゅうりなど夏野菜が収穫期に入っている。今日はジャガイモを掘ってしまう予定だ。この先数日は晴天が続く予報だから、掘ったジャガイモを陰干しするのにちょうどいい。あとは、おやつ用にとうもろこしを数本採るつもりだ。
 えっ、春が新ジャガイモのシーズンじゃないの? と思っている人もいるでしょうが、それは南の暖かい地方のことです。タマサカ家のある地域では、ちょうど今頃が旬なのです。
 カブ師匠は、トマトの畝を眺めてご機嫌な様子だ。
「今朝の採れ立てトマトは美味しかったねぇ。朝露に濡れててさ、ちょうどいい冷たさだった。おや? こっちの畝のトマトはまだ随分と青いねぇ」
「ちょっと日にちをずらして苗を植えたんですよ。全部いっぺんに熟さないように」
「種類もいろいろあるようじゃないか。定番の桃太郎に、ミニトマトにミディトマト、最近流行のアイコもあるね。黄色いのもある」
「それぞれ味が違うし、生が一番というのもあれば、煮込みに向く品種もありますから」
「それにしても、トマトの他にも野菜も随分とたくさん植わっているねぇ。売れるほどじゃないかい」
「今年はいつもの年より多く植えたんですよ。家族が増えましたからね」
「特にキン子な」
「それを考えると、足りないくらいっスね」
 ガハハハと二人揃って笑い声を上げた。 パン。

「ハックチン」
 キン子が珍妙なくしゃみをした。散髪ケーブがくしゃみの勢いでふわりと舞う。
 さて、カットちゃん、子供たちにジャンケンをさせて、勝ったキン子をまずは散髪椅子に座らせる。キン子の頭を眺め
「やっぱり今時いまどき、ワカメちゃんカットはないわぁ」
 謎のオネエ口調で呟く。
 キン子が「ワカメちゃんって誰だっけ?」とパン太に尋ねる。丸椅子に座ってブラブラさせていた脚を止めて、パン太は考える。
「どこかで見たような聞いたような……思い出せない。でも、何でワカメなんだろう。キン子ちゃんの髪はまっすぐで、ワカメみたいにくねってないのにね」
 不思議顔である。カットちゃんは「後で書庫でサザエさん見なさいよ」と、やっぱりオネエ口調で二人に告げ、
「後ろの刈上げ部分がすっかり伸びてるし、イメージチェンジのチャンスよねぇ」
 かわいくしてあげるわと、語尾にハートがくっついていそうな相変わらずのオネエ口調で高らかに宣言すると、ハサミを煌めかせる――とその時、風もないのに庭木がガサガサと揺れた。
 パン太が丸椅子からぴょんと飛び降りて、一丁前に身構える。
「もしかしてキャンディ?」
 魚泥棒猫のキャンディが性懲りもなく、またやって来たのか。キン子も散髪椅子から降りてファイティングポーズをとる。カットちゃんのよーく研がれたハサミがギラリと鋭い光を放つ。
 庭木をかき分けて身構えた三人の前に現れたのは、隣家に住むミスター・スタンであった。キノコ雲状に成長したもじゃもじゃ頭に葉っぱが二、三枚絡みついている。そしてなぜか口ひげには米粒がひっついている。唇は若干、脂ぎっていた。
 ミスター・スタンは、自分の頭を指さして
「子供たちの髪を切るんだろ。ついでに我輩のも切ってくれ」
 そう言って、ちゃっかり散髪椅子に収まる。
「えー、いいけど……500円ね」
 カットちゃんがハサミの付いていない補助アームの五本の指を大きく開いてミスター・スタンに突き出した。
 実は、カットちゃんはお金が欲しいのだ。趣味でハサミの収集をしているカットちゃん、お小遣いはもらっているが、どうにも足りない。骨董品やカリスマ美容師が愛用する高級品は、高くてお小遣いでは到底手が出ない。働けるだけの技術はお釣りがジャラジャラ出るほど十分だが、事情があって労働市場に参戦することができない。無機質系人型類のカットちゃんが社会デビューすると、人類のカット職人の仕事を奪ってしまうからだ。
 考えてみますと、これは逆ニート。技能もあるし、本人の働く意思も意欲もあるのに働けない。いや、働いてはいけない。不条理であります。理不尽であります。矛盾であります。そして差別であります。 パン!
 
 おっほん! ちょっと本題からズレて熱くなってしまいました。仕切り直しましょう。 パン。

 でありますから、カットちゃん、お金が欲しい。ひっそりとでいいから稼ぎたい。
「え。お金取るの? 無料ただだったじゃないか。今までどおりタダでやってくれ、タダで!」
 当然不満なミスター・スタンは、タダ、タダと訴える。叫ぶ。吠える。ごねる。
 カットちゃんは、自分のハサミ手を裏に表に、ひらひらとかざし見て
「アンタ、タダなのに態度でかいんだよね。ミーはもう自分の技術を安売りしないことにしたの」
 ミーって何だ。どっかのおフランス帰りの人みたいな一人称だ。
「子供たちだってタダなんだろ」
 ミスター・スタンは、しつこく食い下がる。
「この子たちは家族なの。ママのお家カットなの」
 パパのお家カットでも、お姉さん、お兄さんでもいいけど。
「我輩だって同じようなものだろう。人類皆兄弟っていうじゃないか。お隣なんて家族の部類だろう」
 ああ言えばこう言う。もはやこじつけ、詭弁の域。
「無茶苦茶な」
「せめてまけて。10円とか」
 とうとう値切りだした。でも、10円って……。
「うわっ。タダ同然じゃない。図々しい」
 そこまで言われても、ミスター・スタンはへこたれない。今度はまけろ、まけろの大連発だ。盛夏の蝉もかくやというくらい喧(やかま)しい。
「じゃあ、300円」
 根負けしたカットちゃんが大幅200円ダウンの値を提示した。
「50円」
 ミスター・スタンは40円アップ。たぶん、大幅アップしたつもりだろう。
 さあ、これからは互いの希望価格の応酬だ。ソンタ君がトントコ太鼓を叩きながら「ガンバレ、ガンバレ。すごい、すごい。どっちも負けてないよ」と無意味な応援ヨイショをする。
 「250円」「100円」「200円。これ以上はまけないから」「そこを何とか……150円」「180円」「もう一声!」「170円。これが底値」「まだまだ、160円」「175円」……。結局、175円という中途半端な金額で手打ちとなった。
 カットちゃん、大きなため息をついて
「じゃ、前金で」
「え。前金? 普通、支払はカット後だろう」
「だって、アンタ、なんだかんだって踏み倒しそうだから」
 ミスター・スタンの目が泳いだ。あ。図星か。
「いやぁ。今、小銭持っていないっていうか……財布持ってきてないぞ」
 無料だと思ってたからと言い訳を始める。
「仕方ない。ツケね。ちゃんと記録しておくから」
 カットちゃんがボディの真ん中にあるポケット型引き出しからメモ帳とペンを取り出して書き込む。
 そして、ミスター・スタンを神業でチャチャっとカットしてしまうと
「払わなかったら集金に行くからね」
 ギラリと目とハサミを光らせて脅した。顔を強張らせて、渋々と頷くミスター・スタンであった。
 去って行くミスター・スタンの後ろ姿を見ながら、カットちゃんがハサミを鼻の下に当てて「ペっ」と唾を吐く真似をする。同時にソンタ君が大きなため息を吐いた。二人とも、そんなにストレスだったんかい。
 ミスター・スタンのモジャ毛を椅子から払って、さあ、ようやく自分たちの番だと、キン子が散髪椅子に上がったところ

「あーっ‼」
 アイン君の地を揺るがさんばかりの大絶叫がスピーカーから響いてきた。
 タマサカ家一同がアイン君の元に駆けつけると、アイン君は菜箸を片手に一本ずつ握って頭上に掲げ、ワナワナしている。鬼のように激怒ゲキオコポーズである。
 アイン君は、本日のお昼ご飯の仕込み中であった。できあがったビビンパのり巻と唐揚げをテーブルの上に置いて、キャベツの千切りをしばし無心で刻んでいたアイン君、作業を終えて振り返ったところ
「のり巻一本と唐揚げ数個がいつの間にかなくなっちゃった」
 手に持った菜箸を今度は目の下に立てて、さめざめと涙するポーズだ。
「キャンディじゃないよね」
 キン子が言うと、パン太も同意する。
「メニューがキャンディの管轄外」
「最近、また料理やおやつがなくなるんだよね」
 今度はテーブルに突っ伏した精根尽き果てポーズ、アイン君が棒読みに語り出す。
 焼きそば、チャーハンの分量がいつの間にか減っていたり、チキンカレーの具が減っていたり、焼き鳥が数本なくなっていたり、カップラーメンのカレー味が一個足りなくなっていたり、未開封だった柿の種の缶が開いていて、半分に減っていたり……。
「一昨日の朝、キッチンに来たら、テーブルの上に缶が開けっぱなしで放置してあったんだよ。周りにはバラバラと柿の種の粒がこぼれてるしさ。その柿の種はわさび味だから、子供たちは食べないし、第一、ウチの人たちは程度の差はあれ、食意地が張ってるから食べ物は粗末にしない」
 そんな状態で柿の種を放置するはずがない。
「柿の種の謎は置いといて、まさかキン子じゃないよね」
 アイン君が目を細めてキン子を見据える。
「だから、違うって!」
 第一、ずっとカットちゃんやパン太たちと一緒に庭にいたのだ。
「ケープ被ってカット待ちしてたんだからっ」
「ん?」
 パン太が何か思い当たったらしい。
「ねえ、もしかして、ミスター・スタンじゃない?」
 口ひげに付いていたご飯粒はのり巻の、唇がテラテラしていたのは唐揚げの油ではないか。
 考え込む一同。思い当たる節がある。
 キャンディの泥棒猫騒動の際に、同一犯の犯行ではないとすでに推測していたはずだ。猫が好まない、むしろ食べないものも盗難にあっていたから。
 そう言えば、一昨日、アイン君が回覧板を彼の家に持っていったら、玄関に柿の種が数個落ちていた。いつだったか、自転車でお使いに出たパン太が、苺のパックを抱えてもぐもぐ食べながら自宅に入っていく彼を目撃している。お使いから帰ると、苺が消えたってアイン君が騒いでいた。焼き鳥がなくなった翌日、ゴッちゃんが庭を掃除していたら、焼き鳥の串らしきものがタマサカ家とスタン家の間にある弊の上や下に落ちていた――。
 タマサカ先生が顎に手を当て唸る。
「つまり、魚はキャンディで、その他は……」
「ミスター・スタン‼」
 みな声を揃えて叫んだ。
 間違いねぇ、間違いねーべと口々に騒ぐ。状況証拠に過ぎないが、偶然にしては出来過ぎだ。
 ゴッちゃんがはっとして
「そう言えば、監視カメラは?」
「忘れてたー!」
 これまた、みな揃って叫ぶ。
 慌てて監視カメラの映像を確認すると、直近の画像に特徴的なモジャ頭、モジャ髭のおっさんがくっきり映っていた。勝手口から忍び込み、テーブルの下に潜り込むと、手を伸ばしてテーブルの上にあるのり巻を素早くつかむ。ちょっと間を置いて、今度は唐揚げをわしっと数個一気に手づかみ。
「おのれぇ……」
 アイン君が声をワナワナと震わせながら、握りしめた菜箸をバキリと折った。
「きっちり現行犯逮捕してやるぅ」
  パン! パン!

 かくして、スタン捕獲大作戦がスタートした。
 要領は、キャンディ捕獲のときと同じだ。監視カメラがミスター・スタンの姿を捉えたら、一斉に一家全員のスマホに知らせが入る。すでに経験済みなので抜かりはない。
 ただし、今回は早く決着をつけようと囮捜査に踏み切った。餌を用意しておびき寄せそうというのだ。
「ミスター・スタンってチキンが好きだよね。これまでの窃盗品を鑑みると」タマサカ先生は分析する。
「辛いものとか、スパイシーなものも好きみたい」パン太がインテリ刑事のように、クールに眼鏡をクイッと上げる。
「カレーが特に好きなんじゃないか? ポンカレーの特売日によくスーパーで姿を見かける」とはゴッちゃんの言。
「チキンカレーとカップ麺カレー味」キン子が更に数え上げる。
「あ。チャーハンもカレーチャーハンだった」アイン君が決定打の一言を放った。
 というわけで、餌はタンドリーチキンに決定だ。
 さっそく準備に取りかかる。
「ワクワクするねぇ」
 前回、泥棒猫キャンディ捕獲作戦の時にはいなかったカブ師匠は、目を三倍ぐらいに大きくして大興奮だ。ギャンブル婆さんは、こういうスリルのあることが大好きである。死ぬまでに成したい夢の一つにバンジージャンプとスカイダイビングがあるぐらい好き。お化け屋敷も好きだ。お化けが出てくると、待ってましたとばかりに返り討ちにしたがるのが悪い癖だが。そうそう、ラスベガスでギャンブル三昧ってのも、勿論、ある。
 
 翌々日。準備万端、いよいよ決行である。
 まずはタンドリーチキンを大量に製造する。焼き上がったタンドリーチキンをテーブルにドンと置き、大型扇風機で匂いをスタン家へ送り込む。そしてアイン君も含め、一家全員がキッチンを離れる。キッチンでは、てんこ盛りのタンドリーチキンだけが無言でパッションな匂いを放っている状態となる。
 実のところ、こんなんで上手くいくかねぇと全員が内心ちょっぴり思っていたら――なんと、上手いこと、見事に引っかかってくれた。
 さあ、一斉にスマホが震えた。タマサカ家総員が地響き立てて駆けつけたキッチンには、フォークに突き刺したタンドリーチキンを口にくわえたミスターの驚愕した顔があった。彼は、片腕にタンドリーチキンが蓋を押し上げるほどに詰め込まれた大型タッパーを抱えている。なんと、今回はタッパーまでご持参の用意周到っぷり。立派な確信的犯行だ。
御用だ!
 タマサカ家一同の大唱和が轟く。お魚咥えたどら猫ならぬ、チキンを咥えたミスター・スタンは、まるでそれが合図のように勝手口めがけて脱兎のごとく駆け出した。
 タマサカ先生が「御用!」とミスター・スタンに向かって、この時のために用意していた5円玉を投げた。5円玉は見事外れてカットちゃんに当たる。びっくりしてひっくり返ったカットちゃんがソンタ君を下敷きにし、その拍子にソンタ君の太鼓のバチの一本が床に転げて、それをうっかり踏んだゴッちゃんが尻餅をついた。ゴッちゃんの後にいたパン太が巨体に潰されるところを間一髪、横っ飛びで回避して、床にべちゃっと五体投地ポーズで着地した。ソンタ君のもう一本のバチは、宙を飛び、カブ師匠が「御用じゃ!」ミスター・スタン目がけてはっしと投げた扇子とかち合い、扇子はミスター・スタンの行く手を阻もうと勝手口に立ち塞がったアイン君の額に向かって弾き飛ばされた。飛んできた扇子に「あっ」と仰け反りバランスを崩すアイン君。それでも勝手口から逃走しようとするミスター・スタンの脚にひっしとしがみつく。それをミスター・スタンはお宮を足蹴にする寛一のごとく蹴っ飛ばし、外へ飛び出す。その瞬間、タッパーの蓋が吹き飛んだ。が、ミスター・スタンは、口にくわえたチキンも、タッパーからはみ出て盛られたチキンも落とさずに見事に庭へ着地した。何だ、その離れ業。
 さて、我らが主人公キン子。キッチンへ向かってパン太の後から走って来たキン子は、尻餅をついたゴッちゃん山を飛び込み前転で越え、そのまま前転でコロコロと転がりながら、床に散らばる太鼓、バチ、ソンタ君、カットちゃんらを回避し、シュタンと立ち上がると、タタッと走って、倒れ伏して勝手口を塞ぐアイン君を走り幅跳びの要領でポーンと飛び越え、庭を逃げていくミスター・スタンの後を追った。
 食べ物が絡むこととなると、キン子のないはずの執念がこの子の中のどこからか立ち上る。タンドリーチキンてんこ盛りタッパーを抱え、その一切れを咥えたまま逃走を続けるミスター・スタンの食意地も凄いが、食意地ならキン子も負けない。誰にも負けない。しかも、日々のカンフー修行で――なんちゃってっていう形容詞が前につきますけどね――身体能力が格段に上がっている。身のこなしが進化していた。体力もついているから、ちょっとやそっとで息も上がらない。しぶとい。
「待てぇ~!」
 ミスター・スタンが振り返ると、鬼気迫る表情のキン子が猛追してくる。驚いて思わずたたらを踏んだ拍子に、タッパーから溢れていたチキンが一枚、地に落ちた。
 食意地の申し子キン子は、つい落ちたチキンに目が走った。その一寸のうちに、ミスター・スタンは、そこここに置かれた植木鉢をぴょんぴょんと飛び越して、その先の木立に紛れ込もうとした。最後の植木鉢を越そうと飛び上がった瞬間、また一枚、タッパーからチキンが落ちた。狭い木立の隙間を抜けながらまた一枚、うっかり木の枝にぶつかってまた一枚とチキンが落ちる。
(ああ!)
 心の中で残念無念の絶叫を上げながらミスター・スタンは逃げ続けた。
 ようやく木立を抜け、公道に出ようというところで、疲れてきた彼は、思わずタッパーを傾けてしまう。また一枚チキンがこぼれ落ちた。
 天下の公道に出たところは良いが、さてどうしようとミスター・スタンは思案した。タマサカ家の連中に面が割れてしまったので、家には帰れない。かといって、行く当てはない。
 歩道を行ったり来たり――といってもほんの僅かな間であるが――していると、先ほど抜けてきた木立から「待てー」と聞き覚えのよーくある子供の声が聞こえてきた。
(しつこい。何て鼻の利くガキだ)
 いやいや、確かにキン子は食べ物限定で鼻が利くし、勘が働くけれど、それだけじゃないから。アンタが落としたチキンが道標になっちゃってるんだって。
 童話のヘンゼルとグレーテルなら、道標に落としたパンくずは小鳥が食べてしまうけれど、タンドリーチキンは、小鳥は食べない。共食いになってしまう。あ。カラスなら食べるか。アレ、何でも食べますもんね。でも、カラスが食べてしまえるほどの時間はない。残念でした。
 ミスター・スタンが右往左往しているうちに、キン子がポン! と木立から抜け現れた。さあ、ミスター絶体絶命。
(うぉぉぉぉ!)
 動揺して思わず車道に飛び出すミスター・スタン!
 そこに一台の個人タクシーがこちらの方へ走ってくるのが目に入った。追っ手のキン子は、ミスター・スタンとの間を一気に詰めて彼を捕獲しようと、足を大きく踏み切らせた。ホップ、そしてステップ――
「タ、タクシー‼」
 フォークを握った手を挙げて、ミスター・スタンが叫んだ。その瞬間、口からチキンが落ちた。
 ――ジャーンプ!
 空中からキン子がミスター・スタンめがけて舞い降りてくるぅ‼ 
  パン!パン!パパン‼
 
 と、その時、タクシーがミスター・スタンの前に停まり、ドアが開いた。そこへ飛び込むミスター!
 バタンとドアが閉まり、同時にタクシーは音もなくすーっと走り出した。
 急にミスター・スタンという標的にして、着地点のクッションを逸したキン子は、とっさに、またしても習いもしていない受け身で地面に転がった。本能のなせる技であった。 パン!

「くっそー」
 走り去っていくタクシーを見送りながら、キン子は地団駄を踏んだ。ミスター・スタンがいた路上には、チキンが一枚、ぽつんと残されていた。 パン……。

 一方、間一髪で難を逃れたミスター・スタンはというと、飛び込んだタクシーの中で、息をあえがせながら、しばし放心していた。
「お客さん、どちらまで」
 運転手に声をかけられて、ミスター・スタンは我に返ったが
「……行くアテなんぞあるか」
 虚ろな声で応えた。
 すると、運転手は
「じゃあ、行きたいところとかありますか。あるいは、こんなところに行きたいとか、ご希望は?」
 妙なことを尋ねる。ふとバックミラー越しに運転手の顔を見て、ミスター・スタンは驚いた。
「あんたは!」
「ども。お客さん、前にもお乗せしたことがありましたねぇ」
 特徴がないがイケメンイケメンだが特徴がないでも見れば思い出す顔がそこにあった。
  パン!パパパン、パン!

 ミスター・スタンと彼を拾った個人タクシー運転手は、以前に面識があるようでございます。一体、どういう関係なのか。そもそも、ミスター・スタンはどういう人物なのか。そして個人タクシーの運転手は何者なのか。
 気になるところではありますが、それは次回のお話となります。
 では、中入の後、またお会いしましょう。

   🍗 🍗 🍗 🍗 🍗

 5席目の動画が終った途端に、キン子が呻いた。
「お腹空いたぁ」
 のり巻だの唐揚げだの、タンドリーチキンだのという旨そうな言葉がたくさん出てきては、キン子の食欲中枢が黙っているわけがない。
 アイン君がちらりと時計を見て、
「あ。もうお昼の準備しなくちゃ」
 おもむろにソファーから立ち上がる。
「今日のお昼ご飯は何?」
 キン子がそわそわしながら尋ねると
「夏野菜チキンカレーかな。そんな気分」
 だよねー、と一同唱和する。
「だから、誰か畑からピーマンとなすとトマトを採ってきて。あとオクラも」
 キン子が「ラジャー!」と応えて、ぴょこんと立ち上がった。続いてカットちゃんがハサミをチャキチャキいわせながら「カット、カット」と立ち上がった。
「ボクも行くぅ」
 パン太も手を挙げたが
「でも先に、おしっこ、おしっこ」
 パタパタとトイレに向かって走って行った。

 お昼ご飯をたらふく食べた後、満腹で眠くなったタマサカ家一同は、しばしお昼寝タイムとなった。
 お昼寝の後は、人類の大人たちは眠気覚ましのアイスコーヒーを、子供たちはシュワッと酸っぱいレモンスカッシュを、人型類の大人たちはコーヒーのエナジーボトル、子供はやっぱりレモンスカッシュのボトルを飲みながら、続きの動画を再生する。
「5.5席目? 何? この中途半端さ」
 カットちゃんがイラッとしたようにハサミをチャキッとさせた。
「はっ? 『ミスター・スタンのかれえなる略歴』だってぇ」
 カットちゃんのハサミがチャキチャキと忙しく鳴る。誰かが、「正にカチコミ音」と呟いた。タマサカ先生は、ぱっと顔を輝かせて
「カレーの後にかれえな話だって!」
 ダジャレを放つ。
「言うと思った」
 キン子がぼそりと言い、パン太が眼鏡をカクカクさせて頷いた。

 〈続く〉


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